2014年5月25日日曜日

たわごと。〜どうでもいいけど〜

ふとさ、なにやってんだろ
とか
思わん??

人の評判や目を気にしてみたり
愛想笑いしてみたり。

どうせさ、腹の底から笑わないとうまく笑えないこと
わかってんだからさ。

なんなんだろうね。
いや、自分に素直に生きたらいいだけでしょ。
誰もが。

会社が
とか
明日が
とか

ほんまは関係ないよね。
会社がどうしたんだよって。
いかんと死ぬん?って。

ずっと働くなって事じゃなくてさ
働く事は素晴らしいんだけどさ
うんざりしながら同じ場所に居続ける意味ってなんなの?って。

なにかしら学べるならいい。
人生経験だと思えてるならいい。

逃げない事は強くてすごい。
でも、逃げなさすぎて死んじゃう人いるじゃん?

頑張れなんて俺はいえんわ。
よく頑張ってるもんな、みんなさ。
逃げたきゃ逃げろよ。
体勢立て直してまた戦えばええじゃん。

怒られるからとか
誰かになんかいわれるからとか
そんなん関係ないで。

方法はいくらだってあるだろ。
頑張りたいなら頑張ればいい。
でもさ、頑張りたくないなら他に何かあるんじゃないかな。

何もやらないってのはどうかと思うけどさ
自分から頑張りたいと思える事、あるかもよ。

人になんて言われても自分らしく生きるんだよ。
迷惑をかけるのはよくないけどな。
でも、迷惑かけた100倍返せばええじゃん。

誰にも迷惑かけずに生きとるやつなんかおらんけえ。
逃げたってええよ。
辞めてもええ。
死なんとけばそれでええよ。

お金がないくらいで死ぬな。
頑張れないからって死ぬな。
死ぬくらいなら何もせんでええじゃろ。
誰になんて言われてもさ
金より命じゃろ。

なんも出来んときだってあるわ。
ぼろぼろになってもさ
何回だってやり直せるんだから。

イヤな事があってもな
無気力になるだろうけど
そういうときはなんもせんでええと思うよ。

1日何もせずに過ぎてしまう時もあるよな。
そんな時は焦るよな。
でも後から考えたらそんな日も大切だったりするんよな。


理由もなくね、
書いてみたくなったので書いてみたよ。
常識にがんじがらめになって
苦しくなってしまってる人が偶然たどり着きますように。

2014年5月21日水曜日

一方的な関係性だと捉えればイライラしない。

少し悲しい考えかもしれませんが、
なおきちはいつも関係性っていうのは一方的な物だと考えています。

これは、もともと短気な自分がガッカリしないようにだったり
悲しくなって相手を責めたりしないようにと
思いついた考え方かもしれません。

しかし、突き詰めていけばいくほど
ここに集約するのです。


恋愛においても相思相愛という言葉がありますが
それは、「状態」なだけであって
状態は常に変化していくと考えています。

自分が相手を一方的に好きになる事と
相手が自分を一方的に好きになってくれる事。
この組み合わせで相思相愛となるんですよね。

だから、「相手に対する自分の想い」と同等の想いを
こっちにも持って欲しいなんて思うのはそもそもおかしな話しであり
人は人、自分は自分なのだからフラットに考えると
それは当然の事だと思うのです。

これは、何回も女性にふられた事があり、
諦める為に納得する為に深く深く考えた結果
こういう考えにいたったんだと思います。笑


人間関係においても全く同じで、
自分が相手を気に入ってるからといって
相手も自分を気に入ってくれてるとは限らない。
逆に、自分が相手を気に入ってないからと言って
相手から好かれないとは限らない。

