2014年2月28日金曜日

プラスの力で全てを変える。

時々ね、思うんよ。

マイナスの力って強いよなってさ。

悪口や変な噂ってすごく早く広まるものだし
悪口を言う者同士って結託したりするじゃん??

人気者を潰すのって簡単なんだろうなとかね。。


でもなんていうんだろ、
マイナスの力を使って人を貶めることって
裏技を使ってゲームをクリアするのに
少し似てるというか。

裏技が存在してる以上それを使ってもいいだろって
思う人もいれば
裏技を使うのは卑怯だという人もいる。

何より俺はゲームがつまらなくなると思うんだよね。


スライムを倒すのに苦戦してるときもさ
後から考えたら、なんかいいじゃん?笑
一生懸命でさ。

それで徐々に成長してギリギリ倒せるか
倒せないかの敵と戦うから面白いんでしょ?

プラスの力でいくから面白いんでしょ。


マイナスや影は
プラスや光の副産物でしかないと思ってる。

この世界が光で満たされているように
きっと光の力、つまりプラスの力で
いくべきだと思うんだよね。


いつか振りまいた力ってのは
大きくなって戻ってくると思ってる。

プラスを振りまけば
プラスが大きくなって返ってくるし
マイナスを振りまけば
マイナスが大きくなって返ってくる。


短期的に見ればマイナスの力は強いけど
長期的に見ればきっとマイナスの力を飲み込んで
さらにプラスは増大する。

そんな気がしてるよ。

 

2014年2月22日土曜日

主体性とエゴ。

自分が「こっちの方が
いいだろう」と思う事と
現実っていうのには
時々ズレがありますよね。

例えば
主体性を発揮しなければならない部分と



でしゃばってはいけない部分の判断。。

こういうのは非常に難しい。

まさに、空気を読む力が必要なわけです。


自分で組織を立ち上げて
運営していく中では
とくにこの場面によく遭遇します。

トップが仕切りすぎると
メンバーは主体性を失い楽しめなくなる。

全く仕切らないと
いざ舵をとらないといけないときに
とれなくなる。

メンバーの主体性を失わず
組織として進むべき方向へ進もうと考える時
リーダーというのは皆悩むのかもしれない。

そう考えるとキチッとした
会社のように段階的な組織図を作っておけば
統率はしやすいのだろう。


昔からルールとかマニュアルとか嫌いで
そういうものがないところでやっていきたいと
思ってた。

でももしかしたらそれはとても少数の人間なのではないかと
考えだしたのは実はつい最近なんだよね。

俺が思う事がみんないいって賛同してもらえるとは
思ってないんだけど
それでも絶対こっちの方がいいだろう!って
自信を持ってることはいくつかあった。

まさかそれが少数であるなんて考えもしなかった。


誰かから言われるわけではないんだ。
それこそ空気を読んだ時にさ
感じるわけ。

誰もが自由を求めてるわけではないのだと。
思い知らされるわけ。

究極の価値観の違い。

しかし、同時に思った。
誰もが俺が求めるような自由を求めた場合
まず、組織として成り立たないよな。。と。


時々出てくる、「なおきち」の立場になろうとする人。
本人自覚ないのかもしれないけど
女の子はそういうのすごく敏感に感じてるんだよね。

あの人なんなの?
なおきちさんになりたいの?

なんてのはここ何年かよく聞く。


俺の真似をすれば俺と同じ事が
出来るわけではないんよな。

とくに俺の組織の中で
俺の位置づけになろうと無意識にでも
考える人間は
反感をかってる。

まあ、当然ではあるんだけど。


楽遊会の中では
メンバーの面白さを
俺が見つけて賞賛することがよくある。

そしたら一気に輪の中心になる。
そうなった時に今までの人間関係のやり方では
成立しなくなり
精神的に押しつぶされてしまい
結果、楽遊会から去るというのがあった。

今まで友達がたくさんいた人でも
通常同じジャンルの人間が
周りのほとんどなのに
楽遊会の場合は価値観も状況も
様々な人がいる。
だから少数合わない人がいても
精神的に苦しくなり
どこかに行ってしまう人がいるんよね。

なおきちさんの事は嫌いではないんだけど
メンバーのあの人が来る限りいかない。。
みたいなのは昔からあること。


逆に、今まで友達がいなかった人が
一気に輪の中心になったとき。
これもやはり精神的ストレスはあるみたい。

メンバー同士で個人的に遊びだすと
俺の目が届かなくなり
トラブルもよく聞く。

その結果、メンバーが気まずくなり
こなくなったりする。

そういうのはどこにでもあるんだろうけど
正直嫌なんだよね。

まあ、それも俺が統率出来てない証拠ではあるんだけど。


もともと楽遊会は個人的な集まりだった。
正直、俺の居場所を増やすことが目的だった。
当時、弾き語りしてたから
そこに居場所はあったんだけど
もっと違う人達と関わりたかったのもあってね。

