2013年12月30日月曜日

「無料」の価値。

無料というものには
無限の価値があると同時に0でもある。

全く不思議なものだ。

最近良く思う。
価値はそこに存在するその時点で
一定の本質的な価値がある。

同時に、人間の世界において
価値を定めているのは人間だ。

だから、人間目線の価値で判断する。


本来の価値と人間が定める価値には
ズレがある。

地球全体で考えれば
自然は最大限大切にするべきなのは
誰だってわかるはずだ。

しかし、人間の価値においては
さほど高くない。

必要なのもわかってる。
でも、有り余っているから価値が「低い」と
されているのが現状だ。



話しを戻そう。

無料。
僕自身少し前までその言葉に弱かった。

しかしここ数年、ありがたいことに本当に良い物に
触れる機会にも恵まれた。

触れてみて初めてわかるその差。

物だけではない。
人間もそうだ。

人間を価値ではかるなんてナンセンスかもしれないが
はからずとも感じてしまうようになった。

あくまで主観の話しなので
他の人が同じだとは限らないし
価値観はそれぞれだから感じ方もそれぞれで当然。


それぞれ違うと良く思う。
だからこそ自分の考えを言わなくなった。
無駄に論争することも好きではないし
論破することに興味が無くなったからだ。

究極の争いのいきつくところは
平行線だと悟ったからだ。

価値観の違いをただすということは
自分の過去を否定するか
相手の過去を否定する事に
繋がるような気がしている。

そんなことまでして
自分が正しいなんて言い張りたくない。

それに、自分が全てにおいて
正しいなんて思っていない。


無料というものの価値。
それはまさに価値観の違いで
魅力的にも価値が0にも思える。

 無料で喜ぶ人は
金銭的に少なからず枯渇感を抱えながら
生きている人と言えるのではないか。

もしくはお金に対して劣等感を持っていたり
罪悪感を持っている人達。

無料の魅力は
金銭のやりとりがないということ。

無料とうたうからには
何かを提供します、でも、お金は頂きません。
という場合がほとんどだと思う。


僕は今までお金に対する罪悪感と劣等感から
無料でなんでもすることがいいことだと思っていた。

誰彼構わず提供してお金を頂かない事が
美徳のように感じていた。


しかし、最近思います。
俺はお金がない人にとっては確かに
少しの価値は提供出来たのかもしれない。

でも、お金を持っている人に対して
それでは価値を提供出来ていないのではないか。


お金を持っている人達というのは
価値があるなら少々高くても喜んでお金を支払う。

求めているものを早く、上質な物を確実に提供する。
求めているのは無料や値引きなんて言葉ではなくて
最大限のクォリティなんだよね。
むしろ、そこしかいらない。


僕はずっと自分自身のお金がない痛みを
人に重ね合わせて癒そうとしていたのかもしれない。

一環して言い続けた「見返りを求めず提供する」ということ
もうじゅうぶん証明出来たかな。

行動で示したかったんよ。
こんな人間もいるんだと。


ここからは価値の提供に力を入れていきたいんだ。


こんなことを思い出した。
フリーマーケットでハンドメイドを売ってた時
おばさんが値切ってくるんだよね。
僕はおばさんが気に入ってくれたのなら。。
と応じたのだけれど
おばさんからしてみれば安く買えればそれでよかったんだよね。
そして値切るということは
その商品にそれだけの価値はないと言い放ってるも同じ。
大量生産したものを流通を通して量販店で販売しているものなら
まあまあ。。と思うけど、
一対一でハンドメイドのものを値切る人って
ちょっと変わってるよね。

自分が得すればそれでいい。
僕の今の行動はそんな考えの人を引き寄せてるように思えた。

なおきちを利用して自分が得すればいい、
口には出さなくとも本人も意識しなくとも
無意識の段階でそんなことを思っているから
行動にでてしまう。

それでもかまわないと思っていた。
別に腹もたたない。
人間なんてそんなものってどこかで思っているから。

だから見返りを求めてないと公言出来るのだと思う。
とてもさみしい人間なのだろうなぁと自分自身思う。

でも、同時にそんな人ばかりじゃないことも知ってる。

どうしょうもなく優しくてあたたかい人もいる。
俺を利用しても利用した分返そうとする人もいる。
口には出さないけどそういうのはちゃんとわかる。

いいことはみんなのおかげ、
悪い事は俺のせい。
それは心のそこからそう思う。

何事も言い訳なんてしない!
全ての原因は自分自身なんだ。
どんなときも。



少し前にフリー戦略というのが流行った。
これはすごいと正直思ったし
これは本質に近いと思った。

インターネットやデジタルを使えば
この戦略は最強かもしれない。

だからこそ、無料というのは
これから恐ろしい物になる。
何かを受け取るということは
同時に何かを失っている可能性が
非常に高い時代がくる。

無料で受け取った便利な物が
人生を狂わす。
それはもうこの世の中では起きている。

全てはちゃんと理解して納得したうえでやること。

受け取る物と差し出すものを
自分の価値観で考えて差し引き納得出来るなら
受け取ればいい。

仕組みの裏側になにがあるのか。
それを考えないと恐い時代になる。


2014年は自分の価値観でいくと決めてる。
何が起きようとも。

人が離れる事もあるだろう。
しかし、その事によって新しい風が吹くだろう。
俺から切る事はかなり少ない。

価値を高める戦略に切り替える。
本来の自分に素直に。

努力している人が認められる形に。
スキルが高い人が評価される形に。
誰もが不快な感情を抱く事無くコミュニケーションをとれる形に。

仲間に何も与えようとせず
自分だけが受け取り続ければそれは居心地がいいだろう。
しかし、そんな組織なんて誰も求めていない。

嫌いな人と一緒に過ごす時間も求めてないだろう。

誰もが自分が認める大好きな人と一緒に遊びたい。
無駄のない濃いメンバーで遊びたい。
常に刺激があって飽きないことをやりたい。

そう願っているのではないか。

なおきちという人間は
今から考えると本当にどうしょうもないやつだった。
だから、自己中な人や嫌われてしまう人や
不器用な人の気持ちがすごくわかる。
自分自身がそうだったからね。

だからその人達の居場所を確保することを
最優先に考えてしまっていたように思う。

その犠牲として大好きな仲間もたくさん失ったし
優秀な人の離脱にも繋がった。

わかっていたけど
じゃあ、嫌われた人はどこへいくの?と思った。
ここにしか居場所がない人は
ここで嫌われたらもう後がない。
誰からも好かれる人は居場所なんてどこにでもある。
ここにいてほしいけど
俺は無意識のうちに嫌われ者をかばってきた。

しかし、当然だけど嫌われてしまう人には原因がある。
俺がどれだけ尽くしても最終的には
俺に文句を言っていなくなるメンバーも
少なくない。

それでも見返りを求めずにしたことだし
俺も完璧な人間ではないから
自分の非だけを考え反省しようと思ってきた。

恩着せがましいのは嫌だから。


そして俺はいつも人を人間的なレベルで
見てしまっていることに罪悪感を抱えていた。

自分でいうのもなんだけど、
このレベル分けは結構正確な自信がある。
関われば関わる程正確になる。

昔からこれは出来てたし
誰にでも出来るものだと思っていたけど
そうでもないと知ったのは割と最近。

もともとが狭く深くしか人と関われない人間だから
自分と合うか合わないかを察知する習慣が
ついてたんだろうね。

人の好き嫌いは激しい方だった。

自分に素直に生きてたときは
嫌いな人と仲良くする意味も一切わかんなかった。
人生において嫌いな人と関わる事以上に
無駄な事なんてないと思ってた。笑

大好きな人と関われればそれでいい。
そう思っていたし
今も心のどこかでその想いは消えていない。


俺はここ数年批判されることや
否定されることに恐怖を感じていた。

けど、乗り越えなければ
先は無いと思った。


組織の価値を高めることを決めた。
2014年はそこに尽力する。

優秀な人間は最優先で俺の近くにおく。
人間的に成長したり
スキルが高い人ももちろん評価していく。

そして成長出来る場や
各自が自分の好きな事を仕事に出来るように
していけるようなシステムも考える!

全ては俺が決める。

うん、俺が全て決める!!



