2013年8月27日火曜日

劣等感を抱えながら生きている。

今思えば成長の過程は
「劣等感」というものを
切っても切りはなせないものだった。

もともと外見的に美しい人がすごく好きで
内面がキレイな人も美しいと気付くのは
結構遅くだったかもしれない。

外見がキレイな人を好きになるのに
自分がダサいままじゃいけないと思い
雑誌をたくさん読みあさっておしゃれを勉強した。

高校になって彼女をつくるようになってからは
一人の人を何年も好きでいたり
短い恋もたくさんしてきた。

恋が終わる度に
「絶対見返してやる!!」
って思ってがむしゃらに努力を続けた。


もともと中学校のバスケ部のときも
腹立ったら実力で見返してやる!!
って思ってレギュラーになったし
結構努力型だと思ってる。

ドリブルやシュート練習も
一人でずっと自主的にやってたしね。


どれだけ成長しても
終わりはないんだって最近思う。

人間として昔に比べて
成長したと自分で実感するくらいだけど
まだまだ成長しなければならないんだと
同時に感じる。


価値観の存在や人の性質等も
経験から見えるようになった。

まだまだ見えていない概念があるのかもしれない。


言葉を聞かずとも行動や態度で
ある程度心理を探る事が出来るようになってからは
あまり人の言葉を重要視することもなくなった。

しかし、厄介なのは
人間って自分の深層心理に自分自身気付いていないこと。

深層心理の部分を指摘しても
本人が未熟ならその概念に考えが及ばず
まるで俺が的外れな事を言ってるような顔をする。

周りから見れば簡単にわかることなのに。


そういうのを相手に気付かせるのは
並大抵の事じゃない。

そういうしょうがない時にも
答えや理由を自分に求めるから
劣等感に繋がる。

自分がもっと実力があれば
どんなことだって心理分析して解決出来るのにと。

言葉の選び方一つでさえ
相手によって変化させていかないといけないのだから。

声のトーン、話し方、話す速度、
身振り手振り、表情等は
一人一人相手に合わせて行わなければならない。

人と対峙するとき
精神は自分だけど態度は自分ではない感じがある。

大勢を前にするときも
それようのキャラがある気がする。

声が大きくハキハキと。。


これも劣等感から身につけた技。
上手に出来ないならキャラづけしてなりきればいい。

こうして本当の自分を人前で出す事が少なくなった。


でも、劣等感があるからこそ成長した。
負けたくない、馬鹿にされたくない、
泣きたくない、逃げたくない、
その一心で。

今もまだ強い劣等感が
時々顔を出す。


これからも向き合って行こう。
成長の為に。

2013年8月23日金曜日

賛否両論あるなかで。

たくさんの人をまとめていくということ。

それは人に合わせるということだと思っていた。

だけど、むしろ正反対なのかもしれない。

少人数をまとめるには
相手に合わせた方が早いよね。

でも、長い目で見て
人に合わせることが全てではないと
今強く感じている。


何をやっても批判したい人はいて
賛同してくれる人が居る。

意味もなく人を不快にさせる必要はないが
自分がやりたいことが
誰かにとって不快な気持ちになること。。
それにあてはまってしまうことは
実は少なくないんだな。

好きなようにやるということは
そういう批判等望まない事態も含めて
受け入れるということに他ならない。


バランス感覚や相手の価値観を早い段階で
察知出来るかどうかってのは
物事を動かしたり
アクションを起こしていくうえで死活問題となるスキル。


賛否両論ある中で
大切な人の為に
時には意見を曲げてはならないときもあるんだ。

そのことで人が傷つく事もあるだろう。
しかし、そんなことは始めるときからわかっているはずだ。

己の中の正しさは
他では理解されないかもしれない。

だけど、信じていくしかない。

自分の為に
みんなの為に
生きていく為に。


批判はあるもの。

それをどう受け取るかが大切。

恐れては駄目だ。

うまく距離をとり
うまく解釈し
うまく解決するんだ。

平行線を恐れてはならない。

平行線には「距離」

共存・共栄を願う心は
必ず報われる。

相手をつぶしてまで
奪ってまで叶えた幸せは
きっといつか同じように
つぶされ奪われるだろう。

与え、望まれた幸せは
継続的に与えられ
望まれ続けるだろう。


だから批判の声を恐れてはならない。

批判する者は批判され
つぶそうとするものはつぶされる。

同レベルになってはならない。


苦しみをわかりあえる友と共に
強い核をつくろう。

動きたいのに精神的に動けないときの解決法。

体と心って繋がっていますよね。

やらないといけないことがあるのに
どうしても動けない。。
そんなときもありますよね。

体を先に動かしてしまえば
心もある程度はついてくるものです。

気が進まないけど
外になんとか出てみたら
それなりに楽しめることもあります。

心をどうにか切り替える事が出来れば
体も自然と動き出すでしょう。

どちらでもいい。

体か心のどちらかを動かしてしまえば
もう片方も自然とついてくる。



どうしても動けない。。
やらないといけないことがあるのに動けない。。

そんなときは外に出たり
本屋さんに行って
気分転換をするのがいいですね。

インプットする事によって
アウトプットしようか。。という気になれば
錆び付いた歯車も動き出そうとしている合図。

意識的に動いていこうとするとき
必ずしも必要だと感じることを
しないといけないとは限りません。

公園での気分転換や
友人とのご飯等
一見仕事とは関係なさそうな事も
モチベーションの維持や
気持ちの切り替えには
貢献している事が多い。

動けないときは
なんでもいいから外に出よう。

俺の場合は雑貨屋さんとかインテリアとか見たりするようにしています。
あとは本屋かな。
映画を見るのもいい。
軽度なら音楽でなんとかなることもある。

モチベーションを自分の力で
コントロールすることが出来れば
効率の良いパフォーマンスを継続する事が出来るので
意識していきたい。

2013年8月20日火曜日

バックエンドなき道。

昨日はマーケティングの事とかを半日かけて
勉強してました。

アップセル、クロスセル、ダウンセル
等、手法が色々あるんだなぁとか

フロントエンド商品とバックエンド商品が必要なのは
前にちょこっと勉強したときに
なんとなく知ってたんだけど
忘れてた部分もあり、そうだなぁ。。と思いながら
聞いてました。


で、自分自身今回気付いたのは
今までフロントエンド商品しか用意してなかったこと!!笑

もったいないよなぁ。。笑


それだけ自分が儲けに走ってないということでもあるんだけど。


ただ、お金を稼げないと
さらに良いサービスを継続的に提供する事は出来ないし
良い商品を生み出す事も出来ない。
チャンスにチャレンジすることも出来ない。
ある程度のリスクをとって行く事も出来ない。