で、たくさん人が集まってくれるようになり
俺の居場所とメンバーの居場所になった。

誰もが自己顕示欲というものを持っているので
面白いメンバーを中心に置けば
メンバーも楽しいだろうしいいだろうなぁと思い
もともと社交的じゃない俺は一線から退こうと思った。

しかし、よくかんがえたらこれが間違いだったのかもしれない。

もともと
弾き語り
ハンドメイド
写真
等、俺の能力をフルに活かして
俺が中心として
自分の魅力も含め人を集めていた時と
何かが違うような気がしてる。

いつからか
楽遊会は個人的なものではなく
「みんな 」のものだと俺が思うようになり
遠慮もうまれるようになった。

自分より相手を優先する事も増える。

そうなった時に楽遊会としての
主体性はどこにあるのかと。

そう思った。

考えたけど
どこにもなかった。。


やはり当然だけど
俺が中心になって
俺の力で
俺の魅力で
人を集めていかないと
尊敬もされない
感謝もされない
何も無い
魅力も無いような組織に
なっていってもしょうがないと思った。

いつからか
俺の組織なのに
俺が主体性を発揮する事が
エゴなんじゃないかと
心のどこかで思ってた。

わがままを出す事が恐くなっていたのかもしれない。

でも我が侭と主体性って紙一重なんだよね。

結果、良質なメンバーが増えれば
俺がどれだけ主体性を発揮しても
現存のメンバーにとってのメリットは大きいわけだし
統率もとりやすくなる。

少し前にも書いたけど
リスペクトし合えない関係に意味なんてないんだよ。

無駄だし魅力的ではない。


小規模の戦略をずっと引きずったまま
ここまできてしまったのかもしれないと
反省してる。

人の意見を聞く事は確かに大事だよね、
でもさ、人の意見を聞いていなかった時代の方が
うまくいってた現実ってどうなんだろ。

また、正しい意見をとりいれまくるとさ
短所のない、しかし長所もない
平均的な組織になると思った。

それよりは
メチャクチャ変な組織で偏ってるけど
メチャクチャ魅力あるとこの方がええよな。

どうすれば批判されないかということを考えるんじゃなくてさ
どうすれば面白い事が出来るかってことを
考えたらええかもな。

組織が大きくなれば
俺だけでは責任がとれなくなることも多くなる。

そして大きくなれば比例するように
批判や否定の声も大きくなる。

その全てに耳を貸す事が
リーダーの役目だと思ってたけど
それはクレームセンターの役目だよな。

俺がエゴだと思っていたことは
実はとても必要だったのだと今思ってる。

押しつけにならないように。。
なんて考えながら走ってきたけど
そんなんじゃベストは出せない。

俺はこうだ!
気に入ったやつはついてこい!
気に入らないやつは去ってくれてかまわない!
っていうスタンスじゃないと
結局わがままな俺は
何も動けないんだろうな。

なんかそう思ったよ。
自己中人間がさ
周りに合わせようとするから
変な事になるんだ。

自分が属する側の人間なら
しょうがない。
我慢するしか無い。

ただ、俺は立ち上げてんだ。
本来誰のいうことも聞かなくていい!

誰かの言いなりになるのが嫌だから
我が侭に生きたいから
自分で立ち上げたんだろ?

誰もついてきてくれなくても
1人でやるだけの覚悟は
最初からあるだろ?

だったらそれが答えじゃんって話し。


価値観合わない人間も含め
たくさん集めても結局それは
批判を集めてるだけだよな。笑

価値観合わない人は最初から
入らない方がいいわな。
それがリスペクトしてくれてるメンバーを
守ることにもなるわけだ。

ハードルは低く保つよ。
けどな、俺を嫌いな人は
いつでも去ってくれというスタンスでいこう。

引き止める理由はどこにもない。
去っていった人に使うはずだった時間を
大切な人達に使えば一番ええよな。


俺自身嫌いな人はそんなにいない。
けど、だからといって
俺が嫌われないということではない。
もちろん、構わない。
さみしいけどね。笑

でも、それを恐れてたら何も進まない。
もともと狭く深く関わる人間だもんな。
俺が大好きな人達が俺のそばにいてくれれば
俺は幸せだ。笑

はい、でた!
自己中!笑

人間そんなもんでしょ。
出来るだけたくさんの人の居場所を作ってやりたいよ。
しかし、居場所を提供しようと思ってる相手から
嫌われてまで作ろうとは思わない。笑

全ての人が幸せになったらいいと思ってる。
でもよく考えたら俺のそばじゃなくても
世界は広いし幸せになれる場所なんて
いくらでもあるんだよな。

全ての不幸な人を良い方向に
導いてあげることが出来たら本当にいいけど
まだタイミングじゃない人だっておるしな。
巡り巡ってまた出会って
そのときタイミングがくるかもしれんしな。


