2014年1月27日月曜日

恩を絶対に忘れない人。

人との関わり合いの中で
感じる事があります。

僕の場合、人にすることは
見返りを求めずにすると公言しています。
実際、そうしています。

誰かと接する時、
この人に対して自分が出来る事はないか、
お役に立てる事はないか。。
そんなふうに考えます。

見返りを求めない分、
自分自身も自分のペースでやることが多い。

もう、それが習慣化されているので
誰に何をしてあげたとか
いちいち覚えていない。笑


だから、なおきちさん、いつもありがとうございます。
って言われても、俺、なんかしてあげたっけ。。

。。。あ、あれのことか。

ってなる。 笑



感覚的に思うのです。
ちょっとスピリチュアル的な話しになってしまうのですが
「自分も相手もない」と。
地球にダメージを与えれば人間だって困るのと同じで
相手にダメージを与えれば
自分にだって不幸が訪れる確率は高くなる。
逆に、相手にプラスな事をしてあげると
自分にとってチャンスに巡りあえる確率は高くなる。

「運」って、くじをひいたり宝くじを買うのとは違って
積み上げれるものなんだと思っています。

ほとんどの場合、チャンスは人がくれます。
いつもお世話になってる人と嫌いな人、
自分だったらどっちにチャンスの話しを
もっていきたいか。。

やはりお世話になってる人ですよね。
では、チャンスの話しをふるなら
見返りを求めて行動してる人か
そうじゃない人か。。

そんなふうに考えていけば簡単にわかること
なんですよね。

見返りなんて求めるまでもない。

人間の心理なんて法則や本質に比べれば
本当に小さな物。

意思の力は必要だけど
本質を知れば川が上から下に流れていくように
変わる事の無い力を知り
心穏やかにいられるようになるのです。

なるようになる。

成る可くしてなる。

全ては「当然」のこと。



だから僕は本質について
色んな人に教えたい。

心が楽になるし
悩みのほとんどは解決するような気がしています。

僕自身、誰かに教えてもらったものではない。
自分で探したくさんの本を読んできた結果
蓄積した価値観を自分なりにまとめたもの。


最近、恩について考えない人がすごく多いような気がします。
僕は見返りなんて求めていないので
自分がしたことに対して相手が恩を返さずとも
そういうことは考えません。
それとこれとは別だと思っているからです。
しかし、本質とはズレているということは感じます。

怒らないからいいや。
細かく言われないからいいや。
利用しても何もいってこないだろうからいいや。

そういう精神姿勢ってのは透けて見えます。
もちろん、僕は何も言いません。
その代わり、今後その人の優先順位は下がります。

だって、僕にはたくさん貢献したい人がいるんですもの。


恩を忘れ影で悪口を言う人もいます。
感謝される事はあれど
悪口を言われる筋合いは無いと思うけど
その人の中にマイナスの感情があるのは
確かです。

嫉妬、妬み、そこからくる憎悪の気持ち。。
本当はそんな苦しいもの持たなくていいのに
自分に自信がないから
無駄に攻撃しようとするのですよね。

あと、人の悪口を言って
相対的に自分の価値を高めようとする人もいます。

こういう人も愚か。


あと、何故か僕の立ち位置になろうとする人さえいます。笑
僕と同じような言動、立ち振る舞いをして
僕の組織の中で立ち回ろうとする人。笑

これに関しては「誰が」するかによって
結果は大きく違うという観点を忘れているのだろうなと思います。

僕がするのと違う人がするのとでは
大きく意味合いが変わってくることって多い。

僕が許されるからといって
違う人が同じ事をすればメンバーから変に思われる事も
あるでしょう。

好き勝手したいなら
自分で組織を立ち上げて
自分の組織の中でやればいい。

そういう発想や力のない人がこんな行動にでやすい。

0を1にするのが何より大変なのに。
出来上がった組織の中で
うまく立ち回ることなんか
組織を立ち上げる事に比べれば簡単。


あと、色んな情報を握り「情報通」っぽい感じで
面白ろおかしくうわさ話や陰口をいうひと。
こういう人が一番厄介。

基本的に口が軽い人は一切信用していません。
噂好き、悪口好きも同じ。
全く信用しない。
それなりの距離で関わる。


悪口、噂ってのは
誰が言ってたというところまで
本人に届くようになっています。

友達が少なかった人が
何かのきっかけで急に友達が増えたり
したときにこういう方向に進む人が見受けられる。

人との関わり方を知らないんだろうなと思う。



何があっても恩を忘れない人もいます。
普段連絡をとらなくとも黙々と結果を出そうと努力し
結果で恩返しをしようとする人。
口であれこれ言う事は簡単ですもんね。

行動、結果で示そうとする人って本当にすごい。
精神姿勢がすごいと思うし尊敬出来る。
分かりやすい数字、具体的なメリットで
返そうとしてくれる。

僕は基本的にマイナスがなければそれでいいと思ってるんです。
恩返しなんてしてもらえると思って
人に何かをしているわけではありません。

しかし、このようにずっと恩を感じ行動し続けてくれている人が
いるというのは本当にすごいことだと思うし、
素直に嬉しい。

気持ちがまず嬉しいですよね。

恩は返してくれとは言わないから
僕にとってマイナスな言動や行動を
とるのだけはやめてほしい。

誰かが僕の悪口をいうとき
僕にも必ず原因があると思っています。

別に相手を攻撃もしていないのに
攻撃されると不思議な気持ちになりますよね。

いろんなところから
意外な人が意外な事言ってたという話しを聞きます。笑

人を悪く言う人と
そうじゃない人、
どちらを信用しついていくか。

誤解がとけたときどうなるか。
それは考えたらわかりますもんね。


誰に対しても出来るだけ友好的でありたいとは思う。
僕が態度を考える人はよっぽどだと
周りの人も思うだろう。

何も理由無しに人を嫌う人ではないと
僕を知る人は思ってくれるだろう。

今まで、僕に背を向けた人の事までかばってきた。
本来そんなことをする必要もないのに。

その結果、デメリットもたくさんあったように思う。

普通にやりたいことをやりたいだけなのにな。
誰の邪魔をしたいとも思っていない。
今もそう。

心穏やかにそれぞれがそれぞれのやりたいことを
真っすぐにやればいい。

それだけの話しなんだよね。

イヤなら関わらなければいいだけだし
わざわざ人の悪口をいう必要もない。

少なくとも僕はそうしています。

そして今関わらない人にも
心で感謝している人もいます。

結果的に離れていった人に対しても。

人を心から嫌いになることなんてほとんどない。
誰にだっていいところがあるから。
だからみんなで成長していきたいな。

言い訳をせず直すとこ直したら
みんなが心地よくいられる空間が出来るんじゃないかな。

そういうの目指したい。
出来れば誰もきりたくないしね。

注意してもダメなら考えないといけないけどね。
みんな仲良しがいいね。

その為にひとりひとりが意識していこう。
みんなの居場所であるために。

2014年1月26日日曜日

知ったかぶりは「知らない」を露呈している。

知ったかぶりする人っていますよね。
きっと、本人は知ったかぶりした事を
周りが気付いていないと思うから
知ったかぶりするのだと思いますが
正直、人間的なレベルが高い人から見ると
知ったかぶりは簡単に見破られてしまいます。