自分の手元にお金を残せない、稼げない、
使いたい時に使えないっていうのは
お金を求める事よりも悪い事なのかなと思った。


だってさ、たくさんお金もらったら
たくさん周りの人に使ってあげられるもんなぁ。

美味しいの食べさせてあげたり
応援してあげられるだろうしな。

自分だけの為に
何かをしようなんて思わない。

だって、意味ないから。

人がいてこその「やりがい」でしょ。

周りを幸せにしてこその人生でしょ。

その中にしか自身の幸せなんてないんだよ。

自分の幸せは周りにいてくれる人の笑顔の
その目の奥にしか存在しない。


自分という存在は相対的なものだから。

自分自身だけで自分の価値や位置をはかる事なんて
出来ないんだから。


相手が求めるものを常に与えてあげられる人になりたい。

それは言葉かもしれないし
物かもしれないし
人との繋がりかもしれない。

いつでも言葉を使わずとも
察してあげられる人でありたい。


その為に心の余裕と
常に自分自身を理想へと近づける努力が必要だ。

いつだって
どこからだって歩き出せる。

何度立ち止まっても
どれだけ人に否定されても。


道無き道をかき分けて
後世に道を残してあげられる人でありたい。

それが生きている間にやるべきことであり
意味であり、可能だと信じられる事。



マーケティングの勉強をしても
なにをしても
結局自分の人生とは。。とか
哲学的なことに思考は向いていきます。笑

そういう人間なんだろうな。
小難しいな。笑

でもそういうのが好きなんだからしょうがない◎

人に合わせる事なく
自分は自分の道を行こう♪

2013年8月19日月曜日

大切な物から与えられていた。

ふと気付いたんだよね。

健康って本来すごく大切な物だよね。

まあ、コーラとかマクドナルド大好きな
なおきちが言っても説得力ないんだけどさ。笑


健康じゃなくなれば
心も病むだろうし
お金もなくなっていくだろう。


お金よりも価値のあるもの
それは健康
っていうのはとても当たり前のことなんだけどさ

人は健康だけでは満足出来ないんだな。



この世界のロジックについて
少し気付いたかもしれないと思ったんだ。

本当に大切な物は
ほとんどの人が生まれた瞬間から
持っていたのだと。

健康でいる事が一番大切。
そして友人や家族等
大切なものほど
いつもそばにいるね。

そしてお金みたいに代わりのきく物を
僕たちは毎日追いかけているね。

時には家族よりもお金を優先する事もあるだろう。
一時的なことだとしても
いい話しとは言えないよね。


本当に大切なものほどそばにある。
本当に大切なものは最初から持ってる。

本来どうでもいいはずのものに固執して
自殺する人までいる。

。。大切なものをたくさんこの世に置き去りにしたまま。




この事に気付いてすごく悲しい気持ちになった。

そしてすぐには変わらないであろう自分自身の価値観にも
絶望した。



生まれながらにして障害を持っていたり
親がいなかったり
戦時中の国に生まれたり

様々な不幸のもと
生きている人もいるだろう。

もしかしたらその人達にも
特別な幸福が与えられているのかもしれない。

それは

普通の事を普通ではなく
幸福だと感じられる心。


多くの人が見過ごすようなことも
その人達には特別であり幸福な事。

そう考えると
平等じゃないという考えも
違うかもしれない。


 お金持ちの家に生まれたとしても
その事自体が不幸という考えだってある。


僕たちはただ目の前に
ぶら下げられたにんじんを
必死で追いかける馬だ。


周りなんて見えてないんだ。

本当に大切な物は何か
日々考えてそれぞれが見つけていく。


意識しないと 気付けない幸せがある。




僕たちは生まれた時から持っていた。

大切な物から与えられていたんだ。

2013年8月16日金曜日

「〜しなければならない」をやめなければならない。

さっきTSUTAYAでさ、本読んだんだ。
そこに今の自分にとても大切な事が書かれていたので
ここにも残しておきます。
俺が読んで響いたとこを
俺の言葉で。


何もやる気が起きない
全てがめんどくさい
〜しないといけないのに動けない

こんな時は心が疲れてる。


「感情」と「思考」は違う。
これがすごく大切!!

感情は素直に感じる事。

思考ってのはまさに
「〜しなければならない」とか考えるやつ。

同じように見えるけど
思考は考えて出てくる言葉
感情は感じる事。

この区別がついていないと駄目なんだって。


確かに。。
言語化するのは難しいけど
本当その通りだと思いました。

〜しなければならないと感じるのは思考がそうしてる。
本当は動きたくないなら休めばいいんだ。

でも。。動かないと先に進まないし。。
 とか
俺がやらなきゃ。。ずっとこのまま動かずにいるのは駄目だ。。
なんて考えると
その思考のせいでどんどん悪い方向に進んでいく。


動けないなんて甘えだ。。
根性で乗り切らなきゃ!!