俺が自分の居場所を作ろうと思い
楽遊会を作り
その中でみんなの居場所を作ろうと思った。

その理由はさ、
誰もが居場所があり
安心して眠れる場所があり
美味しい御飯が食べれること
それ自体が俺の幸せでもあるんだよね。

だからこそ楽遊会の中に
みんなの居場所を作りたいと思った。

子供がさ、
幸せそうに眠っていたり
楽しそうに遊んでいたりしたらさ
それだけで嬉しくてかわいくて幸せになるじゃん?

あれを子供だけではなく
俺は大人にも感じるんだよ。

ひとりぼっちだった人に友達が出来たら嬉しいし
うまくいかなかったことがうまくいったら嬉しい。

他人はな、
自分の一部なんだと思う。

だから本気で腹も立つ。
自分のことのようにな。
だって、自分の一部だもんな。

同じように
俺もみんなの一部なんだと思ってる。

たくさんの自分の欠片を集めるように
楽遊会は未だ見ぬ「もとの姿」に
戻っていけたらいいな。

2014年2月20日木曜日

下書き保存の蓄積。

このなおきちずむ。をはじめて
どれくらい経っただろうか。

正直意識してない。
日々の直感やひらめき、
思想を残す事にただ没頭していた。


書きながら途中でやめたものは
全て自動的に下書き保存される。

それらを公開するには
気持ち的に少し憚られる。


マイナスな要素を含む事や
主観が強すぎるもの、
タイミングを逃したもの達。

その言葉はデジタルとして
行った事もない見た事も無い
企業のサーバー上にひっそりと眠る。

日の目を見る事も無く。


よく考えれば不思議なものだ。
個人のなんでもない思想を
個人が家でパソコンを打ち
おそらく海外のサーバーに
無料で蓄積していく。

そんなことに想いを馳せると
まるで宇宙について考えてるような気持ちになる。

自分の想像の追いつかない世界。
しかし、現実にそれが成立してんだよな。

知らないことばかりだ。

一生かけて色んな事をかじって学んでも
この世の全てを知る事は出来ないし
この世の全ての人に会うことも出来ないんだ。。

そしてこうしている間にも
どこかで誰かが死に
二度とあえなくなっていく。


あまりにも多すぎて速すぎて
どうしたらいいのか
時々わからなくなるんだ。


そんな時決まって思うのが
とにかく一日を濃く生きよう。
好きな事をしよう。
好きな人に会おう。
長所を伸ばす事に集中しようということ。

短所を補う事も大切なのだろうけど
長所を伸ばす為にも使える時間を
短所を補う事に使えば
平均的な人間に近づくということ。

しかし、価値はそこにはないと思ってんだ。

オリンピックだって
短距離走者は延々短距離走を極めるから
すごいわけであって
片手間でいろんな種目をかじっても
どこかで突出した結果なんて
出せないよね。

一つを極めるからすごいんだ。

一つを極めるという事は極端に言えば
他の事がおろそかになってもいいから
その道を極めるという事。

短距離走のトップが
水泳出来なくても大した事ではないし
短距離においての価値は全くさがらないんだよね。


同じように自分の強みを把握して
そこを伸ばしていく事が大切かな。


自分の理想な報酬プラン、ライフスタイル、
全てにおいても我が侭でいい。

我が侭でいいし人に批判されるような
自己中心的だと思えるようなものだとしてもいいから
それを実現出来るようなアイデアを見つけよう。

そこが大切だと思ってる。

どんなことでも新しいものは
批判されるんだから。

もしかしたらあなたの中に浮かぶ
アイデアは批判されるかもしれない。

でも、それは見た事も聞いた事もないものだからかもしれない。

全ては結果。

結果を出してしまえば
周りは徐々に静かになる。

批判の声が声援に変わる瞬間。

人間なんて勝手なものだしいい加減なものだよ。
そんなものに振り回される必要は無い。

批判する人は批判することにおいて
責任を持とうとすら考えていないのだから。

あなたはあなたの人生において
責任を持たなければならない。

だとすればどちらが大切かは
自ずと見えてくる。



人生プランを「下書き保存」で
終わらせるようなことだけは
したくないよな。

2014年2月19日水曜日

形の無い幸せの形。

ライフスタイルや
収入を得る方法、
自由の定義等
様々な事が多種多様な時代になりました。

ドライになった部分もあれば
ネチネチするようになった部分も
あるように思います。

その全てに文句を言うより