人間的なレベルの高い人、コミュニケーション能力のたかい人というのは
過去の相手との会話の内容を克明に覚えていたり
直感的な違和感を感じる物なのです。

あと、知ったかぶりをする癖を持つ人に対して
1回で気付かなかったとしても
関係を継続していけばいくほど確信に変わっていくものなんですよね。


知ったかぶりをしてしまう人の心理として
自分に自信が無い、無知を恥だと思っている、
馬鹿にされたくないというものがあるのだろうなと
感じます。

しかし、知ったかぶりをして
それを見破られたとき、
知ったかぶりを繰り返す人だと断定された時
信頼は大きく失墜するし
知ったかぶりをあえて指摘する事はなくとも
イラッとさせてしまうものなので
やめたほうがいいですね。


実は僕も昔は知ったかぶりしまくる人でした。笑
まさに馬鹿にされることがこわかったんですね。
なんか格好わるいし。

でも、知ったかぶりすることの方が格好わるいと気付いた時から
知らない事はあえて知らないと答えることが多くなりました。
どっちでもいいことは流したりすることもありますが。笑

知らない事を知らないと誠実に伝えれば
相手から教えてもらえるかもしれないという
ラッキーなチャンスにも巡り会える可能性が高まります。

また、相手から教えてもらえなくても
帰ってGoogleで調べればいい。
気付きのチャンスをもらえるんですね。

そうしていれば知らない事は少なくなってくる。

知ったかぶりをしてその場をうまく切り抜けたと思い込んでも
実は見破られていて相手をイラッとさせてしまうより
100倍いいですね。

本当気をつけたいものですね。

2014年1月22日水曜日

友達が多い人と少ない人の違い。

高校卒業するくらいに多かったんだけど

「俺は大阪に行く。」
「私は東京に行くの。」

理由を聞いてみました。

「え?ふくやまってしょぼいじゃん?」

「なんか福山っていい人いないし。」


そんな返答でした。
そのときはそうなんだ。。くらいにしか
思っていなかったんだけど
どういう理由かって大切だと思いました。


僕は基本的にはどこでやっても同じだと思っています。
そりゃあ完璧に同じってことはないだろうし
チャンスも確かに転がってるのかもしれない。

でも、チャンスってのは基本的に
実力がありスキルが高い人のところに
集中するでしょ。

東京はチャンスの数も多いだろうけど
自分よりスキルの高い人なんて
どこにでもいるっていう状況。
むしろ、頭数で割るとチャンスの数は
少ないんじゃないかと思ってる。

サイコロを振れば振る程
出る目の確率は一定の数値に近づいていくのと同じで
結局どこに行っても成功するかしないかは
一定の数値に近づくんだと思う。


なんでこんな話しをするかというと、
僕自身友達は常に多い方ではありませんでした。

嫌われ者の気持ちもわかるし
ヤンキーもオタクもおしゃれさんも
勉強ばかりしてる人も関係なく
繋がっていました。

そんな中嫌われる人の特性に気付いていったのです。
逆に、好かれる人にも一定の特徴があると感じました。

嫌われる人は現状のせいにする。
好かれる人は言い訳をしない。

嫌われる人はマイナスな発言が多い。
好かれる人はプラスな発言が多い。

嫌われる人は判断基準が自分。
好かれる人は判断基準が周りの人。

嫌われる人は自分が得しようとする。
好かれる人は人を得させようとする。


どんな状況でもベストを尽くせば
最善の結果は出せると思います。

他県に行ったとしても
結局自分が嫌われる行動をとってしまえば
どこに行っても嫌われるし
好かれる人はどこに行っても好かれる。

そのことに気付けていない友達が多かった。


もちろん、どこでするかってのも大切だとは思うけど
まず、どのようにするのかが一番重要。

何をやってもうまくいかない人は
何をやってもうまくいかない方法でやってるからなんですよね。

おそらく、本当のお金持ちの人は
今全財産を失い例えホームレスになったとしても
余裕でそこからスタートして
同じ地位に戻るでしょう。

どこでやるかとか現在どういう状態かってのは
圧倒的に不利でない限りはそこまで関係なく。


何が「無い」ということにフォーカスするのではなく
何が「ある」のか、武器はなんなのか、
どこを攻めるのかにフォーカスし続けてるから
なんだろうなと思います。

臨機応変に状況を見て判断して
本質の力を使ってカスタマイズして
どこででも結果を出せる。

それが本当の実力者だと思っています。



人と最善な信頼関係を構築出来るならば
極端な話し、自分自身は何も持っていなくても
周りの人が必要なものを持っていれば
成立すると思うんです。

それは他力本願という意味ではなくて
人を動かすにはwinwinの関係にないといけないので
相手にとっての最大限のメリットをまず考えるということです。


これが成功する人の思考。
失敗する人の思考は逆で
何も自分にはないという事にフォーカスしてしまい
なにも持っていない事を実感する為に多くの時間を使ってしまいます。
そのうえ、自分が得する為にどうするか。。という事しか
考える事が出来ないので協力者もでません。
精神姿勢というのは外の世界にも大きく反映されてしまいます。


本当に友達が多い人っていうのは
ただ目の前にいる人に最善を尽くしているだけなのかもしれません。



世の中の本質っていうのは
目に見えてることとズレてる、もしくは正反対の事も多い。
だから面白い。




友達を作りたいなら
友達になりたいと思ってもらえるような
自分になりなさい。

友達になってほしいと伝えるのが苦手なら
向こうから友達になってほしいといわれるくらい
自分を磨きなさい。

己の芯となる絶対に譲れない少量の事以外は
捨ててしまいなさい。

相手が何を望み何を考えどうしてほしいのか。
表情や態度、過去の言動、価値観、思考パターンから
推測しなさい。
それが空気を読むということ。




友達を作るのが難しくて
自分には出来ない。。と思う心から
無意識のうちに友達なんていらないという人がいます。

友達を作らないメリットなんてない。
本当の友達ってやつはさ、
空気みたいな存在だよ。

友達を鬱陶しいと思うなら
本当の友達を作った事がないからだよ。

お互いを思い合って距離感もお互いがとるのだから
鬱陶しいっていうことにはならない。

自分の事しか考えていない人を
友達だと言ってはいけない。

そんな事をしてしまえば友達ってなんて
めんどくさいものだと感じてしまうでしょ?


