2013年9月28日土曜日

積極的解決法と消極的解決法。

こんな言葉があるのかはわかりませんが
積極的な姿勢、方法で解決するのを
積極的解決法、
消極的な姿勢、方法で解決するのを
消極的解決法と名付けました。

どんな事でもおおまかにわけて
2つの解決法があると思っています。


日本人は消極的解決法を
とることが多いような気がします。
それは文化や独特な価値観が
そうさせているように思います。

消極的解決法とは
・我慢する
・耐える
・諦める
・忘れる

等、どちらかと言うと
何かを生み出したり前に進めるというよりは
どうにか現状を維持しようとしたり
今より最悪な事態にならないようにする方法だと思います。


積極的解決法と消極的解決法を
比較するとわかりやすい。

お金がない場合。。
積極的=新しく働くなりして作る。
消極的=節約する。

人間関係がうまくいかない場合。。
積極的=切り捨てて新しく人間関係を作るか改善をはかる。
消極的=関わらないようにする。


積極的解決法では
何かを生み出したり補完したり
建設的な方法をとるのに対して
消極的解決法では
守りにはいる感じがありますね。

どちらがいいかっていうのは
状況にもよるだろうし
一概には言えないと思うけど
ほとんどの場合積極的解決法の方が
人生的にはよくなる気がしています。

積極的解決法ではポジティブ、プラスな力によって
解決していくのに対して
消極的解決法ではネガティブ、マイナスな要素を
はらんでいるので。


自分がどういう方向に進みたいのか
何を望んでいるのか明確にイメージして
理想に近づける方法を選択したいですね。

2013年9月25日水曜日

好かれる人、嫌われる人。

人の心理というものは
普段はなかなか見えないが
根本で共通している部分も多い。

大切にされたい。
話しを聞いてほしい。
感謝されたい。
認められたい。


人は誰もが自尊心を満たしてくれる人が好きで
自分を大切にしてくれる人が好きなのです。

このことを理解すれば人との関わり方も楽になる。
理解出来てない人がよく起こす行動は。。

・自己主張をする
・相手が話してるのに途中でさえぎって自分の話しをする
・否定から入る
・人が何かしてくれて当然だと思っている。もしくはありがとうと言わない。
・自分よりスキルの高い人を認めない。賞賛しない。
・マイナス発言が目立つ。
・悪口、陰口が好き。



逆に人から好かれる人は。。

・自分の話しよりも相手の話しを優先する。
・相手のフィールド(得意分野)で話す。
・自分の得意分野の話しは求められた時だけ。
・何事にも肯定的。
・ミスをすれば全て自分のせい、成功すれば全て周りのおかげ。
・小さな相手の成功を自分の事のように喜んであげられる。
・陰口を言わない。
・常に建設的な話しをする。




僕が思うイメージはこんな感じです。
もっと他にもあるかもしれませんが
好かれる人は基本的に自分にも相手にも肯定的、
嫌われる人はおしつけがましかったりマイナスな雰囲気を
持っていたりします。

これは少し話せば大体わかります。

相手がどういう属性なのかと自分との立ち位置(立場)によって
関わり方を変化させていかなければなりません。


嫌われる人は同時に時間泥棒であることも多いです。
遅刻をするという意味だけではなく
電話やメール、会った時にも
自分の話しを延々とする。
それで自分だけがスッキリして帰っていく。
相手の貴重な時間を奪っているという概念さえ持たずに。

好かれる人は相手が何を求めているかということを
ずっと見ています。
適切なタイミングで適切なものを相手に見返りを求めずに与えます。

見返りを求めないので誰かに何かをしてあげたことさえ忘れてしまいます。
その人にとっては当然のことであり、相手の為になったら
そこで完結するからです。


嫌われる人というのは自分のことしか考えていないので
基本的に自分にメリットがあればそれでいいと思っています。
だから誰かに何かをしてあげるということが少なかったり
求めていないタイミングで求めていない物を与えようとしたりします。
どちらも結果相手を不快にさせるだけなんですよね。

押し付けがましいと相手に思われてしまうのは
自分自信を主張するアピールが含まれてる事が多いです。
親切アピールや自分出来ますアピール。。
嫌われる人の特徴として
「出来もしない事を出来ると言い切る 」というのもあります。