自分の理想と照らし合わせ
どうすればいいのかを考える事が
建設的だと日々思っています。


過去の常識を
今も引きずっている場面は
思いの外多い。

それが悪いと言いたいのではなくて
俺の価値観の中では
ちょっと理想とズレてしまうので
個人的な視点で書いてみようと思っています。

友達
恋人
結婚相手

今はこれに当てはまらない関係性っていうのもあると思っています。
関係性はグラデーション。

知り合いから友達になっていくのが
グラデーションのように
正確に関係性を示す事は出来ないと思っています。

また、無理にあてはめる必要もないと思っています。

男性も女性も
自分で自分の収入を得る事が出来るようになった時代。

結婚だけが全てではないと思うし
子供がいることが偉いということにもならないと思っています。


大切なのは自分で選択するということ。
選択肢がないのであれば
選択出来るように努力をするべきだと思っています。

何が偉くて
何が劣っているかなんて
関係性においてはないと思います。

結婚してれば勝ち組
出来なければ負け組なんて表現が
流行りましたが
それもナンセンスだと思いますね。


新しい関係性はどんどん生まれると思います。

結婚しているのに別居で幸せに暮らしたり
籍を入れずに一生過ごしたり。

そういう曖昧な関係性を
悪く言う風潮があるけれど
本人同士がそれを求めているのであれば
それを周りがどうこういう必要は無い。

結婚したってかなりの確率で
離婚する時代です。



幸せの形も一概には言えないし
お金でもはかれない。

お金をたくさん持っていても
孤独な人はいるし
お金がなくても毎日最高に笑ってる人だっている。

幸せの形でさえ常識が適用されることさえあります。

いい学校に行き
いい会社に勤め
若くして結婚して
子供が出来、
マイホーム
マイカーを持つこと。

これはなんだか常識的な幸せのような気がしています。


人によっては
結婚をせず
子供も作らず
お金はないけど
我が侭に生きていく事が
最高に幸せな人もいると思います。

そういうのは大人になりきれない大人だと
烙印を押されてしまいそうですが
じゃあ、誰がその烙印を押すのかというと
「管理する側の人間」だと思うんですね。


思えば俺たちは
管理しやすいような常識を
子供の頃から
疑問を持たずに染み込まされてきた気がします。

人間の価値観が多種多様なように
幸福の条件も多種多様で当然であり
そこに結婚やお金っていうのは
必須項目ではないと思うんです。

もちろん、社会のバランスを保つ為には
常識的な教育というのは必要だとは思うのですが
結婚出来ない事やお金がない事で
死ぬ程悩んでいる人がいるのも事実。

そんなことで死んでしまうくらいなら
もっと気楽に生きたらいいんじゃないかと
俺は思ってる。


偏見を持たれてしまうような生き方を
選んだ方が幸せな人もいますよね。

罪悪感を抱えながら生きていくよりも
これが自分の幸せだと堂々と生きてほしい。

もちろん、人に危害を加えるような事は
いくら自分の幸せだとしても
よくないと思います。

出来る限り物事をフラットに考える俺でも
そこは譲れない。

なぜなら自分が幸福を追求するのと同じように
他の誰かも幸福を追求しているのだから。

共存していけることは必須条件。



形のない関係性
形のない幸せ

それらを選ぶのは自分次第だし
常識的な善悪を一旦外して
本当は何をしたいのか
考えてみる事を
全ての人に提案したい。

2014年2月15日土曜日

アスリート用の筋肉。

例えばさ、
ボルダリングする人にはボルダリングする人用の
筋肉がつくと思うのね。

水泳選手には水泳をするのに適した筋肉がつくし
100m走の選手にもそれに適した筋肉がつくんよな。

面白い事に走ることだけに関しても
長距離と短距離では筋肉の付き方が違うし
マラソン選手とボディービルダーは
全然見た目から違ってくるんよな。


だからさ、
何が言いたいかというとね
好きな事ずっとやったほうがいいって言いたい。

ここからは俺の持論なんだけど
脳に筋肉みたいなのがあるとしてさ
写真撮るには写真撮る用の、
ギター弾くにはギター弾く用の何かが
あるんだと思うんだ。

だから、
やりたいこといつもやってないとさ
感覚が鈍るというか
下手になるというか。
最悪の場合本当にやりたいことか
どうかとかもわかんなくなっちゃう気がするんだ。