頻繁に連絡なんてとらなくていいんだよ。
仲良しアピールもいらない。
気が向いたら遊んで
飽きたら帰って
そんなふうにつかず離れず何年も気を使わずに
関わっていける人っていうのが
本当の友達だと思うよ。

押し付けがましいやつは友達ではない。
こっちの気持ちも考えずしつこいやつも友達ではないでしょ。


自分が見返りを求めず最善を尽くすに値する人だけと
友達になりなさい。
相手からは何もしてもらえなくていい。
本当の幸せとは自分が相手に施す事で生まれるものだ。

施したい人に施させてもらえること、
それが幸せってやつの正体だと僕は思ってる。


見返りを求めるという考えは押し付けがましい。
経済の世界ではある程度しょうがないだろうけど
それを友達との関係にあてはめるのは
ちょっと違う気がするな。


また、友達や恋人等
一般的なスタイルにはまらない関係性ってのも
現代では増えてきていると思う。

そういうものも安易に批判するのではなく
本人同士が納得しているのであれば
受け入れるべきだと思う。

 その代わり、その場合、女は弱い立場なんて
思ってはならない。
そんな考えがあれば関係が解消されたときに
男を責めることになるだろう。

お互いが納得してはじめたことなのに
男だけを責めるというのはおかしい。


女性も男性も
僕は同じ地位で見ていきたい。

対等でフェアであるべきだと思ってる。


給料や雇用の条件だって
同じでいいと思う。
いまだに女性の方が不利だったり
給料安いなんてのがあるみたい。

そんなのおかしい。


男女もフェア。
友達同士もフェアであるべき。


友達を無理に多くしようとは思わないけど
友達が自然に増えるような人間性を身につけたいとは
強く思う。

2014年1月20日月曜日

新しい気持ちで。

様々なものに影響を受け影響を与え生きています。
誰もが。

そんななかでくたびれてしまうこともあるでしょう。
絶望的な気持ちになることもあるでしょう。
時に人生は終わりの見えない暗闇に思える事もあるでしょう。

そんなとき、ふと終わらせてしまいたい。。と
思ってしまう事もあるかもしれません。

でも、よくよく考えてみれば
それはあなたが悪いのではなくて
あなたが受けた影響のせいなのかもしれません。


全ての原因は自分にある。
いいことも悪い事も。

これは常々僕が思う事です。


しかし、周りの人に対しては同じようには思っていません。
外部の影響で心が沈んでしまったのだな。。とか
イヤな事があってくたびれてしまったんだな。。とか
自分ももちろんそういう経験はあるから
すごくわかります。

自分に厳しくありたい。
まだ未熟で100%そう出来ているとは言い切れないが。
しかし、それを人に押し付けたくはない。
自分に厳しく人には優しくという言葉を
若い時の自分は無理だと思っていた。
本気で自分に甘く人に厳しい人間だったから。。

何事も意味を見いだせなければ行動出来ません。
自分に厳しくあることは
自分の成長を望む心がそうするべきだと言っています。
人に優しくあることは
今までのどん底の経験から気持ちを汲み取り
自分の事のように考え
相手の思考レベル、価値観と自分のそれを合わせ
「理解」したいと歩み寄る姿勢。

そのことで相手の心を救えることが出来れば。。
と考えます。


子供に向かって大人の考え方を押し付けたりするのは
ちがうように、相手の価値観と思考のレベルに合わせる、
つまり、目線を合わせて「一緒に」考え、感情を享受することが
大切だと思っています。

その為にはいい事も悪い事も
自分自身がたくさん経験しておかなければなりません。
愚かな事も崇高な事も
実際に行動しておきどんな感情になったかを
知っておかなければほんとうに人の気持ちなんて
わかりはしません。

過去、今よりずっと愚かだった自分を
反省し続けると共に
その経験を活かす。

これしかないと思っています。


これからも何度となく失敗し
愚かな行動をとってしまうかもしれません。

その度反省し活かすしかない。


人の気持ちをわかるということは
まず、自分の気持ちをわかるということ。

何も経験していない人は
本当の痛みや辛さは想像しにくいと思うから。


苦しいとき、楽になりたくて
生み出した思考法もあった。

どうやれば心穏やかに
人と関わっていけるかを磨いてきた。

人間の人生において起きる出来事は
そんなに変わらない。

もちろん、努力していない人はそれなり、
努力した人、リスクを恐れず突き進む人には
よりハイレベルな喜びや悲しみを与えられる。

そんな中で幸福だと考える人もいれば
不幸だと感じる人もいる。


自分の行動一つで結果は変わり
周りからの反応も変わり
嫌われていた人間だって
好かれるようになる。

それなのに言い訳ばかりして変わろうとしない人は
本当に多い。

人は変えられないと思っている。
だから、押しつけはしない。

ただ、とても勿体ないとはいつも思う。


しかし、僕自身もきっと
もっと優れた人からすれば実力もないのに
自分を大きく見せ偉そうなことばかり言ってるやつなんだろうな。

それでも僕は僕の納得のいく方法しかとれないんだよな。


現状を変えたいなら「方法」を変えるしか無いんだよ。
現状は過去の方法の結果。
現在の方法を変えるということは
未来という結果を変える行為。


僕は人に言われても自分の考えを変える事は難しいが
24時間考え続け自分で生み出した思考、
心から納得出来た思考は
一瞬で受け入れ行動に移す事が出来る。

変化自体を恐れているわけではない。


望んだ結果を得られないのであれば
方法を変えてみればいい。




ここ数週間で縁あって色んなところに行く機会をもらえた。

今、少しだけ新しい気持ちが
生み出されてる。

常に思考の新陳代謝が行われていて
周りから僕を見るとなんだか変にうつるかもしれないが
自分の中では常にリアルを生きていて
ここに書くこと全てが実感していることであり
極力かっこつけずに書いている事。