最後に、

俺は人を偉そうに人間的なレベルでわけたりしてて
これから組織を最適化しようと思ってる、
俺は平等に扱いたいのだけど
この考えは差別かもしれないと思い悩んだとき

「本当の平等とはみんなを同じように扱うことではなくて
頑張った人や優秀な人は評価し
そうじゃない人にはそれなりの評価をくだす」

それが俺なりの平等だと思ったと信頼出来る人に言った。

そのときもらった言葉を。


「差別と区別は違うよ。」


ありがとう。
その通りだ。

2013年12月29日日曜日

揺るがない財産を築く。

今年(2013年)の半ばくらいからかな。
SNSの危うさを実感した。

SNSに限らず今あるものは
必ずいつか衰退していく。

そう考えた時に
じゃあ、確実性のあるものって
一体なんだ。
と考えた。


確実性のあるもの。。
それは「己」自身であったり
今、この手の届く範囲に存在するもの。
 
たくさんの物に囲まれて生活しているが
俺にとって武器となるものは
手の届く場所になにがあるんだ。


パソコン
冷蔵庫
プリンタ
テレビ
インターネット

自動車
お風呂
トイレ
キッチン
作業出来るスペース
寝るスペース
考え事が出来るスペース
ホワイトボード


いくつかあった。
所有という概念は幻想だと思っている。
いつか人間は死ぬ。
その時には必ず現世に譲らなければならないのだ。
だから借りても買っても
本質的にはそんなに違いは無い。
人間が勝手に決めた概念なので。


物じゃなければなんだろ。
考えた。

スキル
知識
人脈
データ
身体能力
内面的魅力
外見的魅力

そんなところだろう。

つまり、
大きくわけると自分自身と
自分の手の届く範囲のものとなる。


自分自身は磨いていくとして
インターネット上での出来事を
リアルに置き換えすぎるのは危ない。

紙切れなら燃やすか捨てるかしなければ
基本的には手元にずっとあるが
ネット上のデータは勝手に改変される可能性もあるし
一夜のうちに0になることだってある。


運良くここまで
大きなトラブルはないが
確実性のあることをしようと思った。

時代は変化していく。
それに対応する方法は
手元にある基盤を使い続けられるという前提だけだ。

SNSでは規約違反をすればアカウントは削除される。
例え理不尽な理由だとしても。

ブログサービスを提供している会社が潰れれば
何年も書き続けたブログデータは
0になってしまうかもしれない。


全て手元に残しておけ。
データとして。
自分のパソコンのハードディスクの中に
いれておけ。

そう思うようになって
必死でホームページの勉強をした。

簡単な事は出来るようになった。
自分の組織用のサーバも借りて
独自ドメインも取得した。


必要だと感じたらすぐに行動する事。
これが大切。

その気になれば一週間後でさえ
大きく変えられるだろう。


人や会社を信用出来ないのは
とてもさみしいことだと思うが
俺にとっては積み上げたデータが
全て0になってしまうことのほうが淋しい。

人をあてにしすぎて失敗しても
その人のせいにするわけにはいかないでしょ。
だったら、あらかじめ先回りして
フォローしておくのがいい。

どんな事態が起きても
最悪大丈夫なように。

2013年12月28日土曜日

セレクトしなければ価値はない。

雑貨屋さんに置き換えてみるとわかりやすいだろう。

なんでもありの雑貨屋さんってダサいと思ってる。
選んだりせずに安いから仕入れたものから
高級なものまであれば
高級な物の価値は下がりどうでもいいものに薄められてしまう。

お店の雰囲気から雑貨の価値は決まってると思います。

雑貨屋さんで働いたことがあるから言えるけど
おしゃれな雑貨屋さんって実は取り扱ってるものは
似ていたりする。

でも、どの店にあるかによって
それがおしゃれなのかどうなのかも
見え方が変わってきたりする。

その理由はやはりブランディングだろう。

このお店は明らかにおしゃれなお店だから
変な物は置かないだろう。。

そういう信用のもと雑貨を買う人もいます。

これは服屋さんも同じで
おしゃれなお店に奇抜なものを置いていても違和感ないけど
何十年も昔からあるおばちゃんしかいかないようなお店に
奇抜なものを置いてたら
これ誰が着るの?ってなるよね。

そう。
ブランディングが大事で
もっと言えばセレクトすることが大事。

それが信用に繋がり価値があがるのだ。


何を「良し」とし
何を「駄目」だと判断するか。

結局それはオーナーのセンスや価値観なんだよね。


セレクトショップなんかその典型で
オーナーがこれは間違いない!
これはすごく好きだ!
というものを取り揃えそのセンスに共感してくれた人が
お客様になる。

そういう場合、商品の値段はそこまで関係なくなる事が多い。

競合の世界での商売ではなくなるから。
その地域ではそこでしか売っていない物があれば
少々高くても気に入れば買うし
少量しかいれないなら仕入れコストも
値段におおいに反映させることになるだろう。

それでも「ありがとう。」と感謝してくれる
価値のわかる人というのはいるものだ。


何を選び
何を選ばないか。

セレクトするということは
批判されるということでもある。

センスなんて人それぞれだから
いいという人もいれば悪いという人もいる。

おしゃれだというひともいれば
ダサいという人もいる。

自分がこれは最高だ!
と声高に叫んでしまえば
「それはどうかな。。」
なんて否定をいれてくる人は必ずいる。

セレクトしなければ否定もない。

。。が、そこに価値もないんだよ。

完全に0。
何も生み出せやしないんだ。


人それぞれなのだから
自分が好きだからと言って
相手も同じように好きとは限らない。

自分が好きだと思う物を
嫌いだという人があらわれても
それでも人は人、自分は自分なのだと
思えるのであれば是非セレクトすることを
おすすめしたい。

そして人のセレクトしたものを批判する必要もない。
誰もが自分のセンスで選んだ物を
堂々と掲げられる時代であってほしいと思ってる。

そしてそんな時代の中で僕も
大胆にセレクトしていかなければならないと
今、強く思っている。

人間的レベルの階層。

あまりこういう事を口に出すのは
よくないと思い書く事も少ないのだけれど
ちょっと書いてみるか。


人間的なレベルについて考えた事はありますか?

子供
中学生
大人
年配の方。。

不良
大学生
主婦
社長。。

様々な年齢、性別、立場の人がいますよね。
でも、どの立ち位置だからレベルが高いとか低いとかって
ないと思います。

社長さんでも愚かな人はいますし
主婦でもしっかりとした考えの方はいらっしゃいます。


人間的なレベルには経験値が関わっている事が多い。

極端に人と関わってこなかった人や
嫌われている事を知りつつも改善してこなかった人等
問題から逃げてきた人は人間的なレベルが低い人が
多いような気がします。

人は悲しい事がたくさんあって優しくなります。
人の気持ちがわかるようになります。

思っていたより現実が厳しかったり
思っていたより優しくしてもらえたり。。

実際の社会で学ぶことは本当に多い。
しかし、それをしてこなかった人というのは
人との関わり方がわからなかったり
人の気持ちがわからなかったりします。

自分が正しいと思い込んでいる人も
経験値が足りてない人に多いですね。


人間的なレベルの低い人と高い人とでは
かみ合いません。

人間的なレベルが低い人は自分が得をしようと考え
レベルが高い人は人を得させようと考えます。

レベルが低い人はどうやってお金を使わずにすむかを考え
レベルが高い人はどうやって有意義に無駄なくお金を使うかを考えます。

価値観自体が全く違うのです。
レベルが低い人は歩み寄る姿勢も乏しいので本当に残念です。


この人間的なレベルの階層が違う人達を
同じ空間にとどめておくことは出来ません。

別々の次元を生きる人達だから。

レベルの低い人には成長の場所、
レベルの高い人には有意義な時間を過ごせる場所が
あるといいなと思いました。


レベルが低いというとまるで差別しているようですが
そういうつもりは一切無くて
誰だって経験値がないときには同じようにしていたはずなんです。
ちょっと成長が遅れているだけであって
経験値を高めれば上手になることも多いはず。

誰もが愛される人間であってほしい。
勝手ながらそう強く思います!