女性の場合、これで悩んでる人が結構多いです。
自分は相手の事なんとも思っていないのに
すごくしつこくされてしまう。。

そういう相談をよく受けます。
性別問わず、相手が現在自分の事をどのようにどれくらい
好意を持ってくれているのかを推測する事は
とても大切です。

人間同士というのは適切な距離を保つ事により、
同じ空間に共存する事が出来るからです。

距離感をはからずにいると
相手から一気に距離を縮められた時に
「そんなつもりなかったのに。。」
って事になります。

でも、ある程度相手の好意レベルを推測しておけば
あらかじめ距離をとっておけるので
距離を縮められてもさらに遠くに距離をとる余裕ができるのです。


人間関係で苦しんでる人はこの相手との「距離」の取り方が
下手なんだろうなと思います。

仕事先ではしょうがない事もありますが、
これもある程度の距離を作る事は可能です。

仕事の場合、上司に嫌われたら色々やりにくくなります。
これは、上司から距離をとられてしまってる状態になります。
だから、その場合はあえて自分から上司にとって不快にならないように
距離を近づけます。

その方法は、上司にとって心地よい、あるいは、メリットがある形で
距離をつめることがポイントだと思います。

めんどくさい仕事を率先してやる、コーヒーをいれる、
仕事を手伝う、仕事以外で食事に誘う等。

上司の性格や価値観によって判断しないといけないので
上記の事はあてはまらない 場合もありますが
そういう精神姿勢というのは大切だと思っています。


自分は相手とフェアだと思うから
イライラしてしまうんだと思うんです。

卑下しろという事ではなく、
対等だという感覚を捨てればいい。

そしたらスーパーのレジにイライラする事もなくなり
友達と遊びに行く時に友達が遅刻してきてもイライラしなくなる。
全ての事に自分が予め対処する事が出来れば
人のせいになんてする必要がない。

イライラするっていうのは
目下の人が目上の自分に対して失礼な事をしているという
感覚が少なからずあるからだと思います。

ほとんどの人は、自分が会いたくて会いたくてしょうがなかった人が
時間に遅れようが、忙しいのに自分の為に時間をとってくれたということに
感謝するだけで、そんなにイライラすることはないはずです。
有名人、大会社の社長さん、恩師、師匠。。
一生頭の上がらないような人が少々遅れてもイライラなんてしないですよね。
それは、自分より明らかに格上の人だと判断してるからなんですね。

ということは、逆に考えればイライラする対象の事はどうでしょう。。
一概には言えないとは思うし、ケースバイケースではあるけど、
相手が悪いと責める前に自分自身の精神姿勢を整え、
相手を許す理由を考えた方が建設的な気がしました。

。。まあ、僕自身もともと物凄く短気で
あまり偉そうな事は言えないんですけどね。笑
修行中です!!

相手と同等だと考える事自体が驕りだと自分には言い聞かせ
どんな人にも同じ目線、もしくは失礼にならない程度に
自分が下からの目線を意識していきます。

2014年5月18日日曜日

ここ数日間の気付き。〜価値と尖る事。〜

お風呂に入ってる時や運転している時、
風景を見て風を感じてる時等に
「ふと」感じる事があります。

思考してる事自体意識していないその時に
まるで「降りてくる」ような「湧いてくる」ような物を
「直感」と呼んでいます。

根拠も何もない、恐らく数日間の経験や見たもの、感じた物が
脳内に残っていて脈絡もなく出てくるのだと思いますが
これが馬鹿に出来ません。

もう、とっくに理由を探す事は止めました。
それよりも、湧いて出てきた直感の言葉の意味を
脳内で検証する事に夢中になるのです。

「価値」

「尖る事」

「ジャンル分け」

ここ数日間の直感をまとめるとこの3つが大きい。
特に「価値」を高める事。
これがどうも自分を焦らせる。
価値を高めるという事は尖る事であり
ジャンル分けすることであると言っている。