ここにはいいことも悪い事も書こうと決めてる。



先日、仲間が心配してメールをくれた。

そんなに心配させてしまったのかと
ちょっと反省した。

俺は今までいいところばかりを見せすぎてた気がしたんだ。
本当は崇高な人間でもなんでもない。
かといってウソをついてきてるわけでもない。
ただ、いいところばかりを見せていた。

だからいつも人間味がない印象を受けていた人もいるかもしれない。
影の言葉を発しないから逆に信用出来ないと思う人もいたかもしれない。
もしかしたら常にプラスな発言を意識していた僕を
評価してくれていた人もいるかもしれない。

無駄に愚痴を書くのは好きではない。
悪口を書くのも。

自分自身のリアルな心境はマイナスな感情をなくして
語る事は出来ないような気がした。

賛否両論ある考えだって心の中にはある。


なんだかね、無性に
「もっと強くならなきゃ。」と
思っている自分がいる。



社会にどれだけの価値を提供出来るのだろうか。
最も効率的に重要な社会貢献をするには
どうするべきなのだろうか。
価値で貢献出来る人でありたい。

そしてなんでもかんでも「無料」ならいいという考えも捨てたい。
無料や低価格、値引きをすれば親切だという考え。

価値を抑え価格を抑える事を考えるよりも
価値を最大化させ価格は相応という部分を
目指さない限りは自分も自分が提供出来る価値も
結局は最大化しないとこの一年で気付いた。


今こうして自由に活動させてもらえてる事は
本当に奇跡的で今のこの時間を最大限有意義に使う事が
現在の僕の使命だと考えている。

この1月の前半はネットでの仕組み作りに費やす為に
ほぼ1人ですごしてた。

人にも会っていかなきゃ。



本気で人生を変えたい、夢を叶えたい、
好きな事を仕事にしていきたいという人と出会いたい。

その事に関しては僕はスキルという面では
貢献出来ると思ってる。

よくあるネットワークビジネスのお誘いではない。

具体的なネットでの情報発信ツール(SNS・ブログ等)の使い方
リアルなコミュニティ構築の仕方
実績を作るために数字を作ったり写真、動画で残す重要性、
チラシ、名刺作成の仕方、
コンテンツ自体を持っていないならハンドメイド等
コンテンツそのものになるスキルも教える事が出来る。

ネットワークビジネスを否定するわけではない。

しかし、僕の組織ではネットワークビジネスは使わない。
そういう決まった枠組みに入って活動するのではなく
個人単位での活動をお勧めしてる。

誰かのやり方に疑問を持ちながら
友人にも疑問を持たれながらやることっていうのは
僕の中ではストレスになるし
いくらお金を稼げたってやっぱり現在の大好きな友達を
失う可能性があることはしたくない。

あと、僕のように色んな個人的な活動をしてる人は
あることないこと噂がつきまとう。

本当の自由とは何かを考えた時に
ちょっと日本ではまだネットワークビジネスは
早いかな。。というのが個人的な見解。

これだけたくさんの人と知り合う僕でも
ネットワークビジネスで成功し続けてる人には
なかなかお目にかかれないし繋がる事が少ない。

一時的に収入を増やした人でも今はどうしてんだか。。とか
あの会社の名前聞かなくなったなとか。。


もちろん、僕はネットワークビジネスに一切偏見はありません。
合法であり立派なビジネス、ちゃんとした会社も
多いのは知っています。

それにネットワークビジネスをやってる友達もいます。
彼らは本当によく頑張っているし
夢に向かって努力もしています。

彼らを否定しようとは思わないし
むしろ応援してる。
方向性は違えど成功してもらいたいとも思っている。


去年までの僕は善し悪しを判断するのは違うと思っていた。
しかし、個人的な見解として書く事は
悪い事ではないと思った。
批判するわけでもない。
リスペクトする気持ちを持ちながら
自分の方向性、自分の組織の方向性とは
現段階では違うと意思表示することによって
僕の組織のメンバーが迷わないと思った。