人間的なレベルに関してはいつも考えるので
僕ももっと向上したいと思い
本を読んでみたり行動してみたり
スキルアップをはかってみたりします。

実際、去年できなかった事が
今年出来た。。ということはよくあります。

目に見える成長は意識的に作れてるけど
目に見えない本質的な成長の方が
僕にとっては価値ある事なんです。

心の底から人を想い行動出来る人でありたい。

柔軟に相手のレベルに合わせて会話が出来る人でありたい。

何に対しても見下すことはないですが
このレベルという概念がないと
対等に話す事も出来ない。

自分の世界を狭める事になる。

みんな同じ対応ではダメなんですよね。

だからあえてこのレベルという話しを書いてみました。


世の中の事は目に見えないこと、
誰も教えてくれない事のほうが
大切なんですよね。

そういうことを意識してないと
いつの間にか誰かの都合のいいように
行動してしまうことになります。


人間的なレベル、もっともっとあげたいな。
出来る事なら一緒に成長していける仲間を増やしていきたい。
なかなかこういう真面目な話しをする機会ってないけど
僕はこういう話し好きなので
是非機会があれば語りましょう。

深い話し、好きです。

2013年12月26日木曜日

本当の不幸について。

時々こんな事を考えます。

本当に不幸なのはどういう事なのかと。

それを考える時に相対的に本当の幸福についても考えます。


昔はお金持ちの家の子供に生まれてたら
絶対幸せだったのに!なんて
考えていました。

だけど、大人になって色々な経験をしたり
色々な人を見ているうちに
どうも一概には言えない事に気付いたのです。


僕は何不自由なく育ててもらいました。
そのことに関して親に感謝しています。

ありあまるお小遣いというものはなかったので
自分で試行錯誤して作るようになりました。

お金のかからない遊びをしようという発想を持ちました。

お金をかけて遊べば簡単に遊べます。

しかし、お金をかけずに遊ぼうと思ったら
アイデアと工夫が必要です。

まず、誰かが用意してくれた遊びではなく
自分達で「遊び」自体を創り出したりします。笑

ルールを決めて改善していって
より楽しい遊びになるように。

そして無い物はダンボールや家にあるもので
作ったりして遊んでいました。

子供の時からブロックが大好きで
ブロックでモデリングして
ダンボールで作るみたいな感覚がありました。


今の子供はどうかわからないけど
あの当時子供だった僕にとってダンボールと
ガムテープとハサミとマジックさえあれば
なんでも作れるような気がしました。



ある日、冷蔵庫が家にきました。
その冷蔵庫の箱を見た時
目が輝いたのを今でも覚えています。

冷蔵庫の箱を切ったり貼ったりして
ベランダに秘密基地を作りました。

秘密基地と言っても
家族全員知っていますが。。笑

そして外からも丸見えですが
あの当時秘密基地にすごく憧れていたので。

ダンボールを切ったり貼ったりして作った
秘密基地の中は子供だった僕にとっては
とても広く自分だけの空間が嬉しかったです。

 しかし、ベランダに作った秘密基地は
大人の生活にとっては邪魔だったのか
数日で撤去することになりました。

すごくイヤだったのを覚えています。


クリスマスの時には
ケーキを食べました。

美味しかったし楽しかった。

でも、もっと食べれたらいいのになぁ。。

っていうのはいつも思っていました。




子供の時の渇望感というのは
大人になってからの行動に直結していると思います。

大人になったらケーキ1ホール全部1人で食べたい。。
本格的な秘密基地を作りたい。

そういう気持ちは今でも思い出す事が出来ます。


当時はうまくいかず思い通りに出来ず
大人が簡単に叶えてくれないことを恨んだりしました。

しかし、出来なかった事を自分の力で
やることが許されるようになってから
見事にクリエイティビティが最大化したように思います。



お金持ちじゃないからわからないけれど
もしも身の回りの事をしてくれる人がいたり
欲しい物が全て手に入っていたなら
物なんてどうでもいいと思っていたかもしれない。

怪獣のように我が侭に
オオカミのように走り回りながらすごした幼少時代が
あったからこそ無いものにフォーカスするよりも
欲しすぎて創り出してしまおう!という発想が生まれた。

あまりにも欲が強いとこうなるのだと自分で思った。

なんでも自分でやる習慣がつく。
何もないなら作ればいいという発想が身に付く。

それは大人になってはじめて気付いたけど
誰もが持っている物ではなくて
特別な才能なのだと。


何かが満たされていれば
同時に何かは退化していく。

逆に
何かが満たされなければ
何かは進化していくんだ。。



そして思った。
お金持ちだから偉いわけじゃない。
お金持ちの子供だからスキルが高いわけじゃない。

普通の家庭の子供の方がスキルが高いこともあるじゃないか。

お金持ちの有利なところは様々な経験をしているところ。
海外旅行や美味しい物を食べた経験があったりする。

これも思うんだけど、
もしかしたら求めてない時に海外旅行に行っても
あまり感動はないのかもしれない。

僕は学校の勉強って退屈で堪え難かった。
あれは求めても無いのに詰め込まれようとするから。
すごく不快だった。
どうしょうもなく。

でも、今の僕は誰も頼んでもいないのに
自分で本を買ったりネットで調べたりしながら
自分の興味がある事を勉強してる。
時には勉強する為に数万円支払う事だってある!!
しかも、先生とかに教えてもらう為ではなく
自分なりの実験や教材費に。

基本的に自分のペースでやりたいから
人に教えてもらうことは少ない。
ほぼ皆無。

ペースを乱されることは何よりも嫌いだから。
うんざりするのでね。



話しを戻します。

本当の不幸とは何か。

僕が思う本当の不幸とは
自分が幸福だと気付いていない人だと思います。

どんなことでも表と裏があり
メリットとデメリットがある。

同じ物でも光が当たってる部分だけを見れば
キレイに見えるし
影の部分を見れば黒いだけだ。

でも、同じ物であり見方、視点が違うだけ。

つまり、マイナスな面を見て悲しむ必要は無いってこと。
どんなこともプラスに置き換えられる。

そして言い訳をいつもしている人も本当に不幸。

自分に都合のいい言い訳をしている人を見ると
とても悲しくなる。

自身の深層心理にさえ気付いていないのか
「あえて」自分はそうしていると
熱弁する人もいるが
少し人間力が高い人から見れば
それは自分の心を守る為に
顕在意識がそう言わせているということに気付く。

他人でもそれを見破れるのに
本人は自分が本当にそう思っていると思い込んでいたりする。

とても残念。
そういう熱弁を聞くと人は離れていってしまう。
自分の心に素直に。



お金があるかどうかは
本当の幸せをはかる材料の一つとして
数える事が出来るかもしれないが
ただの材料の一つにしかすぎない。

それよりももっと大きな要素はたくさんある。

何が大きな要素となるかは
人それぞれだ。


本当の幸福を考える事によって
相対的に不幸が見えてくるし
不幸について考える事によって
幸福が見えてくる。

一般的な幸福論なんてどうでもよくて
それぞれの価値で考えたらいい。

幸福まで常識にしばられなければならないのか。

そんなことは絶対にない!


あなたはあなたらしく。
ダメなとこもあっていいよ。
上手く付き合っていくことが大切だ。

たくさんの人と関わり
ぶつかり、たくさんたくさん悲しい想いをして
角がとれていくんだよ。

そしてま〜るくま〜るくなったとき
人にぶつかっても優しくなれるようになるんだよ。

おそれずにさ、いこう。

上手に出来ないときもある。
恥ずかしい思いをしてしまうこともある。

でも、頑張ってる姿勢っていうのは
どれだけ不器用だろうが下手だろうが
とても美しいと思うんだ。

出来ない理由を並べてるとこなんて見たくないよ。
やる理由、出来る理由を見つけるんだよ。
ないなら強引にでも作るんだよ!

本当は格好わるいことこそカッコいいよ。

ダサい自分を見せれる人ってカッコいいしかわいらしい。



幸福はいつだって自分の中にある。
見るものではなく感じるものだからさ。

あなたの目の前にたくさんの不幸が押し寄せても
傷だらけになりボロボロになろうとも
もしかしたらその事によって最後の「カド」がとれて
幸福に転がりだすかもしれない。

誰にもらった出会いか。

誰しも周りに人がたくさんいると思うんです。

その出会いについて深く考えることはありますか??


僕は時々考えるんです。

考えた時に自分の行動だけで出会えた人なんて
本当は1人もいません。

職場で出会った人でさえ
その会社を作った人間がいなければ
出会う事もなかった。

自分の力で何かをやった。
なんてことは正直幻想だと思っています。


直接誰かを紹介してもらったら
いつも僕は出会いをくれたその人に
強く感謝します。

繋いでくれたことに。
友達には友達がいてその友達にもさらに友達がいるわけですが
思いの外横に繋がっていく事って大人になってから
少ないと思いませんか?

重要な出会いやチャンスは大体人が持ってきてくれるものです。
それは経験から本当にそう思うのです。

重要な人物に出会えたから
それでいい。
ではないですよね。

出会わせてくれた人にまず感謝です。














2013年12月22日日曜日

量は質に転換する。

自分の事はある程度わかってるつもりです。


職人ってのは
一つの事を実直にきわめていくひと。

僕の致命的な部分は一つのことを長期的に
ずっとやるのは無理な事。

短期的には時に信じられない程の集中力を
発揮する事はあります。

そのときは寝る事もご飯もお風呂も
全てどうでもよくて
それだけに集中していたいし
優先順位を1番にしたくなる。

でも、それはずっとではない。

これをある程度のレベルで長期的に行う事が出来、
他の事はそんなに興味ないって感じの人が
職人なんだと思う。


僕の場合はやりたいことも好きな事もたくさん。
故に様々な事をしたい。


短所を嘆くより視点を変えよう。

短所だと思えば短所だが
世の中の物事全ての事はプラスに変換する事が出来る!!