こういうのも最終的にいきつくのは
鬱だそうです。


本当そのとおりだと思いました。

自分を甘やかすというのは
よくないとどうしても思ってしまうけれど
自分らしくいられないということは
不自然な事であり
本来よくないこと。

少し疲れた。。今日は休もう。。

これを怠けていると自分自身定義してしまうと
駄目なんだって。
休憩は必要で疲れたら休憩をしよう。
こういうふうに思わないといけないんだって。


なるほど。。


なんだかわかる気がする。
ちょうど昼間にこの事について書いてたからさ
まさにピンポイントの本だった。

本屋さんって不思議。
いつも大切な言葉をくれるんだ。

だからちょこちょこ行く。


今日は溜め込んでた仕事をマクドナルドで
一気にやってしまうつもりで来ました!!笑

マジでやるぞ〜♪

家の中にずっといすぎるのは駄目だね。
外に出なきゃ。

こういうときノマドワーカーでよかったと
心から思う。

マックだと電源とれるからずっと仕事出来るし。
コーヒーも変えるし快適。

お腹すいたらすぐご飯も食べれるしね。笑

現在の自分のノマドワーカーのレベルを超える
さらなる自由なノマドを目指してつきすすむのみ!!

自由になりたい人と一緒にガンガン行動していきたい!!

〜しなければならないっていう思考をやめような。

やめなければならないっていうのもやめよう。笑

何事も自由自由♪

思い通りの人生さ○

自動生成コンテンツ。

今までのやり方は
まず自分がコンテンツとなり人を集め集まった人をコンテンツにする。

あ、コミュニティの話しね。


そんな感じでしたが、
コンテンツは自動生成されなければならないと感じた。

SNSが大きくなっていくのは
コンテンツが自動生成され続けるからだと思った。

友達が友達を呼び
日記やつぶやきを書き
口コミが生まれ
広がっていく。。


自分がいなければならないとか
自分でコンテンツを作らないといけないっていうのは
もう古い気がしてる。

自動でコンテンツが生成される仕組みを作れれば
自分を仕組みから切り離す事が出来る。

そしたらそれを大きな枠組みから見ながら
バランスをとるだけでよくなる。

今、こんなイメージを心の中にもっています。


俺が企画しなくても成り立てばいいわけだ。
人と上手に接する事が出来る人なら
誰でも出来る事だと思ってる。

新しいステージにいきたい。


7年間積み上げてきたものを活かして
もっと面白い場所を作ろう。

何でも出来るのに何もしないのは罪。

この世で大切なのは
お金よりも時間だろう。

その理由は人間というものは
いつか死ぬからだ。

お金なんて造幣局で生産されてる
代わりのきくもの。


実は最近ですね
心が少しだけ疲れておりまして。笑

重傷ではないのですが
若干の無気力感もありながら
一人、人知れず 戦っていた訳です。笑


なかなかそんなこともないので
珍しかった心境を書いておきましょう。

まず、動けないからといって
何もしないというのはものすごく罪悪感がありますね。笑

何かしなきゃ。。と思っても
心がついてこなければ体も動くはずもなく。。

こういう心境の時に労働に向かわなければならなかった時は
本当に鬱になるかと思ったし、
実際そういう生活をしてた時には
仕事に行く時や終わった時に涙が出てきてた。。笑