リーダーは方向性を常に示し続けなければならない。

誰かは賛同し誰かは離れていくかもしれない。
それでも曖昧な方針では強い組織は作れないと思った。


目的や属性があるからこそまとまるんだよな。

俺の組織が全てじゃない、
全体の中のたった一つ、一部分を担う存在であればいいんだ。

だからストイックであろうがニッチであろうが
かまわないはずだ。


大きく門を開く楽遊会にも最低限のルールを作り
そこから小さなグループに割り振る。

これが現在考えるなおきちの方法。


人の属性を見分ける事が出来る特技を活かせる。

誰もが快適に過ごせる空間を作るには
これが一番いい。


本来、マニアックな話しや身内ネタ程盛り上がりやすい。
しかし、知らない人からすればどうでもいい話しを
長時間されるとうんざりする。

一方は最高に楽しいから残るが
もう一方はそういう状況が続くと離れていくだろう。

過去の経験から様々なケースを考え
頭の中で検証し最善の方法を思いついた。

机上の空論かどうかはやってみないとわからない。


さみしい人を減らしたい。
ひとりぼっちのひとを。

ひとりぼっちのひとは嫌われる要素を
持っている人も少なくない。
嫌われる要素に気付き成長出来る場所も
最終的には作りたいんだ。

そしたら人生変わるでしょ。

誰だって嫌われたくないんだ。
好かれたいんだ。
でも、方法がわからないんだ。。

なかなか真っすぐに受け入れることが
出来ない人もいるかもしれないけど
1人でも人生を変える人がでれば
僕がやってることは意味のあること。

安易に嫌われ者を嫌うのではなく
関われるところまで関わろうとする姿勢は
見てもらったらわかると思う。

しかし、その結果メンバーに迷惑をかけてしまってるのも事実。

全体的なコミュニケーション能力アップをはかれるような
方法を見つけたい。

誰もが不快な思いをすることなく集まれるということは
簡単なようで難しいでしょ。

それは運営サイドで管理するには限界がある。

参加者ひとりひとりの意識の向上がはかれれば
より快適な空間が実現出来る。

幅広く入り口を開く楽遊会から入り
よりストイックな話し、
身内ネタで思う存分盛り上がれる場所等
気兼ねなく羽を広げることが出来る場所を
作りたい。



新しい気持ちになった朝。
そんなことを思ったよ。

2014年1月17日金曜日

水に金を見る。

先日温泉に行く事になり
数年ぶりに大衆浴場という場所に行ったんです。

そのときに様々な気付きがございまして。


服を脱いでしまえば
人間も動物の一つだなと実感しました。

全て脱ぎ去った時に何が残るのか。
年齢が若いというだけで美しいだろうし
肉体は衰えど知恵や経験は若い者に負けないという人もいるだろう。

社長もニートもフリーターも正社員も
服を脱いでしまえばそんなに大差ない。

誰が誰かなんて顔を見なければわからない。



現在の役職や立場なんて本当にあやふやで
会社が倒産してしまえば
会社が潰れる前幹部だったとしても
関係なくなる。

だったら、本当に価値ある人間とはなんだ。。


そんなことが頭をよぎりました。
どこにいても何をしてても変わらない人間としての魅力。。

肉体本来の身体能力。美しさを含む総合力、
アイデアの作り方や経験等の能力、
健康、そういったものだろうと思いました。


服を着てたくさんの情報にまみれている日常の中で
僕にとって温泉や銭湯はいつも日常の近くにあったけど
行ってみると非日常だと感じました。

もう一つ、精神的な気付き。
銭湯の中ではずっと何かしらの水(お湯)の音がしています。

惜しげも無く流れ続けるお湯を見ていたときふと思ったのです。
お金の流れに似ていると。

そこから思考は水をお金に例えその流れについて考えていました。


途絶えることなく水を同じ場所から排出し続けようとするとき
水は大きく分けて2つの方法で一定量を確保出来ると思いました。


1つはどんどん新しい水を手に入れ
流し続けるということ。

2つ目は循環。
新しい水が常に出ているように見えても
見えないところでポンプですいあげていたなら
また同じ水を同じ場所から排出することが出来る。

温泉は自然に湧き出るものが本来の姿かな。

銭湯は人工的に創り出した浴場。

これは似て非なるもの。


新しい水を常に出し続けるならば
古い水は排出しなければならない。

意識せずとも器を満たせば自然にこぼれ落ちる。

しかし、循環を意識しておかなければ
水の流れがうまく起きていない場所が古くなる。

そう、ここでまた気付いた。
水の流れは組織の流れにも似てる。

上から下に水は落ちていく。
新しい上の水は価値が高い。
新しい水は少ない。

古い水はありふれる。
たくさんある。

水は自分の意志で重力に逆らう事は出来ない。
しかし、間接的に何かの力を借りる事が出来れば
上にあがることが出来る。

ポンプなり人間の手なり。



自然を見るときに
様々な事を重ね合わせて考える癖がついているのだが
銭湯という場所は人工物でありながら
水が豊富にあるので考え事をするのに良さそうだと思った。

自分と向き合いたい時程
関わりのない人がたくさんいる場所に自分を置いてみるのもいいのかもしれない。

相対的な自分が見えるし
自分の中での当たり前を壊してくれる出来事に
出会える可能性もあるから。

何をするときもただ「やる」のではなく
共通の本質について考えながら行っていこうと思う。

素晴らしい気付きをありがとう。

2014年1月15日水曜日

解放コード。

僕たちが見ている世界がもし
0と1の組み合わせだけで作られていたとして
それを運命だと呼ぶのであれば
きっと従うしかないのだろうけれど
どこかにバグがないか血眼になって探す。

表面上の出来事は内部のスクリプトを
あらかじめ組んだ人間の手のひらでの出来事。

そんな可能性も否めない。


自由を想像出来る限界さえコントロールされているのならば
意思を意識しなければロボのままだろう。

創造の世界と競争の世界。
本当は選べるんだろ?


無限にある富の話しをしてくれる大人は周りにはいない。
競争がなければきっと困る人がいるからだろう。

世界の富の8割を2割の人間が所有するこの世界では
真実に気付けなければロボのままだ。

本質は海の底に。

法則は偉人の胸に。


僕たちが見える世界はほんの少し。
ヒントに目をやるんだ。
目を凝らして。
あるはずの場所見ろ。


バーコードはついてはいないものの
様々な足かせをマジシャンズトリックを使って
僕たちは選ばされてる。

ほら、よく見るテレビのマジシャン、
あのトリックさえ見破れないのに
本当に頭がいい人が何世代もかけて作った
ズルい仕組みに気付けることなんてないよね。

だとしても見るんだよ。
目を凝らすんだよ。

使われているのは誰なのか。
消耗しているのはなんなのか。


奴隷マインドを植え付けられた人間は
自信を持つ事さえ許されず
思考する気力さえ奪われていく。


はっきり言おう。
この世に安定なんてない。

変化と対峙することこそが本来の姿だ。


10年前の生活と同じですか?
どれだけ進化していますか?
変化を嫌い安定して10年前と同じことが
出来てる人、おめでとう。

インターネットでの買い物が当たり前になり
本でさえ自宅に届く。


古き良き時代はもうここにはないし
10年も経てば現実を見れない人間が
あの頃はよかった。。なんて
言ってんだろうね。

いやいやいや、あの頃もいいけど、
今も物凄くいいでしょ!


人間てのは無い物ねだりをするものだな。
こんなに満たされているのに。
なんだって出来る。
可能性は常に広がり続け今も目の前にある。

会社が家族を養ってくれる時代は
もう終わりを告げようとしているんじゃないかな。

これからは自分の力を磨き
現実と向き合った方がいい。

どんな小さなスキルでもいい。


ねずみとチーズの話しを知ってる?

新しいチーズを探す為に
知らない世界に飛び込むのは誰だってこわいだろう。
だけど、立ち止まっていたら手元にあるチーズは
食いつぶしてしまう。
その先に待っていることは。。
容易に想像がつくよね。
誰かがチーズを与えてくれるのを待つか?
他力本願でじっとして
他人がチーズをくれなければ文句をいうのか?
なんの努力もせず安定を願いうずくまっているだけで。。
それでもチーズをくれないと文句を言うだろう。


無意識のうちにそんなねずみと同じ思考を持ち
行動している人がたくさんいることに驚く。

大人になってしまえば
もう中学校の時の生活指導の先生はいないんだよ。
誰も怒ってはくれない。

自分で気付く能力をもとう。


ヒーローを待ってよかったのは90年代までじゃないかな。
今の時代、ヒーローなんていますか?
待っててもしょうがないんだよ。
自分がヒーローになるくらいの勢いで
アクションを起こさないと。