そういう思考をいつも意識しているので
とくにこの事に関しては悩んでいない。


一つの事をずっと出来ない。。
と考えるのではなく
様々な事を同時に出来る!!
興味が泉のように溢れ出す!!
自分に正直に生きる事が出来る!!

こんなふうに言い換えれば
力が湧いてくるのではないだろうか。


もう思考パターンはマイナスにふれないようになってるので
自然にこんなふうに考えるようになったので
逆に意識しないとマイナスが見えない。

それもどうかと思うけど。笑



話しを戻します。

そんな職人ではない僕が成功するには
一つの物のクォリティだけを上げ続ける事は
おそらく不可能。

だとしたら。。

量を集める。
圧倒的な量ってのは質に転換する。

通常個人が集める事が出来ないような数を
手に入れる事が出来れば
それは実績にもなるし使える数字に変化する。


テレビのCMとかそうだよね。
まあ、あれはクォリティも高いからちょっと違うんだろうけど。

鶏が先か卵が先かという話しで
クォリティが高いから数が集まったのか
数を集めたからクォリティを上げる事が出来たのか。

おそらくだけどそれはどちらからスタートでも
いいと思ってる。


 得意な方、好きな方で。

俺は何に対しても質より量って言ってきた。
性格的にそれが好きだっただけなんだけどさ。

でもそろそろ質にもこだわりを持てる場所を
自分で作っていいかもって思ってる。

今までのものは今までのものでやりながらね。


質にこだわりだしたら
ストイックになりそうでこわいんよね。

無意識になんでもあり、どうでもいいよっていう
感じを作り出してきた感じもしてる。

0か100しかないんよ。
人にまでうるさく言って嫌われながら
何かを作っていくっていうのは
本当に孤独でそれでも自分の信念を
たった1人になっても貫けるのか。。

いつも最悪の事態を考えながら行動している
自分の頭では答えがでなかったんだろうな。


直感で動くには無意識のうちに
最悪どうにかなるかどうかを計算出来てなければ
直感では動けない。

意識して考えるのも違う。
それは直感ではない。
圧倒的な経験の中から
過去の答えを感覚として呼び起こし
実行するのが直感で動くってことだと思ってる。

経験が少ない人間がこれをやると
的外れな事になる。
だからお勧めしない。

。。というのも、
自分自身が何回もそれを経験してるから
なんだけどね。笑


自分の経験が多いだなんて思わないけど
最初から何も行動してない人よりは
色々やってきたという自負はある。

上には上がいるし
自分はまだ底辺でしかないと思ってるけどさ。

直感って脳を自動化させることなんじゃないかと思ってる。


もっと感覚で答えを導きだせるようになりたい。



どんなものでもいい。
ネット上で繋がってる人の合計の数字を
10万にしたい。

基本的ななおきちの考えは
100人に1人くらいは行動してくれたり
リアクションしてくれたりするんじゃないかという
希望的推測からきてる。

もちろん、内容にもよるだろうけど。
コメントくれたり口コミしてくれたり
再生ボタンを押してくれたり。
なんでもいい、アクションを起こしてくれる人が
仮に100人に1人いるならば
1万人なら100人
10万人なら1000人。


現在Twitterのフォロワー数が12000人
Facebook友達・フォロワーで2100人
楽遊会・mixi友達で3500にん

googl+とかアメブロ、シンプログ、Facebookページ等
細々としたのを全て合わせても2万人いくかどうかというところ。
これを最低でもあと5倍以上にしたいと考えてるわけだ。

ソーシャルメディアの需要はこれからもっと拡大していく。
テレビやラジオ等マスメディアとは属性の違うメディアとして
重要な位置づけになる。

ローカルラジオ局、ローカルテレビ等くらいの
影響力でも持つ事が出来ればすごいよね。
ネットで数字を作る事が出来れば
リアルと融合していく事も出来るだろう。


数という物は
大きくなればなるほど
さらに大きくなろうとする感じがある。

難しいのは数字が小さい時期。
これをどうするかだよね。

そしてSNSを含むネット上のサービスは
新しい物が出来ては廃れていく。

その時古くなったサービスで作ったユーザーと
新しいサービスでどう効率よく繋がれるか。

ネットだけでもリアルだけでもデメリットがある。
どちらも効率よくまわしていければ
デメリットはカバー出来るんよな。


質や量が圧倒的に高い場合
そこに価値が発生する。

何をやりたいかっていうのも
すごく重要なんだけど
何で価値を提供出来るのか
自分自身と向き合う事で
見つける事が出来るんじゃないかな。

量を質に転換する。
これが俺のやるべきことだ!!

2013年12月21日土曜日

夜のお店の価値。

夜のお店って価値が凝縮してる感じがあるよな。

キレイな女性
カッコいい男性
豪華でわかりやすい店内

価値があるから時給も高い。
当然のことなんだよな。


普通に友達とお酒を飲むだけでは
あんなに支払う必要がない。

それは価値が低いのではなくて
等価交換してるからだと思う。

自分が価値を支払っていて
同じくらい受け取ってるから。


夜のお店で呑むには
お金があって良識があれば
基本的に誰でも行ける。

誰だって楽しい人や
見た目がいい人と呑んでみたい、会話してみたいでしょ。
全員がそうじゃないにしても世の中のほとんどの人は
そういう欲求を少なからず持ってる。

自分が美しいと思える人に話しを聞いてもらったり
優しくしてもらいたい。

美しく着飾った人と対等に話してみたい。


お金を支払えば叶う。
それがサービスなんよな。

価値をあげるために
厳しいルールがある。

そのラインを保つ事で
安定したクォリティを継続して提供出来る。

その分、キャストへの報酬も高い。

とてもフェアだと思う。



安く提供する事に目がいきがちな世の中だが
値段をおさえることに注力するのではなく
価値をあげることに注力したいものだ。

そのほうがよっぽど経済はまわるし
ゲーム理論で囚人のジレンマと呼ばれるものに
陥ることもなくなる。

囚人のジレンマとはこの場合
他店に対抗して値段を安くしていくこと。
そうすれば一時的に他店から客が流れてくるが
また他店も値段を落とし客を奪われる。

本来、全てのお店が価格対抗しなければ
全てのお店が利益を最大化させることが出来るはずなのに
自分の店だけ儲けようとする店が
どんどん値段を落としていきそれに対抗したお店が
価格競争に巻き込まれていくこと。

囚人のジレンマに陥らない為には
値段を安くする事を考えるのではなく
価値を高める事を考える事。

値段で勝負するのではなく
比較された時に価値でまさっていることが
大切になる。


価値が高いお店とはターゲットのお客様の満足度が高いサービスを
提供するお店のこと。

高い価値を提供する事に関しては
お店だけではなく
好かれる人間も必ず周囲の人に何らかの価値を
提供し続けている。

優しい
話しを聞いてくれる
自分を押し付けない
優先してくれる
信頼出来る

そういう人達は周りに価値を提供しているんだ。
だから好かれる。

逆に、
自分の話ししかしない
話しをさえぎる
自分の事しか考えてない
信頼出来ない
不快な気持ちになる
マイナスな発言が多い
等の人は価値を提供出来ないばかりか
関わると損をするというイメージを周囲が持つため
結果的に周りから人がいなくなる。

これは本人に悪気があろうがなかろうが
関係なく結果としてそうなってしまうため
最悪の場合本人は理由がわかっていないこともある。

こういうことを考える時
自分はどうだろう。。といつも考える。


周りに価値を提供出来る人でありたい。

2013年12月16日月曜日

人生を前に進めたければ「No!」と言え。

何をして
何をしないか。

何を好み
何を嫌うか。



どうも「オトナ」の世界ってやつは
はっきりしない人間を作るのが
うまいようで
例に漏れず僕もそのようになっていっています。


しかし、本に書いてました。
詳しい文言は覚えてないけれど
ノーを出した選択の方が実は大切なのだと。


ノーを突きつけるというのは
とても勇気がいる事です。

あんなにも我が侭だった自分は
別人のようにそう思います。

きっと、たくさんの物を手に入れすぎたのでしょう。


はじめから何も無かった。

今も本当は何も「所有」なんてしていない。

時々ね、掃除をしていてそんなふうに思う事はあるんです。


生まれてきてから死ぬまで
本当にずっと一緒にいてくれるのは
自分自身だけなんだ。
つまり、心と一緒にいてくれるのは体だけで
体と一緒にいてくれるのは心だけなんだな。