出来るかどうかっていう基準は
自分が出来ると思っているかではなく
相手が求めている基準に届いてるかどうかですよね。

地元のオーケストラに参加するのと
世界的なオーケストラに参加するのとでは
訳が違うのに地元のオーケストラに所属(レギュラーではない)というだけで
世界的なオーケストラから募集がかかってたら
応募しちゃったりする感じです。

度胸っていうのは必要な場面もありますが
それ以前に自分のスキルを相対的に見て
度胸を試すレベルまできているのか
もっとスキルを磨かなければならないのか
最低限考えたらわかりますよね。

判断基準を自分の中に置くと最悪こんな事になるみたいですね。
大切なのは判断基準は相手。
相手にとってどうか。
それだけです。

自分がどう思われるかとか認められたいとか
そういうことを含むとそれは優しさではなく
ただのエゴの押しつけになります。


好かれる人というのは
無意識のうちに相手にとって最善はなにか
それに対して自分は何が出来るのか。。と
いつも考えています。
その基準も的外れな事が少ない。
経験から裏打ちされる推測だから。

また、好かれる人は相手にしてあげたことを
すぐ忘れてしまっても
してもらった人の心の中にはずっと残る物だと思います。

人は何か恩を感じるとそれを返そうとするので
好かれる人はさらに好かれていきます。


ポイントは相手が求めているタイミングで相手が求めている事を
空気を読んでやってあげるということ。
わからないときは下手に動かないこと。


好かれるか嫌われるかは
自分の行動の結果です。

だからどこに行っても好かれる人は好かれるし
嫌われる人は嫌われる。
相手のせいにしている限り一生成長は望めません。
原因はいつだって自分の中にある。

相手を変えようとしたり
相手のせいにしたりするのではなく
どんな時もどんな人にも対応出来る自分になればいい。
ただそれだけの事なんですよね。

相手のせいにして納得するという事は
現状の至らない自分を受け入れるという作業に他ならない。
相手のせいにするのはとても簡単です。
自分の心は楽だろうけど
うまくいかない原因を全て自分の中に問うことが出来れば
嫌われる人もやがて時間をかけて
好かれる人になると僕は信じています。

そしてそのように変化したいと望む人に
僕は協力を惜しみません。

自分の人生をコントロール出来るのは
自分だけなのだから。

2013年9月24日火曜日

メチャクチャに。わがままに。

この数年自分がどれだけフラットに
人について考え
人と接する事が出来るか。。
そればかり考えてきた。

自分の好き嫌いを人に伝える事も
避けてたように思う。

なんだか嫌いな物を人に伝えるのは
ただの悪口な気がして。。


でも思った。
自分の価値観が一番正しいなんて思ってない。
俺が好きであろうと嫌いであろうと
そんなことはこの世界において
大した意味を持たないのだと。

無理にマイナスな発言をすることもない。
ただ、「誰か」に合わせすぎてた。


しかし「誰か 」って誰だろ。
誰に俺はそんなに合わせてんだろ。

自己主張と協調性のバランスは難しい。
今、かなり協調性に重点を置いてた。
保守的。

少し配分を変えてみようと思った。


楽遊会やRUKは俺が設立したものだからだ。

似た者が集まってくるっていうよね。
核となる俺が好き嫌いを隠してたら
「好き嫌いを隠してる俺」に似た人が
集まってくるんじゃないかな。。

そんなふうに思った。

判断基準は俺にある。

いつからかたった一回の失敗さえ無意識のうちに
避けていたのかもしれない。。

人に合わせてても陰口言われるんだ。笑
だったら少しくらい自分を出して
陰口言われたほうがまだいいよね。笑

癖のある人だと思われたくない気持ちは
どこかにあった。

明らかに本当の自分は
「普通 」ではないと思ってる。

理解されそうにないことはあまり口に出さないようになった。


協調性だけをつけていく練習はじゅうぶんやったかな。
そろそろ個性をだしていこ!