それはとてもこわいこと。

例えば写真撮るにしても
好きな写真を撮るべき。

見たくない物や撮りたくないもの、
残したくないものはとるべきじゃないと思う。

ギターでいうと作りたくない曲は作るべきではない。

生まれてくるもの全てに命があるとするならば
それは人間だけではなく
意思はなくとも「不幸」だと思うんだ。

もちろん副産物的に
たまたま生まれてきたものを愛してくれる人も
いるかもしれないけれど
本来の主旨とは違うはずなんだよね。

総合的に考えて
好きな事を好きなようにやるべきだと思ってる。

嫌いな事で成功してしまった人は
俺は不幸だと思ってんだ。

たまたま才能あって
何かで成功したとしても
望んだことでなければ
例えどれだけお金をもらえても不幸だと思う。

望んだペースで望んだ事を
望んだようにやれることが一番気持ちいいよな。


あと、
だらけてると体と同じで
脂肪がついてくると思う。

中学校バスケ部 だったときにさ
一日休んだら三日戻ってしまうっていう
話しを聞いた。

1日休んだら3日練習しないと
休む前の状態には戻れないと。

極端な話しかもしれないけど
そういう感覚は確かにある。

体だけではなく脳もそうだと思う。

だから、好きな事と関連してる仕事についたり
好きな事を毎日出来る時間が作れるようにしたり
好きなものに触れている努力って
必要かなと思う。

だからこそ、やりたいことは
好きな事じゃないとダメだと思ってる。

義務では続かないでしょ。

こうしたほうがいいんだろうなぁ。。と思っても
好きな事じゃないと腰が重いもんな。

自分が向いてることで
好きな事で
人から求められること。。
となるとかなり限られるかもしれないけれど
誰にだって必ずあるから
まだないひとは
焦らず探したらいいと思うんだ。

もうやりたいことある人は
詳しく俺にも聞かせてほしいな。

人の夢の話しを聞くのは好きだから。


俺も日々
なおきちがやるべき事の
筋肉をつけていこう。

2014年2月14日金曜日

リスペクトし合えない関係は意味がない。

この世の中ではさ、
何が正しく何が間違ってるとか
正直俺はないと思ってんのね。

同性愛だろうが
障害者だろうが
ようは本人次第で
他のやつがどうこういうことじゃないと思うわけ。

何不自由なく生活してる人でも
腐ってる人はいるし
障害を抱えてる人だって
人一倍結果出してる人もいるし
ゲイの人だってレズの人だって
たまたま恋愛対象が同性なだけで
ただそれだけでしょ?

そしてそこに偏見を持つ人も俺は
ある意味自由だと思ってる部分がある。

同性を愛するのは自由なのに
同性愛者を差別する人はおかしいなんてのも
価値観の押し付けな気がしてね。

たまたま俺は偏見がないだけであってさ。


究極まで自分の視点をフラットに持って行きたいっていうのは
やっぱりどこかしらあんのね。

悟りたいというか、
自分なりの絶対的な答えを何事に対しても
もっていたいの。

そこには全て理由が存在して
未熟であろうがなんだろうが
俺の意見だと言えることをさ、
一つは用意しておきたいんだ。

全てをこうして書けるなんて思ってない。
色んな人がいるからね。

でもさ、本気で知りたい人は聞いてみてよ。
直接さ。

今、こういうので悩んでんだけどどう思いますか?とか
なんでもいいからさ。



なんかね、
学生時代とかもそうだったんだけど
俺リスペクトしてる人以外正直どうでもいいと
思ってる部分があって
どうでもいいってのはないがしろにしていいとか
そういう意味でなくて
関わる必要がないというか
価値観なんて究極いってしまえば
平行線なんだから
それだったらお互いいい距離とって
楽しくやっていきましょう的なね。

無理に戦争する必要はないと思ってんだ。
相手を不快にさせることも極力控えるべきだと思ってる。
そういうのは望んでないからね。
やむを得ない時はしょうがないけどね。笑