あと、「いつか」ってのも絶対に来ない。
今はちょっと。。とか言ってるやつに限って
来年も同じ事いってるでしょ。

このままいって来年も同じ状況なんだったら
はっきり言って今行動しても来年行動しても同じ。

だとしたら、今行動した方が1年分時間がプラスされる。
時間はお金よりも尊い。
当たり前だよね。

人間世界にいるとそんな当たり前のことさえ
時々わからなくなりそうになる。

お金より人
お金より時間

人あってのお金。
時間あってのお金でしょ。



深層心理の段階では本当は気付いてるのに
自分に言い聞かせるように間違った行動を
繰り返す人も目につく。

それを今自分はやるべきなんだ!
これしかないんだ!って。

そういう人程無理してるよね。

本当は視野を広げれば違う選択肢があるかもしれないし
これしかないと思い込もうとする人の心理って
「これ」じゃないと困るんだろうなと。

正解が「これ 」であってくれないと困る、
だって、こんなにも投資したんだから。
とかね。

でも残念ながらそれは個人の勝手な都合であって
この世界においてはどうでもいいと判断されることだったり
するんだよね。


もしさ、明日事故にあって
「あ。俺死ぬかも。。」
ってなったらさ、ほとんどの人は後悔するんじゃないかな。
俺だって後悔すると思う。
まだまだやりたいことたくさんあるのに!!って。
これからが楽しくなるとこなのに!!って。

さっきの話しに戻るけど
今行動するということは
1年後に行動し始める場合に比べて
1年分得してるんだよね。

どこで死んでも後悔はするかもしれない。
でも、その時に
「あのときの決断は正しかった。」
と思える自分でありたい。


お金なんて現世でしか使えないんだからさ。
会社とかお金とか家族とか色んな原因で
好きな事やれてない人たくさん。
俺もそりゃ色々問題はあるさ。
でも、そんなの言い出したらきりがない。
一度だけの人生、少々わがままでも
やりたいようにやってみようや!

周りがなんて言ってもさ。
結果を出す事が出来れば全てチャラになるような
大きな事やったらいい。

誰だって大なり小なりハンデはある。
平等じゃないかもしれないけど
長所は短所であり短所は長所なんよな。

それを短所ととらえるか長所ととらえるか
不利だととらえるか有利だととらえるか。

考え方次第じゃないかな。



2013年やりきってわかったことがたくさんある。
俺は俺の中での常識を過信していた。
常識に縛られるなと言い続けていた俺が
自分の視点を過信してしまっていた。
世の中には自分の想像を超えてる人がたくさんいる。
いい人も悪い人も。
その全てをフラットに見ていたかった。
しかし、甘い顔をし続ければ
どこまでもつけあがる人がいる。
本当に悲しい事。

ひとことで言ったら「なめられてる」んよね。
それで害が出てきてる。

最近、仲いい人と話してて
しょうもない人多くない?って。
そう言われてみると確かに。
しかも、そっちでも害が出てきてるらしい。
さらにいえば俺等のまわりだけではなく
結構広範囲でそうらしい。