生活の為だけに働くというのは
なんとも空しくくたびれてしまうものです。

自分の中の正義なんて関係なくて
誰がやっても同じであろう仕事を
延々とやっていく。

その度になんとも言えない違和感を覚えてた。

当時は週末にハンドメイド のイベントとか出てたから
ハンドメイドだけで労働と同じ額を稼げた日には
嬉しい反面、翌日の仕事にもううんざりしてた。


自分に合っている事
得意な事
相手から求めてもらえる事
やりたい事

そんなことが仕事になったら。。
いつも夢見てた。

こんな生活抜け出してやる!!って。

人間的に尊敬出来ない人から怒られる度
自分の心に嘘をつくたび
立場ってなんだよ
年齢が上だからってなんだよ
実力で勝負させろよ
って思ってた。


だけど、雇ってもらっている以上
その場で自己主張するのは違うと思って我慢した。

極力何事も感謝するように。
相手のおかげで成り立ってる部分もあるだろ?
なんて自分に言い聞かせてた。


それから時が経ち。。


今の俺はまだまだ不安定だけれど
文字通りまわりに支えてもらって暮らせてる。

100%周りの人のおかげだといっても過言ではない。
自分の力なんてほんの小さなもの。

人間の力ってすごい。
一人の力でも本気出せば本当にすごいって思う。

一人一人をもっと大切にしていこう。

出来るだけガチでぶつかれるようになろう。



今日さ、ふとトイレにいったときに思ったんだよ。

なんでも出来るのに何もしないってのは
本当に罪な事だなと。

なんだって出来るんだ。
今なら。

全てを仕事に結びつけようとどこか思っていたのかもしれない。

お金を使う時に投資になるか浪費になるのかを考えるように
時間を使うにも同じ感覚でいた。

その結果動けずにいるのならば
まずは色んなとこに種を撒きにいってみたり
自分自身の心のケアをかねて
どこかに行くのもいいだろう。


思えば寝ている時間以外の一人の時間ずっと
仕事の事を考えてる。

プライベートと仕事の境目って一切ないから
起きた瞬間にはじまって
寝るときまで続く。

好きな事だからこそ出来る事。
人に強制されてないからこそ出来る事。

その代わり全てを自分の意志でやらなければならないんだ。


もっともっとさ
楽しんでいこうよ。

いい意味で気楽にいこう。

お金を稼げない事よりも
人生を無駄に過ごす事の方が罪だ!!

 
1日8時間 働き
8時間寝たとしたら。。
残された1日は8時間しかない。
その中でご飯を食べたり準備したり。。

自分の人生の3分の2が選べない、使えない時間なんて
ありえないでしょ!!