メチャクチャでもワガママでもいいや◎

まあ、最低限の協調性はもちろん残すけどさ。笑
必要以上に。。っていうのは
何事もよくないのかもね。


誰かの価値観に合わせて生きていくなんて無理だと思って
なんでも自分で組織作ってきてんのに
そこでも合わせてんだったら
なにしてんだよって話しだよね。

突き抜けなきゃ魅力にはならない。

よし◎
やりたいようにやるかな☆

2013年9月20日金曜日

邪道でもいいから自分にマッチした物を。

プロの目からしてみると邪道だと言われるようなものが 俺にはマッチする事がよくある。笑 例えばご飯食べながらコーラも飲むし 一眼買った時もニコンやキャノンではなくSONYを買ったし その後一眼もミラーレスを使うようになったし。 結局いいとこどりの物が好きだし 使い勝手がいいものが好き。 自分の性格とベストマッチしたものを持っていたい。 もともとがめんどくさがりなのでね。 世間の目を気にしたり常識に囚われてると 選択する物も変わってくるんだろうなぁとは思う。 邪道でもなんでもいいから とにかく使いやすいものを使いたいな。 メーカーやブランドで選ばないから もちろん失敗する事もあるよ。 で、結局毎回期待を裏切らないのは SONYとAppleだけなんだよね。 どちらも癖があるメーカーではあるから 批判する人もいるけど 俺はすごい好きだな。 もっともっと自分にマッチしたものを見つけていきたい。

2013年9月10日火曜日

感謝の気持ち。

つくづく周りの人のおかげで
今の自分があると感じています。

何もわかってなかった頃は
人なんてあてにならない、
自分の力こそが全て。

そんなふうに思っていました。


今思う事は
自分の力を磨く事は大切だけど
周りの人の協力の力に比べれば
なんてちっぽけで限定的なものなのだろうと
強く感じます。

自分の力を最大限まで磨く努力は
いつだって必要だとは思いますが
その力だけで全てを行おうとするのは
世界を狭いままにすると思ったのです。

この世界は広い。
まだまだ1%も知れてないんじゃないかと思うんです。

そんな広大な世界のお役に立とうと思ったら
自分なんてちっぽけすぎる。

しかし、自分の魅力を磨き
多くの賛同を得る事が出来れば
もっともっとこの世界に貢献出来るのではないか。
そんなふうに感じています。


人は潜在的にこの世界に貢献したいという気持ちを
誰もが持っているのではないか。
そう思うのです。

しかし、大半の人がその気持ちに気付いてなかったり
環境により見えなくなっている。

利己的な考えを持つ事も
本人のせいではないと僕は思います。

正しい価値観を誰もが持つ事は出来るはず。
僕の場合それは本からでしたが
メンター(師匠)を作ればもっと早く実現出来る事
なのではないか。
そんなふうにも思います。

心が貧しくなってしまえば
自分の事で精一杯となり
誰もが自分の事しか考えられなくなる。

それはしょうがない。

悪循環はどこかで断ち切らなければならない。

今までがそうだったからといって
これからもそれが続くなんて僕は思わない。


どんな状況からだって
どんな夢を見てもいいはずだ。

それを笑う人もいるかもしれないが
僕は出来るだけ同じ目線で見たい。


周りに対して感謝の気持ちがいつもあります。
なんでみんなそんなに優しいんだろ。って思います。
そんなときいつも
僕もみんなみたいに優しくなりたい。
そう思います。

感謝の気持ちは意識して「もたなければ」ならないものではなく
本来自然にわき上がってくるものですよね。

今、そのわき上がる感じがします。


活かされてる。

生かされてる。


幸福の循環を周りの人と一緒につくっていきたい。

未熟なとこも多く至らないとこもまだまだたくさんありますが
自分の思うように反省もしながらこれからも
生きていきます。

ありがとう。

心から感謝しています。

2013年9月8日日曜日

出来ない理由を強引に消す!

なんとな〜く生きてると
なんとな〜くやりたくないなぁ。。とか
なんとな〜く怠いなぁ。。とか
そんな気持ちになることも少なくない。

動きたいのに何故か動けない。。
そんなこともある。

そういう場合、大概顕在意識では
動こうとしているのに
潜在意識が邪魔してる。


作業しないといけないのに動けない時は
部屋が汚かったり一見関係なさそうな事が
意外に関係してたりする。

出来ない理由は少し強引な方法を使ってでも
消してしまえばいい。


時間、労力、お金のどれかを使えば
大概の事はどうにかなる。

油をひかないとなんでも焦げ付いてしまうフライパンは
焦げ付かない加工を施した物を買えばいいだろう。

作業スペースがないなら今日は作業をやめて
片付けに専念するのもいいだろう。

一つの事に丸一日使ってもいいから
問題となる部分を自分の心理を探って
強引にでも取り除く。

そうすれば明日からスッキリだ。

今日という日を問題解決の為に使う。
そういうのもありかなと思った。

2013年9月7日土曜日

損得の基準。

損をするとか得をするとか
少なからず考える事はあります。

しかし、自分が物質的に損をするからといって
実際に損しているのかというと
必ずしもそうではない。

その事に気付くまでに
すごく時間がかかったように思います。

よく「生き金」とか「死に金」とかいいますが
それは言語化するときに必要なだけであって
基本的に人の為になることをしていれば
自分の時間、お金、労力を失ったとしても
プラスにはなるはず。