それでさ、
俺は好きな人と一緒にいたいわけ。
人間的にね。
男女問わずリスペクト出来る人間と一緒にいたいわけなんよ。

俺、こいつのここが大好きだわ!って
誰に対しても堂々と言えるようなさ。

だから俺の事嫌いな人は俺と関わらないでほしいし
俺の組織の中には1人も入れておきたくないんだな〜。

最近、特にその気持ちが強くなってきてるように思う。
まあ、当然といえば当然なんだけど。笑


今年の俺はちょっと我が侭にいこうかな。笑
自分主体でさ。

バランスがどうとか考えてるから
逆に変な事になったりするんかもね。

思った通りにさ、メチャクチャやってればさ
それが好きなやつは残って
嫌いなやつはついてこれなくなって
消えていくよな。


全員を大切にしようとすることは
全員をそんなに大切に出来ていなかったのかもしれない。


リスペクトし合える関係しか
今の俺には意味が無い。

俺を嫌う人は去ってくれていいと今は
はっきりそう思ってる。

そして残ったメンバーで何か楽しい事をしたいなってね。


数年前に「濃いメンバー」って言ってたのを思い出した。

そうそう、濃いメンバーを求めてんだ俺は。
そして女子メンバーに力を入れてた。


俺の人生半分くらい女性に助けられてるように思うんだわ。
しかも、「男嫌いの女性」に助けられる事が多い。

ありがたいこと!
女性の方が感性が合うんだよな。
なんか柔らかいというか優しいというか
女性は思いやりがある。
いや、それだけではなく計算高いところもあったり
弱いところもあったり男なんて到底勝てないと思うくらい
強いところがあったり色々!
色々だから面白いし飽きないしいい!!

女性が思う存分活躍出来る場所を作りたいな。

そしたらもっともっと楽しくなるし
世の中わくわくすることが多くなる!
女性の勢いって本当すごい。
見てて面白い。

とりあえず陰口言われるような関係性を作らない自分でありたい。
せめて自分の組織を通して出会った人くらいは。
自分の組織の中だけは。

全ては己の改善で解決出来るはず。
人のせいにせず
言い訳せずやっていこう。

心からリスペクトしてやまない人間と
テンション上がることやっていきたいな。

2014年2月12日水曜日

弱者の戦略。〜小さな実績をまず作る。〜

俺はいつも何もないところから
スタートしてきた。


楽遊会だってミクシイはじめて
ソッコウでまずコミュ立てて
それからどうするか考えてた。

行動しなければスタート地点にも立てないんだよな。


それでさ、
実績も何も無い、
コミュニティのメンバーも全くいない状態から
スタートしてどうやって結果を出すのか。

弱者はいつだって
軽くあしらわれるし不利な立場に
おかれることも少なくない。

そこに疑問を持ってもしょうがない。
世の中ってそういうものだから。

そこを変えようとするよりも
自分のアイデアで
不利を有利にチェンジする方法はないか
考える方が建設的。


話しを聞いてもらうには
相手にとっての圧倒的なメリットが必要。

弱者は「対等」ではダメなんだよ。
そんなぬるい事いってたら
いつまでも結果なんて出せない。

どんなことでもそうだけど
相手に自分が受け取る10倍の価値を
受け取ってもらうことを
最初は意識したらいいと思う。

そしてどんなに小さな実績でもいいから
数字でちゃんと実績を作り証拠を残す事。

映像でも写真でも文章でもメディアでもいいから。


何も無いところから何かを作る作業は
雪だるまを作る事と似てると思う。

小さな手のひらにおさまる程度の雪を丸めて
それを転がして大きくしていく。

だから、まず核となる手のひらサイズの雪、
これがないとスタートは出来ないわけなんよな。

この手のひらサイズの雪にあたるものが
小さな実績であったり
相手に10倍の価値を受け取ってもらうという
精神姿勢だったりするわけなんだけど。


まずは小さな実績を作るところから。
そしてブランディング。

価値を生み出し発信し評価してもらう事で
はじめて価値は数値化されると思ってる。

自分を最大限魅力的に見せる方法。。
現代ではSNS、ブログ、ホームページ等も使えて
動画や写真を効果的に使いより魅力的に
見せる事が出来るようになってる。

ソーシャルメディアの力を磨く事は
夢追い人全てに共通してお勧めする。

こんなに便利な時代は無い。
パソコンで誰でも自分の情報を発信出来る。

どこかに所属するよりも
俺は自分で自分の組織を立ち上げる事を
お勧めする。

でも、誰もがリーダーになれるわけではないので
自分自身はどういった性質の人間なのかを見極めて
最高の二番手を目指すのか
リーダーとして道無き道を切り開くのか
縁の下の力持ちとして活躍するのか
本領発揮出来る位置づけを目指すべき。