それが嫌なら自分で動くしかないんだ。
行動するしかない。

不器用だとか
特技がないとか
そんなことは関係なくて
行動する意思があるかどうか。
それが一番大切。

スキルなんて仕事についたら
覚えてきたでしょ。

同じなんだよね。

会社の為に働くか
周りの人の幸せの為に働くか。

その違いだよね。

生活の為のお金を稼ぐのか
自分と周りの人の夢を叶えたり
理想の人生を歩く為に稼ぐのか。。

どっちがいいのかは自分で選ばないと。

何も考えていない人は
「選択しない」という選択をしているのと同じ。

立ち止まれないんだ。

常に動き続ける人生を
自分の意志で舵をとっていきたいなら
人のせいにしたり何かに言い訳をしたりしたら駄目だ。

常に自分の責任。
至らない部分も全部認めて現状を正確に見つめなきゃ。


そうだな。

なんでも出来るのに
何もしないってのは

罪だな。

2013年8月15日木曜日

属性と適正。

人にはそれぞれ属性があると思っています。

人と接するのが好きな人・嫌いな人

一つの事を突き詰める人
色々やりたい人

自分の価値観が一番正しいと思っている人
人それぞれだと考える人


主に内面の属性・外面の属性を別々にとらえて
その総合評価から適正を導き出します。

このへんは感覚なのですが
この人はこういう性質だから
こういうことをすると良さそうとか
こういうことを任せたらよさそうとか
なんとなくわかります。


この判断は自分自身の経験値もあるので
相手の事がわかったからといって
自分自身が経験不足では判断出来ないと思います。


仕事や仲間
属性を判断し適正に振り分けた方がいいものも
あるのだと感じています。

この判断を誤ると
居心地が悪くなったり
本領発揮出来ない状況になり
最悪の場合メンバーはいなくなるでしょう。


今までなおきちのグループでは
出来る限りその人を認め
みんながみんなに適応するように考え
極力自分の手を加えてどうこうするということは
避けてきました。

仲良しグループとかあんまり好きじゃなかったから。


規模が大きくなれば
小さかったときと同じ方法では駄目なのだと
ようやく実感しています。

仲良しグループって
価値観が合う人が集まってますよね。
だから無駄がない。

そういう観点からいえば
それもまたありなのかなぁなんて思ったりします。

排他的な仲良しグループはあまり好まないけれど
正反対の価値観の人達を
同じ空間に置き続けるということは
思っていたよりもリスクがあるのだと思いました。


適正な距離感をはかれる人ばかりではない。

人間関係とは相手との「距離感」につきる。

近すぎれば息苦しくなる。
それは家族でも同じ。
どんなに大切な人でも。

適正な距離感をとれなければ
誰だって嫌われてしまう。

人から好かれる人というのは常に
無意識かもしれないけれど適正な距離感を保ってる。

もしくは、相手がもっと近づきたいと思うような魅力的な人。
だから嫌われることが少ない。


組織を構築していくならば
独自の時代にマッチした方法を模索していかなければ。。

旧来の方法が必ずしも正しいとは限らない。
どんなときでも過去を信じすぎる事なく
自分の目で見て耳で聞いて体で感じて判断しよう。

属性と適正。
気にしなければならない段階に来たんだな。

2013年8月13日火曜日

得手、不得手。

誰しも
得意な事と
不得意な事がある。

得意、好き、やりたい
という気持ちは
そのまま行動力になる。

苦手、嫌い、やりたくない
という気持ちは
それだけで行動を妨げる
大きな壁となる。


最大限の力を発揮するには
得意で好きな事をやるべきだ。
そしてニーズのあるもの。

それが周りへ貢献するということに
繋がるだろうし
仕事の本質は絶対そこにあると思ってる。

「出来る」
ことと
「やりたい」
ことは
必ずしも一致するとは限らない。

一致しないから「やらない」のは
贅沢だと思いがちだけど
それは洗脳だと俺は思ってる。


もっとわがままに生きていいんだよ。
あんたの人生だ。

誰にも文句なんて言わせない。


一般的な考え方なんか捨ててしまってさ
自分らしく生きてみてはどうだろう。

時には批判されてしまうこともあるだろう。

しかし、時には感謝もされるはずだ。


感謝も批判もされない生活も居心地いいのかもしれないが
スリルに満ちて山あり谷ありの道を
コントロール出来るようになるのは
なんとも言えない快感がある。

断言出来る。
時代は変化し続ける。

「安定」を求める事こそが
不安定への入り口となる。

どうせ変化は続いていくんだ。

安定を望むより
変化へ「対応」出来る方が
強いでしょ。


どんな時代が来たって
政治家がちゃんとしなくたって
自分の力で自分の事が出来たり
周りの人を守っていけばいい。

消費税があがったって
それ以上に稼いでやれば問題無し!