俺が2013年までやり続けていた方法は
関わる人間がある一定レベル以上の人であることが
大前提なんよね。

だから、過信しすぎていたと思った。

もちろん、俺が優れているとか
俺はまともだと言いたいわけではない。

どちらかというと学歴もないし
常識もないし当たり前のことが
完全に出来るわけでもない。
どんくさいとこもある。

それでも人と接する時極力不快にさせたくないとか
色んな配慮は自分なりにもつ。


去年の暮れまで1人で持ち続けていた違和感は
俺1人だけのものではなかったらしい。

俺なりに分け隔てなく
接しようとしていた事は
逆効果だったみたい。。


そして俺が思う自由を誰もが同じように
求めているのではないこともわかった。

それぞれの幸せを大切にするのがいいと思ってる。







僕たちが見ている世界がもし
0と1の組み合わせだけで作られていたとして
それを運命だと呼ぶのであれば。。

俺は最後まで抗い続けるだろう。
自分らしくあるために。

2014年1月12日日曜日

世の中の本質を考える夜。

時代は変化していく。
確実に。
常に。

しかし、同時にずっと変わらないものもある。


変化を続ける時代の中でのこっていくものに
目を向けると本質が浮かび上がる。


例えば 上質な物 。
上質な物には需要があり
特にベスト1、つまりトップのものには
需要が集中する。

クォリティが高いもの。
これは上質なものとほぼ同じだけど
人間的なレベルやスキル等も含まれる。

かわいい・キレイなもの。
これらも時代を問わず好かれる。
しかし、時代によって意図的に
何がかわいいかという定義自体が
変わっていく。



そして繁栄する組織と人間にも特徴があると思うんだ。

優しい
心がある
芯がある
目的がある
社会にとって有益
スキルが高い

もっと色々あるだろうな。
本質にそわないものは
一瞬繁栄したように見えても必ず消滅していく。

人がよってくる場所・人には共通点がある。
うまくいかないときは自分を見つめ直すとき。

原因は常に外部ではなく
自分自身にあるものだ。


本質に近づきたい。
もっと。
もっともっと。

その欲は常にもっている。

変化する時代の中で
変わらないもの。

僕が目指し伝えていきたいものは
そういうものだ。

真の仲間を作りたい。
人間力、コミュニケーション能力、スキル、
どこをとってもこいつしかいないと思えるような。

何重もの円のように仲間を見ていく事になるだろう。
 一番近い人達の事は
誰よりも心から人間的に好きでいたい。

陰口を言い合うような組織なんて
なんの価値も無いから。

陰口を言い合うくらいなら集まらなければいいのに。
いつもそんなふうに思う。

全ては自分の意志だ。

何をやるにも。



もっともっとフラットに正しく
この世界を、人を見たい。
隠れた部分を見透かしたい。

そのために心理と真理、本質を学んだいこう。

根底からの成長を望む。
表面上の、上っ面のだけ良く見せる技術なんてもういらない。

本当の自分を見ていこう。
そして本当のあなたを見ていこう。

服を着ても言葉で取り繕っても騙されず
簡単に本質を見抜ける人になろう。

その為に様々なタイプの人間と向き合い
理解出来ない事は理解出来ないで終わらせるのではなく
心理をみていこう。

自分の器を磨くにはそれが一番はやいのだと
直感がいう。


世の中の本当の姿が
ありありと眼前に浮かぶような
目を養おう。

2014年1月9日木曜日

シンプルな事が楽しい。

遊ぶ場所がないとか
遊ぶ内容がないとか
思う時もあったけど
なんのことはない、
人と話しをするだけで
とても楽しい。

価値観が合うメンバーで
集まって話すっていうのは
本当に楽しい。

こういうのが居場所っていうんだろうなと
よく思う。

何をするかではなくて
誰とするか。
これは大切だよね。


楽しい事をしようと努力するのも
大切だとは思うけど
楽しい仲間を作ろうとすることは
もっと大切かもしれない。

誰でもいいわけじゃないんだ。
人にこだわろう。

2014年1月6日月曜日

フラットな価値観を証明した対価。

昨年まで自分はフラットな考え方であり
行動と言動を一致させることに徹していたような気がします。

価値観なんてそんなに一気に変わる事は無い。
そして行動の伴わない言葉に力は無い。


こんなにもフラットな考え方を持っている人間もいるのだと
言いたかった。
証明したかった。

誰が悪いとか何が正しいとか
そういうものは1人の価値観で安易に決める事は
出来ないと思っている。

この考え方をみんなが出来れば
自分の考え方が必ずしも正しいとは限らないと
いうことに気付き
争いが少なくなるかなと考えた。


でも、この言動はどっちつかずにしか見えないもんなぁ。

俺個人の意見を聞きたい人もいただろう。
もちろん、価値観の最優先すべきものが
それだったのだからその時は
それでよかったのかもしれない。

人間には二面性がある。
二面性どころか複数の顔があって当然だと思っている。

どこまで出すかがその人の結果を変える。


俺も人を全て同じように見ているわけではない。
前にも書いた事あるけど
本当の平等とは実力がある人が認められることだと思っている。
努力しない人も努力して頑張った人も
同じように扱うということではない。

それはずっと前からそうなんだよね。
でも、それを口に出すのは
気が引けた。

もともと俺は分かりやすい人間だ。
シンプルな人間だ。
だからこそ人をたくさん傷つけたと思う。

狭く深くでしか人と関わる事は出来ない。
それは昔からだし、きっと今でもそうなんだよ。

全ての人をないがしろにしないように
気をつけてきた。

しかし、それは本当に大切にするべき人に使うはずだった時間を
好きでも嫌いでもない人にも使うということにもなる。

長い人生においてこれを良しとするかどうか。


愚かな人は自分が評価されなければ
不平不満を言うくせに
評価されてもそのことに感謝することはない。

実力のある人を特別扱いすれば
不平不満をいうくせに
自分が努力して実力のある人になろうという発想は無い。

そんな人はどう考えても嫌われる。

非常に残念な人だと思う。


努力すれば独学だってなんだって出来るし、
実際俺はやってきた。
その努力は本当にすごい人から見れば
ちっぽけで小さな物だとは思う。

でも、自分の世界で何度も0を1に変えてきた。

具体的には去年は
・Facebookアプリの作成
・ホームページの作成
・独自ドメイン取得
・有料レンタルサーバーを借りる
・有料メルマガをはじめる
・アフィリエイト・プロダクトローンチについて学ぶ
・小さいながら勉強会を毎週開催


等かな。
これらは去年全く触ってもなかったジャンルだけど
自分で調べて時にはお金を払って勉強した。

行動も努力もしてないのに結果が変わるはずもない。
不平不満を口にする暇があるなら俺なら勉強をしたい。
人のせいにする時間があるなら実力を磨きたい。
わざわざしょうもない悪口を言って
束の間の満足感を得る時間があるなら
1人勉強したい。
誰かの評価を落とすような噂を流す時間があるなら
自分の評価が上がる方法を考えたい。
人の仲間を勧誘し奪おうとする時間があるなら
自分の仲間を自分の魅力で引き寄せたい。



フラットな価値観はこれからも
心の中に常に持って行くだろう。

なおきちの個人的な価値観を表面化させるということは
表面上だけ見ていれば昔と変わったと思われるかもしれないが
本当に仲のいい人からすれば
より本質に近い部分を見せただけだよね。と
思ってもらえると思う。

自分の中にいくつもの顔があることは知ってる。

頭の中には非常にシビアに物事を見る自分もいる。
全てにおいて寛容的な自分ももちろんこれからも存在してる。

人間の心理として一環した部分を出さなければ
信用問題に関わると思ってしまうところがあって
本当は誰しも二面性があるのに
その両方を出す事は難しい。

誰しもが二面性を持っている事を知っているからこそ
人を安易に嫌いになったりすることはない。

いいところもあれば悪いところもあるだろう。
俺の事を嫌いだとしても他の人のことは好きだろう。
そりゃあ、態度が違って当然だし
俺の事を嫌いだからといってその人が
悪い人だということにはならない。
だから俺も、俺を嫌いな人の事を嫌いになったり
批判したりする必要は無い。

俺の感情は個人的なものだ。
だから表面に出すのはなんというか愚かな気がしていたんだ。
他の人には関係のないことだと思ったし
気分を害させることは言いたくはない。

しかし気付いたんだ。
何もしない人ならそれでいいのかもしれない。
だけど、俺は少なくとも7年間リーダーとしてやってきた。
俺が誰と関わり誰を信頼しているか
その理由は語るべきだとも思った。

誰かの邪魔をしたいわけではない。
だから、誰かの評価を落としたいわけでもない。
基本的に誰かの評価が落ちる可能性があることを伝えるとき
同時にその人の評価が上がる事も伝えるようにはしてる。
全てが悪い人なんていない。
その考えにウソは無い。


実力の高い人は特別に評価する。
コミュニケーション能力の高い女子を評価するのは当然。
具体的なスキルが秀でている人も評価して当然。
褒めて伸びてもらいたい。

そのへんは昔から見ててわかりやすいと思う。
美しい事も話しが面白い事も特技だと思ってる。
褒められて当然だし自信を持ってもらいたい。
だから、女性を褒める。
心から素晴らしいと思えるから。