いつからかそんなさみしいことを思うようになったよ。
しかし、心が楽になった。


人に期待しすぎていた昔の自分に比べ
今は穏やかにいられるんだ。



やりたいことを明確にするのと同じくらい
やりたくないことを明確にするのも大切な事。

時間がない、お金がない、
今の仕事をやめれない、
スキルが無い、自分には何も無いんだ。。

そんなことを言っている人は
実は一生そんなことを言い続けて
やりたいことをやれないまま死んでいくのだと
聞きました。

去年と預金通帳の中身がそんなに変わっていなかったり
付き合ってる人間もさほど変わっていない人は
気をつけた方がいいと聞きました。


明日も今日と同じような日が来てくれるとは
限らない。

ノー!と言えるのも生きてるうちだけなんだよなぁ。

無茶苦茶でもいいから
自分らしく生きていきたいな。


あと、こんな話しも聞いた事があります。
成功するには誰よりも失敗して
誰よりもリスクをとれと。

その振り幅で成功するのだと。

確かにリスクもとれず失敗もせずに
どうやって成功するというのだろうと
僕も思います。

新しい事をはじめるとき
僕は思いつく限りの失敗をしてみることにしています。

というか、ギリギリのラインを知るには
失敗するしかないんです。

本当に大切な事はギリギリのラインにある。

ギリギリアウトを知らない事には
ギリギリセーフは見えない。

安全圏でみんなと同じ事してたら
一生そのままなんだよね。

今までたくさんお金も失ってきたし
色んな意味で怪我しました。

それでも攻めようと思うのは
失ったもの以上に経験という宝物を得る事が出来
そこに価値を感じているからです。

何かをある程度極めるということは
他にも応用が大体きくんです。

そして何かで築いた基盤ってのは
他にも応用したり流用したり出来る事も少なくありません。


一点集中。
ズバ抜けなきゃ!!


弱火で水をあたためてても
いつまでたっても沸騰しないでしょ。

これでもかってくらい強火であたためたなら
水は湯気になる。

状態が変わる。
そこまで持って行くには短期間で集中して
結果を出すからなんだよな。

ずっとじゃなくていい。
ピンポイントで「今!」ってときには
他のことをおろそかにしてでも
やらなきゃなんないことだってあるんだ。

臆する事無くいこう。
成功か失敗しかない。

最終的に信じられるものは
自分自身だよ。

2013年12月11日水曜日

自分の看板で勝負する。

よく、サラリーマン時代に
大きな結果を残し
これなら独立してもいける!!
と思って脱サラしたはいいけど
うまくいかない。。という話しを聞きます。

自分の力を過信し、
会社の看板で仕事している事に
気付かない人っていうのは思いのほか多いようです。

何かをしようと思った時まず難しいのが
信用と実績。

それがないとどこも取引してくれませんもんね。


これは脱サラした人だけの話しではなく
誰かの力で自分が結果を出させてもらっているのに
そのことにも気付かずにいる人をよく見かけます。

自分が作り上げた看板で実績を積み
信頼を得て勝負してこそ
はじめて実力といえるのだと思います。

誰かが長年かけて作った看板を使って
やっていくのは本当に簡単な事なんですよね。

一番大変な0を1にする作業、
そこから1を2にして2を3にして
一歩一歩確実にやってきたその過程も考えずに
いる人を見かけると心が悲しくなります。

その度自分への戒めの気持ちも同時に生まれます。
誰が自分と繋げてくれたのか。
誰が自分を大きくしてくれたのか。
誰がチャンスをくれたのか。
誰が認めてくれたのか。

考えた時にたくさんの顔が浮かびます。
僕はその人達なしでは絶対に今の基盤を
作り上げる事は出来なかったし
自分の力なんて小さいと思っています。


キーパーソンと繋げてくれた人は
本当に大切にするべきだなと思いました。

人脈なんて湧いて生まれるものではない。
本当に優れた人なんてすぐにすぐ存在する物ではない。
貴重な人材と出会わせてくれた人には
特に感謝だ。

本当にありがとう。
これからも謙虚な気持ちを忘れずにいよう。
そして看板を磨いていこう。

2013年12月9日月曜日

需要がないところには供給するな。

需要があるところに供給するというのは
基本的なことだと思いますが
もしかしたら同じくらい大切かもしれないと
感じた事があります。

それは
需要がないところには供給しない。
ということです。


その理由は明白。
欲してる情報ならばそれは宝となり
価値も最大化します。

しかし、求めてもいない情報を
相手に押し付けてしまうと
相手はうんざりしてしまうわけですね。

どれだけ高級なソファでも
欲していない人には無料でも必要ない、
ゴミそのものなのですね。

 極端に言えば
4畳半に住んでる人に
大きなソファをプレゼントしようとしても
喜ばれる可能性はきわめて低いということです。


価値は人それぞれ。
自分の価値は尊重するべきだと思います。
しかし、他の人の価値は同等かそれ以上に
大切にするべきだと思っています。

また、需要がないところに供給するという事は
本当に効率が悪いし何かを生み出す可能性が
きわめて低いですね。

自分がどうしたいか。
ではなく、
相手は何を望んでいるのか。
そのことに重きを置けないのならば
きっと成功はないでしょう。

なぜなら、
あなたがやりたいことや
あなただけが得する事に多くの人は
興味がないからです。

ほとんどの人が興味を持っているのは
自分が得をする事や自分がやりたいこと、
欲求が満たされることですね。

相手と自分の利害が一致していると思っても
よく考えてみて。

自分の利益を優先していないか。
押し付けがましくなっていないか。

もしそうなっているのならば
望んだ結果とは反対の結果を
見る事になるでしょう。

そしてもしも、
実際自分の利益を優先し
相手の心も考えず「押し付けて」しまっている、
その事にも気付けない程の人間的なレベルなら
あなたの周りからは理由もわからずに
人が離れていくことでしょう。

全ては結果として出る。
いいことも悪い事も。

短期的に成功する人はいても
長期的に見れば確率論と同じで
必ず一定の結果が出るようになっている。

2013年12月6日金曜日

人と関わるときの基本。

様々な人がいます。
価値観が合う人合わない人
好きな人嫌いな人
尊敬出来る人、出来ない人。

その判断基準は通常自分の価値観ですよね。


しかし、関わるか関わらないかを選べないときもあります。
学校、職場、コミュニティ等。

そんな時心を楽に保つ為の考え方。



相手に寄り添う事。



自分が相手を好きか嫌いかなんて関係なくて
相手の価値観を精一杯想像する。
相手の価値観になったつもりで話しを聞く。

自分の価値観のまま話しを聞いてしまうと
どうしても「え?」って思う事や
理解出来ないこともあるでしょう。

そんなとき人はストレスを抱えてしまいます。

しかし、相手の価値観を想像しながら
話しを聞く事が出来れば
自分の価値観とは違うけれど
この人の価値観を想像すると
この考えでも理解出来るな、
自分とは考え方は違うけれど
この人はこうなんだな。
と、心の落としどころを作る事が出来ます。

人によって正しい事・正しくない事は違います。
自分の価値観に相手や世界をあてはめようとするのではなく
相手の価値観に歩み寄りじゅうぶん理解する姿勢を示しましょう。

どんな時もまずは自分から。


優しく人と接する人から見える世界は
優しさに満ちあふれています。

攻撃的に人と接する人から見える世界は
人間不信に陥りそうな程苦しい物でしょう。

しかし、全ては自分からはじめてしまったことなのです。

水面に一滴の水を落としているのはいつもあなた自身です。
世界はその一滴から波紋を広げ
あなたが見える世界はその波紋そのものなのです。

優しさという色の水を一滴落としたならば
あなたから優しさという波紋が広がり
あなたの目にはいつもその光景がうつるでしょう。


あと、人と関わる時に過剰な期待もよくない。
自分が相手にしてあげたいと思って行動したことは
それはその場で終わり。
あとは忘れればいいのです。

しかし、人から受けた恩はずっと覚えていて
様々な形で一生を通して返し続けましょう。

人生のタイミングには波があるので
今すぐ返せなかったとしても
ずっと忘れず少しずつ返せばいい。

その精神姿勢は相手にも伝わるものです。


人と関わる時
自分の事ばかり考えてる人は嫌われます。

判断基準を相手の価値観にすることで
相手にとって居心地の良い存在になれることでしょう。

2013年12月4日水曜日

なぜ汚れるのか。それは周りに物があるからだ。

汚れる。

その原因を考えてる。

何故汚れるのか。。
それは物があるからだ。

もしも周りに何もなければ最低限しか汚れる事はない。

しかし時に人は大切な物をそこに置いておきたいが為に
自らの手を汚す。

。。なんて、部屋を掃除しながら考えてた。
シュールな話しだ。笑


もし部屋に物が最低限しかなければ
散らかり方も最低限だろう。
知恵を使い無駄なく生きる。
そういうのもありだなと思った。

しかし何故人間はこうも
一度手にしたものを手放すことが
難しいのだろう。

自らをそのゴミに投影しているのではないか。
そんなふうに思う。

捨てられたくないから捨てないのか。

今日も四角い部屋で日が沈む。

2013年11月25日月曜日

アイデアと移動距離は比例する。

アイデアと移動距離は比例する。

こんな言葉を聞いた事があるだろうか。
少し遠出をするといつもこの言葉を思い出す。

そしていつも納得する。

気持ちもリフレッシュするし
様々なものを見る事になるから
そのぶんアイデアも生まれやすい。


時には目的が無かったとしても
どこかにいってみるというのは
大切な事だなと最近よく思います。

もちろん、目的があればそれはそれでいいのだけれど
家の中だけではアイデアを生み出すにも
少し限界を感じるときがある。

素晴らしいアイデアは
ガソリン代なんかでは測れない。

2013年11月24日日曜日

金より人。

ふと思いました。

お金と人、どっちが大切なのか。

いや、そりゃ人に決まってるんですが
その判断を間違ってるときはないか。

例えばお金が手元にあるときと
ないときでは判断基準が
ちょっとずれてしまうということを
経験したことがあります。

お金と時間に余裕があれば
どんな誘いにも余裕を持って受けるのだけれど
慢性的にお金も時間もない時期は
「今遊んでる場合じゃない。。」なんて考えて
人よりお金を優先してたように思います。