文句言う前に行動する。

全ての文句や言い訳を
口に出す前に自分で対応出来ないのか、
自分の周り の世界だけでもまず変える事、
守る事は出来ないのか考える。


行動せずに結果を出さずに
グチグチ言う事なんて誰にでも出来る。

行動し結果を出し発言力を持てば
伝えたい事を伝えたい人に
直接伝えられるようになる。

そのほうが建設的。



こんな話しを先日信頼出来る人と話してた。


人のせいにすんなよ。

あんたはどうなんだ。


大切なのはそこでしょ。



行動する為に
誰かの苦手な事を
自分が得意ならばやってあげ
自分の苦手な事は
誰かが得意なのであれば任せればいい。

そんなふうに出来るのであれば
組織としての価値もずっとあがるだろう。

ただの弱者の集まりに興味はないが
参加者の弱点を大幅にカバー出来る集団なら
その価値ははかりしれないね。


俺も再度見直そう。

言い訳をしない為に。

2013年8月10日土曜日

リーダー論。

なおきちが思うリーダーについて。

リーダーとは。。
人の上に立つ人でも
人に教える人でもない。

そう思っています。

どちらかと言うと
人に教えてもらい
誰よりも下に立つ人間。

そう思う理由は。。
人がついてくる人間でないといけないから。

自分を卑下したり
へりくだれという事ではなく
誰よりも弱い立場の人に目を向け
様々なニーズを満たせる人。


技術を持っているという事と
人に教えるということは違う。

リーダーとしての資質ってのは
誰よりも高い技術を保有している事ではなく
誰よりも高い技術を保有している人間に
心地よく最大限の力を出してもらえる環境を整えてあげること。