そこからアイデアを展開していく。
形にしたくてどうしょうもなくなる。
落ち着かなくなる。

壁に打ち当たるまで突き進んで
打ち当たっては方向を変える。
そんな、掃除機のルンバのような動きをしているのが
最近です。

こうなってくると
そのルンバが通るであろう「針の穴 」を探し続けてしまう。
あぁ、自分らしくいられているという実感が押し寄せる。

探求、追求していく事は
人生において最高の楽しみだとよく思う。

正解がない事に自分なりの正解を出し
日々、磨いていく事。
この作業がなんとも言えず好き。

過去の自分の考えの間違いに自分自身で気付いた時に
明確にその間違いの理由を自分自身に告げた時に
過去の自分が壊れ(消え)新しい自分が生まれる。

そんな時、なんとも言えない「自由」な感情が押し寄せるのです。
まるで、なんでも出来るような、どこまでも行けるような。
一言で言えば「最強」とも思えるような。

しかし、次の瞬間、そのエゴに気付くのです。
なんと愚かな人間なのだと戒める自分自身が出てくるのです。
そして冷静を取り戻し何事もなかったかのように
思考の続きを「する。」

エゴの塊のような自分は本来の自分なのだろうな。
あわよくば全てを掌握してやろうと思う程の
湧きいでる強い感情。

それを経験や環境が創り出した「利口(自称)」な
自分が制御してんだろうな。

片隅にどうしょうもなく自信が無い自分がいて
その近くに博愛主義の自分がいて。


矛盾するたくさんの自分が丸い心の中の
割合を取り合ってる。

その割合によってカクテルのように
アイデアの質や量や、核となるものが変わってくる。


こうして、自分自身の思考の動きを分析し
残している自分自身もまた今割合を獲得しただけなのだろう。

きっと誰もが相反する自分自身を抱えてる。
その矛盾に苦しみ、時には人に批判され悲しくなるだろう。

でも、矛盾や、さっき言ってた事と明日言う事が違う事なんて
そんなに不思議な事ではない。

人は、整合性がとれないことに関してすごくシビアなんだよね。
誰かがチグハグな事を言っていたとしても
昨日のその人と今日のその人が違う、ただそれだけの事なのに。


あと、もう1つ。

「何事も人のせいにしない。」

これも強く思った事。
きっと、これから必要になるのだろう。

誰かの失敗で自分我被害を被る事になろうとも
それを未然に防いであげる事が出来なかった自分の落ち度。
そう考えればどこまで行っても誰かのせいには出来ないんよね。
その事を深いレベルで納得したい。
もっともっと深く。

そうすれば何事にも腹を立てずに済む。
自分の為でもあるし、対人関係に置いて重要な概念になるはずだ。


話しがあっちいったりこっちいったりしてるが、
結局言いたいのは「直感 」というものは
過去の経験のデータを脳がフル活用して
顕在意識では理由がわからずとも自動的に
導きだしてくれてる答えだということ。

少なくとも俺はそれを信じようと思う。
現在の自分は周りから見てどうなんだろ。

もしかしたら取るに足らない存在かもしれない。

もしかしたら一部だけでも共感してもらえているのかもしれない。

しかし、大切なのは人からどう思われている時でも
自分というものをしっかり持ち、変わらず行動し続けるということだ。


あ、そうそう。
光を受け入れるということは
影も引き受けるということだと最近気付いたんだ。
いいことばかりじゃないよ。
マイナスに思える事も「在るもの」として認め、引き受け、
最善を尽くす。

そもそも人間なんてものは「選択」しているように見えて
大きな意味ではそんなおこがましい事は
考えてはいけないのかもしれない。

選択しようとするからおかしくなるのか。
本来、どうすればいいかなんて決まってんだろ。
自分なりの「正解」を見て見ぬ振りしたとき
深い部分での「正解」に気付かないふりしたとき
きっと、「正解」ってやつも容赦なくやってくるんだろ。

形はどうあれ、ね。


小さく大きな存在。
矛盾の塊。
自身のイメージが自身の姿形を決める。
自分以外の人が向けてくるイメージに影響されてしまう。
人間ってのは思ってるより本当は動物なんかな。

なんかそんな気がした。


久々に書いたな。
支離滅裂かな。
書きたい事を書けばこうなる。

自己満足。
うん、そのとおりだ。