バランスもあるとは思うのですが
出来る限り人を優先した方が
悪循環にはまらなくていいような気がしました。

どうしてもお金を優先してしまうと
1人でどうにかしようと考えたり
作業の量を増やしたりして
自分との闘いになるので
外部とのコミュニケーションもおろそかになります。

お金はなくとも
人とコミュニケーションをとっていれば
チャンスは自分が努力しているというのは前提ですが
人が持ってきてくれるものだと思っているので
その入り口を狭くする事になるので
人と会わなくなるというのは
よくないなと思いました。


まあ、判断の基準は人それぞれなので
一概にはいえないのだろうけど。

どんな時も相手に最善を尽くす。
自分の人生において
改めて気を引き締めて実行していこうと思いました。

2013年11月21日木曜日

自分らしい生き方について。

誰もが自分らしく生きたいと願っているはずなのに
あなたは諦めていませんか?

不安定な未来を恐れ
安定した仕事を選びたいと思っていませんか?

当然だと思います。

しかし、もし安定の定義が
思っていたものと違ったとしたら。。


高度経済成長期には
物が足りていなくて
作れば売れるという時代でした。

その時代には年功序列や年金制度等
素晴らしい制度が出来ました。

時は経ち。。

時代は流れが変わっています。
世の中で一番信頼出来る親でさえ
過去の価値観で生きている可能性が
残念ながら高いと言わざるを得ません。

過去に出来た制度というのは
その時の状態が続くと仮定して作られている物が多いので
時代が変わっていけば無理が生じるものも
少なくないです。

現在ある制度だって未来にはどうなるのかわからない。

そこに不平不満を抱くより
自分らしく生き、変化を歓迎出来るような
生き方を目指す方が建設的だと思いませんか?

偏見の目を持つ前に
まず体験する事がいいと僕は思います。

失敗は成功のもととはよくいったもので
失敗も出来ない人間が成功なんて絶対出来ないと思います。

家の中でじっとしていればそれは安全でしょう。
しかし、目に見える安全を得ると同時に
目に見えない安全を失っていると僕は思っています。

安定した給料やボーナスはさぞ居心地がいいことでしょう。
しかし、今当たり前にそこにある会社が10年後同じように
そこにあってくれるとは誰も保証出来ません。

そのときに自分自身対処出来ないことのほうが
本当のリスクだと思いませんか?


誤解を恐れずに言いたい。

不労所得、権利収入というものや
ビジネスを始める事を検討してもいいと思っています。

こんなことを言うとネットワークビジネスの勧誘だと
まず思われるだろうし何かしら怪しい商売の勧誘だと
思われてしまう事でしょう。

そんな誤解を恐れて何も言えないのであれば
僕は生きている価値がないと自分自身に思うようになりました。

ネットワークビジネス自体が悪い物だと僕は思いません。
合法のものであり、リスクをちゃんと理解してやっていくのであれば
問題ないとは思う。

でも、もしも始めるのなら一度僕に相談してもらいたい。
何人か複数のネットワークビジネスの会社で
現在働いてる人を知っているので。

彼らは一生懸命に夢に向かってやってる。
それを否定するつもりはないし
むしろ応援してる。

まだまだ偏見の多いネットワークビジネス。
かなりの覚悟がいりますよ!!
それでもやりたいというのであれば
僕個人としてはとめませんね。
ただ、メリットとデメリットはお伝えしたい。
フラットな立場から。


僕は頭ごなしに経験もしていないような事を
否定したりはしません。
あなたが何かをはじめたいというのであれば
たとえ世の中で偏見を持たれているものだとしても
僕はフラットに話しを聞き
あなたと同じ目線で一緒に考えます。

この考えは、どんな事をやっても
たとえ失敗しても、もちろん成功しても
人生において大きな経験となると知っているからです。

アフィリエイトをするのもいいでしょう。
株やFXをするのもいいでしょう。
自分でビジネスを構築する為に動くのもいいでしょう。
現在やりたいことがないのであれば一緒に考えます。

やりたいようにやったらいい。
あなたの人生なのだから。

どんな生き方をしてもリスクはあります。
見えないリスクにも目を向けてください。
「安定した生き方」を選ぶ事にさえリスクがあります!
むしろ、安定なんてないと個人的には思っています。

変化していく世の中を渡っていくには
方法ではなく本質や法則を知り
それに当てはめて選択していくことが大切だと思います。

誰もが自分らしく生きていいんだ。
小さな常識にはまる必要なんてない!

障害を抱えている人が一ヶ月に何百万円も稼いでいたりもします。
そう考えると僕たちは何もいい訳なんて出来ない。

時間がない、
お金がない、
アイデアがない、
そんなものは甘えでしかない。
もっと不利な立場で大成功している人が無数にいます!

やりたいことがないのなら
とにかく興味がある事に飛び込み
好きだと思う事、わくわくすることを見つけたらいい。

出来ないと思う事自体が不幸だ。
なんだって出来るのに。

「僕だから 」じゃない。
「誰」かは関係ない!

器用だとか不器用だとかも関係ない!

やりたいかやりたくないか。

自分で自分を諦めてるようなやつに
誰もついてこないし夢だって掴めなくて当たり前。

どんな状況でも自分をしっかりもてばいい。
自分はこうなんだ!と間違ってても叫べばいい。
それが後から考えて愚かであったとしても
誰にも知られずにじっとしてるよりは
何かを動かす可能性はずっと高い。

働きかけなければ何も動かない。
人どころか自分自身だって動かない。

人間の可能性は
想像も出来ない程に大きなものだと思ってる。

あなたはしょうもない人じゃないよ。
現在結果を出せてなくても
味方がいなかったとしても
性格が最悪だったとしても
昨日のあなたはもう死んだんだ。
今日のあなたは生きてる。
明日もおそらく生きてるだろう。
しかし明日になれば今日のあなたはもう死ぬんだ。
二度と会えやしない。
今日を生きてるのは今日の自分でしかない。
常にそう。

今日の自分しか生きれないのに
自分らしくない時間の割合が多いのはおかしい!
あなたの人生でしょ。

人にあなたの人生を決める権利なんて絶対にない!
本当は何がしたい?
もし手元に1億円あったとしても
あなたは今の仕事をしていますか?

もしそうじゃないのなら
あなたは今の仕事を好きでやってるわけではない。
それはお金のため、生活の為にやってるだけであって
一生やるべきものではない。

お金に制限がなかったら何をやりたい?
それがあなたの答えであり
僕が応援すべきことだ。

ネットワークビジネスがやりたいのなら
ネットワークビジネスの人を紹介する。
株やFXをしたいのなら本屋さんで本を読んだり
証券会社にまず口座を作ってから考えたらいい。
ミュージシャンになりたいならすぐにギターでもドラムでも
練習をはじめたらいい。
誰にも縛られたくない生き方をしたいのなら
僕と一緒に考えよう。

あなたの人生はいつだって
あなたの思い通りだ。

一つ言えるのはあなたがどんな未来を選んだとしても
僕は出来る限りあなたの奥底で本当に思っている事を引き出し
同じ目線で一緒に叶えていきたいということ。

俺の個人的なおすすめは
ネットワークビジネスでも株でもFXでもなく
あなたがやりたい事をどうやってお金にしていくかを考える事です。
現在すごく好きで好きでどうしょうもないことがあるのなら
それをどうにかしてお金にしていけないか。
それを考えるのが楽しい。

わくわくすることを一緒にやっていきたい。
出来る事なら同じような仲間をどんどん増やしていきたい。
もう会社にしがみつく時代はとっくに終わってるよ!