いつも
何かに属する事が苦手で
自分でなんでもはじめてきた。

だけど、自分一人では
何も成り立たないんだよな。

自分一人の力なんて
ちっぽけなもんだ。

たくさんの仲間の大いなる力に比べれば。

驕る事なく仲間に感謝し続け
組織が大きくなればなるほど
仲間の実力を認め
仲間をたて
自分はサポートにまわる。

そんなのがリーダーなんじゃないかと
思っています。

2013年8月7日水曜日

伝わる・伝える。

音楽とかハンドメイドとかさ
ある一定のレベルを超えると
そこから先は技術云々じゃなくて
「伝わる」かどうかだと思ってる。

どれだけ上手に演奏しても
何も伝わってこなければ
感動なんてないんだ。

圧倒的なスキルを見た時
確かにすごいとは思うけれど
技術には身体能力的な限界があると思うんだよね。

だけど「伝える」「伝わる」事に関しては
タイミングや
その時の心情まで関係してくる。

自身の感動を
第三者の感動へ
シフトする事が可能なんだ。


もらい泣き。

なんてことがあるように
人は視覚や
相手の心情をイメージすることによって
そのイメージを言葉だけではなく
受信する事が出来る。


伝わる
ぬくもりのような
ただの空気のような
そんな存在でいたい。

質感。

素材・質感・手触り。

そんなものに興味が出始めたのはいつからだろう。

本当に昔の事かもしれないし
最近の事かもしれない。

猫のように
あたたかい毛布は ずっと好きだった。

小さい頃からね。


錆びた真鍮

茶色い木

剥げたペンキ


そんなのが好きになったのは
大人になてからかな。


32年間も生きてくるなかで
味わい深い人間に僕は
なれているのかなぁ。


その質感、いいね。


って言ってもらえるような
個性的な 人になりたい。


素材として面白い。

なんて言ってもらえるような
変な人になろう。



触れてみたい。。

と思ってもらえるような
センスとセレクトを身につけよう。



色々。


そんな言葉が似合う人間になりたいな。

2013年8月6日火曜日

やりたいことなのにめんどくさい。

今日さ、話してて

「やりたいことがあってもなんだかめんどくさくて
 てにつかないんだよね。」

って話しになった。


やりたいことなのにめんどくさいって
すごく矛盾してるように感じるんだけど
この感覚、実はすごくよくわかるんだよね。

先の事とか色々考えちゃうと
動けない事ってよくあるよ。

片付けがめんどくさい。
明日に備えて寝なきゃ。

そういう事を考えると
始める前から疲れちゃうんだよね。笑


だから、俺の場合はそういうときは
無理にやらないことにしてる。

モチベーション待ちということで◎


だって、気分じゃないのにやんのって
時間もったいないでしょ。

本気でどうしてもやりたいときにやんなきゃ。

義務感とか
そういうの感じ出したらうんざりでしょ。

本来やりたいことなんだから
やりたいようにやったらいいんだから
先の事なんて考えずにやっちゃえばいいんだよね〜。


子供ってさ、
後先考えないじゃん。
だから行動力半端ないじゃん。
そういうのって天才的。

見習おう。

ジャンル分け。

ちょっとね〜、考えたんだわ〜。

ゆる〜く遊びたい人、
ガチで取り組みたい人、
その中間の人。。

何をするにもおると思うんよね〜。

そしてそのどれもが素晴らしいと思うんだけど
モチベーションが異なる人達を一緒にすると
あまりよくないんだよなぁと
最近よく思います。

なので、どこかで色んな事をジャンル分けして行かなきゃ。。
と、思いました。

モチベーション別もそうだし