組織に属するなら
その組織の方向性やコンセプトに自分の夢は合うのか
考えてからの方がいい。

じゃないと全力を注げないしね。
メンバーはさておきリーダーに共感出来るかどうか。
それは大切。


グループや組織として
個人では作れないような実績をみんなで作るってのも
ありだと思う。

弱者の戦略、俺が意識してるのは
どんなに小さくてもいいから実績を作り
ブランディングに活かす事。

特技がないからといって自信を失う必要は無い。

特技や夢がないからといって
自信を見いだせない人って
世の中結構いると思うんです。

俺は運良くやりたい事も
普通の人よりは出来る事もいくつかある。

けど、それがえらいだとかすごいだとかは
全く思ってなくて
上には上がいるし果てしなくすごい人は存在してる。

自分に対しては少しくらい人より出来ることがあっても
結局一位じゃないと自慢出来ないと思ってるから 。


大切なのはさ、
スキルのジャンルやレベルじゃないと実は思ってて
本当の本当に大切なのは
自分が身につけたスキルが
人の役に現在たってるかどうかなんだよ。

人の役に立ててはじめて
「価値」があるということになる。

履歴書に書く為にとる資格とか
俺からしてみればマジどうでもよくて
じゃあ、そのスキルを使って社会や人に
どう貢献出来るのかって話しで
そういう話しが出来ないのは
ちょっとさみしい。

人に言われたから。。とか
みんながやってるから。。とか
そういうのもどうでもよくて
じゃあお前はどうなんだよって話し。


誰かの為に自分は何が出来るのか。

特別なスキルなんていらないよ。

おばあちゃんがさみしいと言えば
自分の事のようにお話しを聞いてあげられたり
つまらなそうな顔してる人を
笑わせられるだけでもいい。

誰かにとって
一日が終わる頃
「ああ、なんだか今日はいい日だったな。」
って思ってもらえるその一つの要素として
自分が存在してればそれでいいんだ。

2014年2月4日火曜日

続。



人間的なレベルについてよく考えます。

僕の場合、今もじゅうぶん愚かだと思いますが
若い時はもっともっと愚かでした。

誰の言葉も届かない程に。


色んな 経験をし上辺や表面だけではなく
「根本」から変わろうと思ったのです。

それから人間的なレベルはあがっていったように思います。


表面上だけうまくやろうとするあざといやつのやり口は
意外と見破られています。

何故なら、僕を例に言えば
僕自身が昔あざといやつだったから。


気持ちもわかるし、心理状態もわかるのです。
だから、相手が表面上隠したつもりでいても
はっきり見えてしまう事があります。

そんなときは、笑えません。笑


極論として
表面上、上手く出来るように見せることや
自分を大きく見せることには何の意味もない。

自分よりもレベルの低い人は騙せても
レベルの高い人は騙せないのだから。

それよりは不器用でも一生懸命生きている人の方が
かわいらしいし好き。


僕が理想として考えていた「自由な国」というのは
一つ落とし穴があることに気付きました。

その国に住む住人が全員
一定以上のレベルじゃないと成立しないということ。


悪口や噂好き、口が軽いやつは
トラブルしか生まない。

そんなやつは火の無いところに
ケムリをたてるんだよね。

それで相対的に自分を優位な位置に
持っていこうとする。

そんなやつがいたら何やってもうまくいくはずがない。

生まれてきた芽を枯らせるような人間が
一人でもいれば成立しない。


そのことに気付いた。

誰にでも見返りを求めずその人に友達が出来ますように。と
行動してきても結局妬みかなにかわからないけど
わけのわからない噂を流したりする人がいれば
組織だってうまくいかなくなる。