重要なのは独りよがりの「相手のため」ではなく
本当に相手が困っていたり求めてくれている時に
それを用意出来るか、助けてあげられるかどうか
なんだと思います。

相手が求めてもいないのに
よかれと思ってする事に関しては
逆効果の事だってあります。

求めていないのにするのは
ただのおせっかい。

相手と自分にとって不利益しかうまない。
自分の気持ちも相手に届かない。
本当に勿体ない。


そのへんの感覚がちゃんと正常にある人に限って言えば
自分と相手との境界線をなくしてしまえば
損得なんて考えなくていいと思っています。

相手を自分の一部のように思う事が出来れば
お金を使っても自分に使ったのと同じ。
損してる事にはならない。

誰もが自分の幸せの為なら
労力も時間もお金も使います。

なんで自分と相手をわけないといけないのでしょうか。
「幸せ」に関して言えば
相手の幸せも自分の事のように思う事が出来れば
わける必要なんてないし
見返りなんて求める必要もない。

そのときはじめて本当の親切や思いやりが
生まれるのだと思っています。

自分のエゴや自尊心、自己顕示欲を満たす為に
人を使うものではない。


今よりももっともっと愚かだった頃は
得する事をよく考えてた。
しかし、今は人をどう得させようかいつも考えてる。
その中にしか自分自身の幸せはないと気付いたから。

自分の中に自分の幸せがあるのだと思っていたけれど
相手の中、他人の中にしか
自分の幸せってないんだよ。

その精神姿勢こそが最終的に自分も周りも幸せにする。

人は自分にしてもらったことを返そうとする。
自分が常に心の底から
人の幸せを願い行動出来ていて
的外れなものでなければ
同じように人からも自分の事のように
自分の幸せを願ってもらえるものなんだよな。

”得”しようと思うのではなく
”徳”しようと思う事が大切なのではないかと
ふと思ったので残しておきます。

自信がない人へ。

自信というものは
小さな成功体験の積み重ねや
あらゆる困難、状況を自分の力で
乗り越えることにより
つくものだと感じています。

誰でも知らない事や苦手な事に対して
自信なんて持てないですもんね。

しかし、お風呂に入る事や靴を履く事等
日常行っている事に対して
「失敗したらどうしよう。。」
なんて思いませんよね。笑

それは出来るのがわかりきってるからなんです。

自信がないという言葉が心の中に浮かぶ時は
確かに自信 がないときだと思います。

しかし、自信がある事に関しては
常に「この事については自信がある!!」なんて
意識はしないものだと思います。

出来る事っていうのは
自分にとってすごく当たり前の事なんですよね。


あなたの特技はなんですか??
なんて聞いて思い浮かばない人も
中学校のとき何部でしたか??とか
趣味ってありますか??
等、質問してあげると見つけられる事が多いです。

しかし、出来る事に関して
自信を持っている人というのは
思いのほか少ない。。

もちろん上には上がいるので
どこまでいっても完璧っていうことなんかないのですが
ここまでのレベルや行程の事ならわかりますよ。とか
これくらいの事は出来ますよ。とか
そんなのでいいと思うんですよね。