誰もが本当は目の前にたくさんの選択肢がある。
まずはそれを一緒に見ていきたいな。
必ずあなたにあったわくわくする選択肢があるはず。

あなたがあなたらしくいられる時間を
あなたの人生において増やす事が
僕のやりたいことでもあるのです。

心を自由に。
そして全てを社会に還元し貢献していきたい。
お金を稼ぐ事は自分の幸福の追求だけではなく
社会へ還元していくということ。
その考えがあればあなたがお金を稼げば稼ぐ程
社会はよくなっていくでしょ?
そしたら応援してくれる人も増えますよね。
もっと稼いでほしい、もっと応援したい、
そんな人が溢れますよね。

社会の幸福はイコール自分自身の幸福と繋がっています。
そして同じようにあなたの幸福は僕の幸福であり
この社会の大切な幸福でもあるのです。

なんだかこんな話しをすると宗教っぽくなってしまいますが
無宗教な僕の内面から出てくる言葉なのでしょうがない。
誤解を恐れずに伝えようと決めた。

あなたが嬉しいと僕も嬉しい。
きっと、それは僕だけではなく人間誰もがそうだと思います。
赤ちゃんの笑顔を見るだけでとても幸せな気持ちになりますよね。
それは人間の本質をあらわしてると思っています。
心からの笑顔は美しい。
心からの笑顔が溢れる世の中になれば
もっともっとワクワクが溢れると思っています。

まずは自分から。
そして身近な人へ。

動かなければ、語りかけなければ何も変わらない。
だからこうしてここに書いています。

これだけの長文をここまで読むあなたは
すごくまじめで真剣に自分の事、
将来の事を、現在のことと向き合ってるんだと思います。

人々の心を救えるようになりたい。
そのことが僕自身の心も癒すと本能が教えているのです。

自分も相手もない、
なにか見えない物で繋がっていて
相手が癒されれば自分の心も癒される事がわかります。
自分も相手も同じ。
イコールで結べるのだと感じています。

たくさんの人の深い悩みを解決出来る存在でありたい。
僕が教えるというよりは
本来その人の中に答えってあるものだから
それを引き出したり一緒に探したりしたい。

それが僕のやりたいことなのだと感じました。


心が軽くなり
あたたかくなり
ま〜るくなり
優しさでおおわれる。

そんなイメージをするだけで
なんとも言えない優しい気持ちになります。

それをあなたの心に見たとき
きっとあなたも僕も癒されるのだと思います。

自分らしく生きる事、
不可能じゃないよ。
無理じゃないよ。

だから探そう。
あなたのペースで。

僕はその為にこうしているのだと思っています。

2013年11月18日月曜日

人生一度。

本当の意味で
人生は一回しか無く
二度と歩むことは出来ないと
意識出来ている人は
どれくらいいるだろうか。

正直、自分自身まだ夢の中のような
気持ちでいるときもある。。
そんな気がしています。

本当の「真剣」とか「ガチ」ってやつは
まさに「死ぬ気」であるはずだし
そこまでの気持ちの持って行き方ってのは
ピンチにならないと人間実感がわかないものなんだろうな。

本当に本当に情けないこと。


うんざりするような体験や
思い出したくもないような過去があります。

そういうことを考えると
悔しいけれど生きているという実感をするわけです。


テレビでね、こんなことを言ってた。
「優しくしていればあっという間に馬鹿にされてしまう。」

なんて悲しいんだろう。
すごく理解出来た。

本来どうしようもなく短気な自分だけど
精神力と心理学を学び磨くことで
極力怒らないように、人に合わせることも覚えたけれど
完全になめられるんですよね。

別にヤンキーなわけじゃないから
それで極端に腹が立つわけではないけれど
なんだか損してる気になることもあります。


だけど、恐怖で治めるのも違う。

毅然とした態度で
いつでもいることが大切らしい。

確かに。

いつからか
自分の考えが一番正しいとは限らないと
気付いてからあまり強気にでることもなくなった気がしてる。

考えが歳を追うごとに柔軟になっていく。
いいことなんだけどね。


人生は本当に一回しか無いんだ。
今日という日は今日しかない。

間違っててもいい
ヘタクソでもいい
とにかく思ったように走り回りたいね。

びびって動けずにいるより
100万倍いいはずだから。

変わる情報発信の形。

今、自分の中での情報発信の形が
変わろうとしてるのを感じてる。

Facebookをしてる人は
当たり前のようにしてるけど
してない人は全くしていない。

ネットではなくリアルの方で
効率よく広く速く情報を伝達する手段を作り出したい。

ネットとリアルを最大限組み合わせるのが
最終的に最強なんだとは思ってるけど
ネットだけ、リアルだけの口コミ戦略を
最強にしてからその両方を融合するのが
いいと思ってる。

ネットの方でも
SNSだけに頼る手法から
ホームページをまさに文字通り
ホームのページにして
そこからリンクしていく形を考えてる。

そうなった時に最新情報を
効率よく伝えれるページ(出来れば自動で)を
どうするかという事も鍵になるな。

ジャンル分けするにしても
どうわけるのか、どのレベルでわけるのか等も
考えていかないと。

ネットは特化してこそ威力を発揮する。
デパート的戦略が出来るのは大手だけ。

個人の戦略としてはまずは一点突破で
突き抜けないとな。

リアルでの口コミはどんなコミュニティを作るか、組み合わせるかに
かかってると思う。
また、そのコミュニティの中でどのような空気やルールを
自分で作り出すか。
このへんは試行錯誤しか無い。

リアルとネットではルールが違うし
規模によってもルールが変わってくる。

そのへんを経験から知ってるのは
強みだと思ってる。

やりたいことを真っすぐにやろう。
もちろん、楽しみながら、ね。

2013年11月14日木曜日

奇跡のでどころ。

いつもミラクルを起こしてきたのは
僕ではなく僕を信頼してくれてる人達なのだなぁと
改めて思った。

自分に対してミラクルを起こす事ってちょっと難しいけれど
人に対してだと損得考えない時はじめて
ミラクルって起こせるのかもしれない。

利害関係無しに助けたいと思ってもらえる、
その気持ちの原動力は信頼関係であり
日々の積み重ねであり
「まずは自分から。。」の精神で
見返りを求めず行動し続けることからくると思いました。

人の価値っていうのは
100の批判より
1の深い深い賛同から生まれるのだと
感じました。

100人の言葉よりも
1人の人生を変える事が出来れば
自分の存在意義ってのは
見いだせる。
人を救う事によって自分が救われてんだ。


この事をキレイゴトではなく
実感として感じる事が出来ている
僕は本当に幸せだと思う。

人って優しい。
人ってあたたかい。

誰かの人生に良い影響を与えられる人でありたい。

その為に言葉があり
この手があり
ぬくもりがあるのだから。

2013年11月13日水曜日

「0を1にすること」と「0を1にする手助けをすること」

気付きがあったので残しておきます。

今まで自分発信で色々やってきて
様々な事をスタートしてきました。

それは0を1にするとでもいいましょうか、
自分が核となり様々なものを引き寄せ集めまとめるという作業です。

しかし思いました。
自分が0を1にするのはもうわかった。
自分の教えにおいて他の人にもこの0を1にする為に
必要な方法を伝えた方がいいのではないのか。

様々な視点で今自分がやるべきことを考えてみましたが
どう考えてもこの考えにいきつきます。

そうしないと自分自身先に進まないというか、
自分の壁の一つは自分自身なのではないか。。
そんな考えに行き着きました。


  1. 自分が覚える事
  2. 実践して結果をだす事
  3. 教える事
  4. 教えて結果をだせる事
  5. 教え方を教える事。

この順番でやるべきだと考えました。


1についてはクリアしてる。
2については楽遊会という実績等。
3については苦手だと思っている。
自分でやるのと人に教えるのとでは
全く違うスキルが必要。

そして方法を教える前に
基本的な考え方や価値観、方針、理念等を伝えないと
判断基準がわからないだろうなと思った。

僕の場合、方法とかよりも
とにかく考え方を磨いていく事に
重きを置いてきたから。
後はスキルを磨いていけばいいだけ。
間違った方向に進めばどれだけいいスキルを持っていても
結果は出ないと思ってる。
短期的に結果が出ても長期になればなるほど
過去に自分が作った大きな壁に飲み込まれてしまうでしょう。

そうならない為にも初期の段階から考え方を
知っておくのは大切なこと。


0を1にすることと
1から成長していくことは全く違うスキルが必要。

苦手な事から逃げるつもりもない。
とにかくやってみるのが一番だな。


今やってる勉強会以外にもアウトプットの場所や
人を集める場所を増やしていきたいな。


日々気付きがたくさんある。
まだまだ成長出来そうだ。

誰もが「自分自身」の価値について悩む。

「自分に価値なんてあるのだろうか。。」

「人の価値なんて決められるモノではないよ。」

「価値は自分で決めるものだ。」

「価値は相対的なものだ。」



あなたは自分自身の価値について考えた事はありますか?