相性別もそうだね。

誰もが気持ちよく居る為には
そういうのも必要なのかなと。

入り口のハードルが低い分、
そういうとこである種の管理が加われば
もっと快適に過ごしてもらえるのかもしれない。

そんなふうに思いました。


コミュニティを運営して7年。

試行錯誤してきました。
終わる事のない建造物を作っているような気分。

楽しいけどね。

うん、もっともっと「良く」したい。

女性の時代。

なんで女性差別なんてあるんだろ。
ちょっと理解出来ないんだよね。

男性の方が得意な事もあるだろうけど
女性に一生勝てない事だってあるんじゃないかな。

男が偉い。。なんて考えは古くさくて好きじゃないんだ。
生まれた瞬間に勝ち負けが決まるってのもフェアじゃないし
だいいち、面白くない。

実力で判断されるべきなんだよな。


男だってどうしょうもないやついっぱいおる。
女性だって総合力半端ない人たくさんおる。

だったら性別とか関係ないじゃろ。

性別が違う事をデメリット、マイナスに考えるのではなく
有利に使って行こう。

男の方が有利な事は男がやって
女性の方が有利な事は女性にまかせて。

そしたら最強じゃない??


憶測だけど、男は自信がないから
力に頼ったりするんじゃないかな。

そして、女性がある意味恐いから
劣った存在として強引に位置づけたんじゃないかな。

力仕事が必須だった昔に比べ
今は職業も多様化してる。

力よりも頭を使う仕事だってたくさんある。

効率を求める仕事なんか女性の方が得意な気がする。


男尊女卑という言葉がありますが
そういうのなくなればいいね。

 子孫が繁栄していくのに
男は最低限いればいいけど
女性がいなければそもそも子供って生まれないんだ。

もちろん男も全く居なければ生まれないんだけど。。

だから、どっちも同じくらい大切だな。

性別にこだわるより
もっとなんか建設的な事にこだわろうよ。


と、思うわけですよ。

それでは。

小さく見せる事。

ついつい自分を大きく見せたいという
人間本来の欲望にかられてしまいそうになる。

しかし、自分を必要以上に大きく見せるという事は
損をする。

ヤンキーがちょっとおばあさんに優しくしてると
「あれ、意外といいやつじゃん。」
って思われる事が多いけど

まじめそうな人がタバコすってるだけで
「意外。。」
なんて思われてしまう。

外見と内面がそろってはじめてその人なのだが
ついつい目に見える物を信じてしまいがちなのが
人間という物だ。


相手にとって自分はどんなメリットがあるのか
提示するときは魅力的にアピールするのもいいが
基本的に人は期待以上の事をしてもらって
感謝する生き物なんだよね。

だから、最初からあれもこれも出来ます!!
って言ってまわるのはよくないな。

それより、出来そうに見えなかったのに
「意外と」出来るって思われる方が得だね。


自分という存在のアピール方法によっても
人からの態度が変わってしまうんじゃないか。。

ふと、そんな事を考えたので
残しておきます。

2013年8月5日月曜日

とにかく思考を。

楽遊会のなおきちです。

mixi、Facebook等
複数のSNSを使っていく中で
自分の価値観を書く場所というのが
定まらず、このたびこういうブログを作成してみました。

興味が無い人は読まなくていいと思うし
ここで議論をするつもりもなく
ただただ、なおきちの考えを残す場所に
しようと思っています。

時間が経てば
考え方が変わる事もあるでしょう。

現段階、今、この瞬間の気持ちを
残しておく場所にしようと思っています。