今年の前半は今まで積極的に出さなかった
自分の価値観を表面に出していく事に使おうと思ってる。

そして自分の組織のメンバーを区切って
より興味があるものに特化して集まったり
同じレベルの者同士で集まったりしたい。

縦だけではなく横でも区切っていくことによって
より居心地の良い時間を提案出来るのではないかと考えている。


全員が全員と仲良くするなんて無理だよ。
努力する必要はあると思うけどね。

楽遊会も今年大きく変わる。
っていうか、変える。

過去にとらわれず常に最新の価値観で
「今」いいと思う事を真っすぐにやっていくのがいい。

何より俺がワクワクしないような組織に
誰もワクワクするわけないしな。


今年はいままでよりさらに自分らしく。
楽しみだ。

2014年1月2日木曜日

何事もまずは自分から。

物事をスタートするときに
大切な事があります。

スタートさせる時限定のことではなく
常に大切なのですが
意識しないとスタートさえきれないと思っている事。

それは、何事も先ずは自分からということです。


世の中の流れでは
何故か人がしてくれたことに対して
お返しをしましょうということはいうのに
自分から相手に尽くすということを
教えることは少ないです。

それはおそらくやらなくてもおとがめがないからだと思います。
しかし、得るものもないんですよね。


誰かが優しくしてくれたら優しくしたいという気持ちが生まれる。
じゃあ、その誰かは他の誰かに優しくしてもらっているのだろうか。
もちろん、それもあるでしょう。

でも、自分自身から優しさの輪を
広げて行く事が出来たらいいですよね。

きっと、それが出来れば自分の周りの世界は
ガラッと変わる。


大切なのは相手が求めている事だけをしてあげることです。
欲しくてほしくてどうしょうもないものをあげることが出来れば
相手は喜んでくれるでしょう。
自分があげたいものではなく
相手が求めているものですね。

好かれる人はそれが常に出来ている。
というか、無意識のうちにそうしてる感じがあります。

だから、どこに行っても好かれる。

嫌われる人というのは
自分が得しようと考えます。

好かれる人は相手を得させようと考える。
そうする事によって自分も得する事を知っています。
相手の喜びは自分の喜びだと感じられるだけの
器を兼ね備えることが
無理せず幸せになる近道かもしれませんね。


何事も先ずは自分から。
相手に求めるのではなく
相手に何をしてあげられるのか。

本当に大切なのはそれなんですよね。

なんだかたくさんの事を抱え込みすぎてる気がするので
僕じゃなくてもいいことは
僕じゃない人に話しふってあげれるようになろう。
話しをふった人にもメリットがある形で。

そうやって繋がっていけるのが
これからの時代の自然な在り方だと思っています。

女性も男性も関係なく
活躍出来るステージを作りたいな。

基盤さえ作る事が出来れば
後は何にでも応用出来る。


何事も先ずは自分から。
改めて意識していこう。

尖る。

決めた!

2014年は好き嫌いをハッキリさせよう!

基本的に人は人で自分は自分だと思っているので
価値観を押し付けるような事をするのは
好きではないし押し付けられるのも好きではない。

だからこそ物事を自分の視点だけではなく
極力フラットに見て判断する事は
得意だと考えている。

つまり、自分の長所だ。


その反面、自分の考えを人に伝える事は
少し苦手だ。
批判の対象になる種を自分で撒く事になりかねない。

基本的にどれだけ話し合っても
自分の中での答えは話し合う前から出してるので
気が変わる事はほぼ皆無。

だから話し合って相手の価値観は理解出来るが
それでも自分は自分、その人はその人の考え
どちらも大切にしたらいいという結果に落ち着くので
相手の考えを聞くという意味ではいいのだが
受け入れこっちが改善しないといけないと
押し付けてくる人は苦手なのだ。


人生は自分が使える時間を自由に使って行える
極小規模の社会実験だと考えている。

自分の価値観をコントロールし
行動をコントロールすることによって
社会実験を行いその結果を人生の教訓として学ぶ。

これが楽しいんだ。


数年前、人からの批判が恐くなった僕は
無意識のうちに今までよりもっともっとフラットに
物事を考え発言するようになった。

多角的に誰が聞いても批判なんて出にくいだろうということしか
語らなくなったような気がする。

抽象的な発言はするが具体的なことをいうと
どこかで角が立ったりしそうで恐かったのだと思う。


しかし、今年は好き嫌いをハッキリ書いたりしてみようと思う。

僕はあまり頭がよくないので
どれだけ人に止められても否定されても
自分で行動してその結果をこの目で見ない限りは
納得が出来ない。

だからもしかしたら好き嫌いをハッキリ発言する事によって
来年の今日、とても後悔しているかもしれない。

そんな可能性があろうとも僕はこの1人社会実験を
やってみたいと思ったのだ。


その理由はある。

批判や誤解を恐れて書く文章には
説得力がかけると思うのだ。

万人に響く言葉というのは
万人を傷つけないものではなく
万人の感情を動かす物だと思うのだ。

誰かは強く賛同し
誰かは強く否定する。

それが大切なのかもしれない。

批判も賛同もない言葉を
インターネットで書く意味なんて
皆無に等しい。

そんなものは存在しないも同じなのだ。


感情を動かさない言葉に
魅力なんて無い。


立場がどうとかもあるだろう。
でも、どうこう言われる立場の人間が
意思を示さないのも
よくないのではないか。

ついてくるものはついてくるだろう。
離れる人は離れるだろう。

それでも例え誰に理解されなくとも
俺は俺なのだ、こう考えるのだと
発する事によって
なおきちという人間らしさを
見てもらえるかもしれない。

失敗しても成功しても
周りから見てる人間は安全だ。



昔は自分に合う人しか周りにいなかったような気がする。
もともと人見知りなのもあるけど
おそらく好き勝手発言してたからだったのかもしれない。

もちろん何かを否定をしたいわけではない。
なおきち個人の主観として
物事を語ってもいいのではないか。と
考えるようになったのだ。


このなおきちずむ。というブログも
価値観の話しを主に書いてはいるが
賛否両論あることも含まれる。
だけど、賛同してくれる人も実は多い。

会う度になおきちずむ。いつも楽しみにしてますと
言ってくれる人もいる。

自分を振り返る機会になりましたと
言ってくれる人もいる。


失敗出来ないような人間は成功なんて絶対出来ない。
同じように、敵を作る事を恐れている人間に
味方なんて出来ないと思ったんだ。

敵を作る事は本当に嫌い。
基本的に誰かを強く嫌う事は
僕の場合極端に少ないので。

それなのに相手にすごく嫌われ敵だと思われるのは
なんだかなぁ。。と。

敵を無理に作る必要はないんだよな。

でも、敵が出来てしまうことを恐れて
思っている事を口にも出せないのであれば
なおきちという人間は死んでるも同然なんだよな。

人間に戻ろう。
格好わるいところも時には見せよう。

っていうか、カッコつけてるとこが
格好わるいなとよく自分に思う。笑

なにかっこつけてんだよってさ。
ダセ〜な、自分って。



あれは好き、これは嫌い。
ということを書いてこ。
積極的に。

もしかしたらそんなことをしても
なんの意味もないのかもしれない。
でも、なんかやってみたいんよね。
そんな気分。

正月からなんか変な直感がわいたので
残しておきます。