まさに百害あって一利無し。


嫌われる人には嫌われる理由がある。
友達がいない人には友達がいない理由がある。

その理由を無視して友達を作ってあげようと
していたのかもしれない。

その結果何度裏切られてきただろう。

全部「いいよ、いいよ」で済ませてきた。
それが美徳であり器だと思っていたから。


しかし、甘やかす事は堕落した人間しか
生み出さないのかもしれない。

甘えた気持ちが恩を忘れさせ
影で恩を受けた人の悪口を言わせるのであれば
それは断つべき。


自分のことはいい。
俺は確かに適当な人間だし
どうしょうもない部分もある。

けど、仲間の悪口やうわさ話を
面白おかしく影でやってるやつは
俺の組織には必要ないな。

他人は他人、自分は自分でしょ。


人の事はどうでもいい。
自分がしっかりしてればいいだけでしょ。

人を批判する時間があるなら
自分を磨く時間にあてたほうがいい。



尊敬出来る間柄じゃないと
仲間とは言えないな。

日々勉強だな。
どこかで全ての人を救えるような人間に
なりたいと思っていたんだ。

でも、愚かなまま救われたいと思う人間にまで
手を差し伸べる余裕は自分にはないのかもしれないと思った。

俺だって完璧な人間ではない。
だから成長したいと望みその為に行動をしてる。

同じように現在、どんな人間的レベルであっても
成長を望む奴らとは共に生きたい。

しかし、成長を止め愚痴ばかり言い
現状に満足し人を批難し
足を引っ張り人に自信をなくさせるような人に
使う時間や労力はない。

俺には一緒に成長したい仲間がたくさんいる。
自分の事を後回しにしてでも
人を想いやれる心を持った仲間がいる。

そいつらにもっと集中して時間を使いたいと思った。


人はいつか、離れていくかもしれない。
今、慕ってくれている人達も
もしかしたらいつか捨て台詞を吐いて
消えるかもしれない。

それでも今俺がそいつらを好きなのなら
全力でやればいいだけだよな。

それが本当に見返りを求めないということだよな。

後の事はわからんよ。

今後どうなるかなんて知らん。


けど、どうしょうもなく人間を愛しく思う気持ちが
生まれることがある。

丸い気持ちになれることがあるよ。


俺は思った。

俺が関わりたい人と関わろうと。

なんだかすごく当然な事のようだけど
俺にとってはなかなかたどり着けなかったんだ。

昔は当たり前に出来てたはずなのに。


そして俺を慕ってくれる人を仲間におこうと。

これも当然で俺の事を嫌いな人を
無理に引き止める必要も無いし
居てもらう理由も無い。

だから、俺の事を嫌いな人は
俺の組織に残り悪口を言い続ける必要もなくなる。

俺の悪口を言ってる人が居て
悪口を言わせてしまってるのは俺だと思ってる。
だから申し訳ないなと。

本人も苦しんだだろう。
それを理解してほしくて伝えているのだろう。
そんなマイナスな感情からは
解放されたほうがいい。

そして関わらないのが一番いい。


人生において誰と関わるかなんてじゆうなんだから。



なおきちの組織に所属するメリットは受けたい、
でもなおきちは嫌い。
もしそんな人がいるのであれば
自分で組織を立ち上げる事をお勧めする。

そこでどんなメリットだって生み出せばいいし
自分のルールでやればいい。

俺は俺の組織の中で自分のルールでやってるだけだから。



この10年人を許す事を練習してきた。
どうしても人を許すのが苦手だった。

だから、なんでもオッケーっていうキャラできた。
その結果、だいぶ心はゆるくなったけど
そのゆがみが出てきてる。

昔の俺だったらすぐに噛み付いて
なめられることはなかった。
その代わりとっつきにくかっただろうね。

今の俺はほとんどの事は「いいよ、いいよ」で済ますけど
調子に乗るやつもいるしなめられる。

なかなかバランスよくは出来ないものだ。


利用してやろうという人間は顔にそう書いてある。

俺が見返りを求めないのをいいことに
言いたい放題の人もいる。

どれだけ時間と労力を使っても
言い訳ばかりして先に進まない人もいる。


その人達は最初からそうだったんだ。
自分がわかってて首を突っ込んでんだから
その人達が悪いとも思わない。
ただ、勉強した。


人間とは扱いづらい生き物だ。
自分自身に対してよく思う。

我が侭で貪欲でどうしょうもない。



自分の意見は貫きたい、
でも努力はしません。
反対意見は出します、
けど、建設的なアイデアは出しません。

なんて人はざらにいる。


昨日言ってた事を今日覆す人だっているし
何を信じて何を疑えばいいのかなんて
わからないよね。

そんな中で
人を責めずに自分を改善することで解決出来ないだろうかと
考えついた。

ほとんどの場合、相手がどれだけ悪く思えても
自分の人間的なレベルが高ければ
防げたりするように思う。

なにごとも言い訳にはならない。

相手を責めるより自分が成長しようとよく思う。

人に期待しない。
とても冷たいように感じるけれど
人に期待してしまうとイライラすることが多いのも事実。

自分は自分のやるべきことをきちんとしていれば
それでいいだけだ。
人が出来ていない事を無理に責める必要は無い。

その人にはその人のスタンスがあるのだから。

自分にだって未熟な部分があるよね?
だから、お互い様なんだ。



あまり辛辣なことは書きたくない。
自分の心も少し不安定になるしね。

しかし、ちょっと自分を変えないといけないと
直感が言ってる。

居心地が良すぎるくらいの人間を目指してたけど
それだけではきっとダメなんだ。

また成長しよう。
様々な価値観を吸収して
思考の習慣を変えよう。