あらゆるジャンルで小さな成功体験を積み重ね
人並み以上に出来るようになることが
なおきちのオススメの自信を持つ方法です。

あらゆるジャンルで小さな成功体験を積み重ねるには
まず「好きな事をやること」
「興味を持てる事をやること」が
とても重要だと思っています。

継続は力なり
という言葉がありますが
好きでなんとなくずっとやってるだけでも
確かに上達ってある程度しますもんね。

逆算して考えれば
様々な事に関心を持つ事、
まずやってみることが大切なんじゃないかと思います。

大人になるとどうしても
後先考えてしまって動けなくなってしまいがちですもんね。

もし仮に失敗したとしても
失うものなんて限定的だと思います。

しかし、行動しなかった結果失うもの、
それを日々積み上げた結果の損失は
人生において計り知れないものだと思います。

自信がないというのは
経験不足なのではないか。

認められるまでやってみる。
極論ですが僕はこれを意識してやってきました。

この考えを押し付けるつもりもありませんが
自分の中で一切のいい訳を捨てたとき
こんなふうに思いました。

2013年9月3日火曜日

自由すぎる自由に戸惑う人が多いという事実。

個人的には自由であればあるほど
テンションがあがります。

みんながみんなそうじゃないと気付く事、
理解出来るまでにかなりの時間がかかりました。

適度な自由っていうのが
一般的には好まれるようです。

今のままでは息苦しい。。
もうちょっと自由が欲しいけど
出来れば今の生活を継続したまま
自由があればなぁ。。


例えるなら
ちょっと給料があがるとか
給料そのままで休みが増えるとか
そういうことなのかな。


ずっと労働というものに
疑問を持っていた自分としては
その事がいまだに不思議でしょうがない。

労働というのは
社会に貢献する方法の一つだと思うんです。

税金を納めないというのは
確かによくないですよね。

この国が成り立っているのは
税金があるからでもあるしね。

汗を流す仕事もいいですね。
デスクワークもいい。
公務員も
自営業も全部いいと思います。

しかし、選択肢を何故教えてくれる人が
こうも少ないんでしょう。

俺の勉強不足だったのかもしれません。

この世の中、自分で気付かなければ
死ぬまで知らないままなこと
平気であると思った。


もっともっと自由に生きる事だって出来る。

しかし自由というのはいつの時代も
一部の例外を除いて
大きな自由を手に入れようとすればするほど
様々なリスクをとらなければならない。

それが一般的には嫌われるのかな。

もっともっと大きな自由を一緒に求められる人を
見つけていきたいな。

肯定的な仲間こそ自分の精神をもっと自由にしてくれる
大切な存在だと思っています。


2013年9月2日月曜日

誰かの為のチャンス。

自分では掴めないが
自分以外の誰かなら掴めるはずのチャンスが
自分のところにたどり着く事がある。

そんなとき
適材適所、紹介してあげられる人になろう。

自分がそれを掴むのは違うというのは
はっきりわかってる。
だけど誰かが掴まなければ
捨てるしかなかったり腐ってしまったり
するものだってある。


チャンスは生き物だと思ってる。

言い訳したり
後回しにしたら
その瞬間腐る。

ただの砂に変わる。


だからチャンスをつかむタイミングってのも
大切だけど、大きな決断を一瞬で出来るだけの
精神力と決断力がすごく大切で
後の事はなんとかなる、
後からついてくる
なんて、ある意味楽観的に考えられる人じゃなければ
なかなか難しいような気もした。

「なんとかなる」か
「どうにもならない」かって
今までの経験から直感で決めてることが多いと
自分自身気がついた。

それをもっときわめていけば
どんなことでも適切なタイミングで決断して
帳尻を合わせていけるのではないかと感じた。

その為に必要なスキルが自分にあったり
周りに必要な人物がそろっていてこそ
出来る事なのかもしれない。


時々思うのだが
夢を叶える事、チャンスをつかむ事って
自分自身のことのように考えがちだが
むしろ周りの力の方が大きいのかもしれない。

まずチャンスを持ってきてくれるのは
自分ではなく周りの人の方が多いし
周りの支え無しに出来る事には
制限がある。

自分と周りの人を大切にすることが
チャンスを手に入れる一番の近道なのかもしれない。

コツはお金という尺度で見ない事かな。

たくさんの人を大切にするということは
一概には言えないがお金がかかる場面もどうしても出てきてしまう。

まわりの人にお金を使う事は自分への投資とも
よく言われるがその意味が分かった気がした。

あまりケチケチする人を
人は好まないし
おおらかでゆるやかな器の大きな人に
安心感を覚える。


自分らしくありながら
人を大切に。。ということは
可能だと思ってる。

全ての人を大切にするのは難しいのかもしれない。
だけど、応援してくれる人のことは
最低限自分なりに大切にしたい。

そして仲間へチャンスをどんどん渡していきたい。

そんなふうに思った。