職場で怒られてしまったり
学校でいじめられたり除け者にされてしまったりすると
「自分なんて。。」と思ってしまうのではないでしょうか。

上手に出来る人に劣等感を感じたり
自分の不器用さ加減にあきれたり
してるんじゃないですか?

スキルも特技もなにもないし。。
なんて思っていませんか?

もしこれに当てはまるならば
なおきちなりの考え方を。




 人は生きてるうちに知らず知らずのうちに
色んなスキルを持つ事になります。

靴ひもの結び方、
服の着かただってスキルです。

職場で事務仕事を覚えたり
バイトでレジの打ち方を覚えたり。

そういうのも立派なスキルなんです。


大半の人はスキルを身につけていることに関して疎い。
でも、出来ない人からしてみれば
レジ打ち出来るだけでも「すごい!!」ってなるんですよね。


そう考えるとあなたの人生において
あなたはたくさんのスキルを持っていると思いませんか?

短距離走はドベでしたか?
学力は学校で最下位でしたか?

もしもそうじゃないなら自信を持って下さい。


自分よりも出来ない人なんて正直いくらでもいます。
下を見て満足するというのはあまり好きではないですが
自信を全く持てないよりはいいと思っています。

情報は高いところから低いところに流れていきます。

つまり、詳しい人から疎い人に伝えられていくのです。

その原理原則は変わらない。

だから職人さんや先生と呼ばれる人は
すごいと言われるんですね。
 詳しいから。

でも先生と呼ばれる人でも
全てにおいてすごいわけではないですよね。

同じように何かに突出すればいいんです。
ものすごく狭い範囲のことでもいいしニッチな事でもいい。

広く深くは難しいけど
狭く深くなら可能。

そこで大切になってくるのは
極めるジャンルの事を自分は本当に好きかどうか。

もしもそこまで好きではないのなら
深く学ぶのは難しいでしょう。

興味というのはすごい力を持っています。
原動力はなんでもいいからまず興味を持ち
自分の中でワクワクするかどうか検証して
わくわくする、これは好きだと思えば
飛び込んでみたらいい。

楽しみながらやっていくうちに
スタートしていない人よりはいつの間にか
知識も積み上がってるものです。


そして積み上げた知識を自分の為だけに使うのではなく
そこから何が生み出せるのか、何を貢献出来るのか考えましょう。
最初はボランティアでもいいから実績を作っていく。
相手から教えてほしいと言われだしたら
それはもうお金に換えていいと思っています。
需要があるということだから。


人から必要とされることは
自尊心が大きく満たされ人生も豊かになります。

必要とされるには何かに突出するべきだと思います。
相手へ貢献出来る形で。

自分本位な考えや自己満足だけで終わらせるのは勿体ない。
誰もが生きていられる時間は限られている。
協力すれば協力者の人生の時間と自分の人生の時間を
共有することが出来る。
生きている間により多くのことが出来るのは
当然ですよね。

競争をするのではなく共存していこう。


その為に出来る事。
まずは自分自身の現在の器を知り
今の自分に出来る事をやっていく。

「好き 」だという気持ちに忠実に生き
真っすぐに素直にやってみたらいい。

そこで積み上げたスキルは自分だけの為に使うのではなく
みんなの為に使おう。

実績を積み信頼関係を築き
人から慕われるようになったとき
あなたは自分の価値に気付くだろう。


僕はその日を楽しみにしてる。

2013年11月12日火曜日

何を捨てるか。

ふと気付いたので残しておきます。

整理をしていました。
何を捨てよう。。
そう考えながら行っていました。

しかし気付いたんです。

何を捨てるかではなく。。

何を「残す」か。
なのだと。


これは自分の中ですごく大きな発見となった。
日々の行動の一つ一つに
ヒントは隠されてる。


基本的に残す、
その中で何を捨てるのか

と考えるのと

基本的に捨てる、
その中で何を残すのか。

と考えるのとでは
大きく結果が違ってくると感じました。


前者は変化を嫌う者の考え。
後者は柔軟に変化に対応しようとする者の考え。

変化や改革に常に対応していこうと決めている自分にとって
いつの間にか不要な「常識的」な考えが
頭の中にあったようだ。

無意識の中にこそ
変化しなければならない重要な要素がある。

2013年11月9日土曜日

浪費ではなく投資する。

成功している人の考えとして
「浪費ではなく投資」という考えがあります。

すごく当たり前の事だとは思うんだけど、
無駄に使うのではなく今後に繋がる事や
勉強等自分への投資にお金を使いましょうということ。


浪費を続けると結果、何も残っていないという事態になります。

投資に使えば必ず何かしら時間が経っても残っています。


 投資をするというと
どうしてもお金を想像してしまいますが
時間や労力等も投資材料となります。

例えば勉強するというのは
お金を支払い参考書等を買って
時間と労力を使って勉強しますよね。


何も考えずに生きている人は
時間と労力という概念がとても薄い。

だから、人の時間を無駄にしてしまったり
労力に対してねぎらう事を忘れてしまう。

成功している人は
時間、労力、お金というものをとても大切にしています。

もう一つ付け加えるなら人脈。

人脈と言ってもただ繋がっていればいいという話しではありません。


自分が困った時、本当に助けてくれる、
協力してくれる人しか人脈として数えてはいけないと思っています。

名刺交換をしただけとか一緒に写真を撮った、話しをしただけの人を
人脈に入れてしまう人を時々見かけますが
それは違うと思っています。


話しを戻します。
成功者がバスではなくタクシーを使い
電車ではなく新幹線や飛行機を使うのは
時間に投資しているからです。

どうしてもお金だけで物事を判断してしまう習慣が
僕たちにはついているので
ちょっとの距離で新幹線やタクシーを使う事に
抵抗がある人も多いとは思いますが
忙しい人であればある程
時間に投資する必要が出てきます。
その理由は、時間に投資した方が効率がいいから。
早く目的地に着く事が出来れば
その分現地で出来る事が増える。
出来る事が増えるのなら利益を増やしたり
新しいビジネスを発見する為に動いたりも出来ますもんね。


また、遅刻というのは
相手の時間を奪う行為だということを
深く認識しているのですごく気をつけている人が
多いのも事実です。

常識的に。。とか、人として。。とか
そんな曖昧な理由ではなく
具体的に「時間は命」だと考えてるので
命を奪うような事はしない、そういう考えが
当たり前のようです。


会社に行き
さぼってもがんばっても同じ給料だからと
どれだけ力を抜く事が出来るのかを研究し続け
ギリギリ生活出来るだけの給料を受け取り
ストレスはギャンブル等で発散する人生と

将来独立することを考えながら会社にいき
独立する事を念頭に必要な事を会社で覚えさせてもらい
浪費は意識的に抑えお金、時間、労力を
未来の自分に投資し、
会社、プライベート問わず良好な人間関係を築く事にも専念する人生とは
大きく結果が違ってきますよね。


大切なのは思考、価値観。
そこから行動は生まれる。

目的も無くただ大海原に漂っているだけならば
クラゲと同じだ。

目的地をしっかりと見定め
それには何が必要かを知り
準備万端で大海原に旅立つのとでは
大きな違いがある。


浪費ではなく、投資する事。
意識していこう。

続けようと決めた。

今日朝起きたら
「なおきちずむ読みました。共感しました。」
という内容のメールをくれた方がいて
読んでる時にこれからも書き続けようと思いました。

実はこのなおきちずむ、
結構反響もらってるんです。

これを読んで考えるきっかけになったとか
ちょっと勉強してみようと思ったとか
中にはここに書いてある事で自分自身を振り返り
意識する事で物事がうまくいった、ありがとうございます。
なんて言葉も頂きました。

このなおきちずむは
なおきちの深い部分を書くと決めています。

どうでもいいことや日々の事は
他のブログやSNSに書くとして
ここではお金の事、人間の心理、
人との関わり方、新しい時代の働き方、
変化を受け入れ対応出来るように準備する事の大切さ等を
書いていきます。

その他、なおきちが重要だと感じる事を書きます。

瞬間瞬間に色々思う事があるし
過去に書いた事を重複して書く事もあると思います。

大切な事だから重複してしまうので
そこも気にせず書きます。

今ホームページを作成しているので
そこにも自分の中の重要な考えを
まとめようかなと
ちょっと考えています。


お金の事や自分が大好きな事を仕事にする事に関しては
学校では教えてくれません。

教えてくれたとしても
学校に行き、就職することばかりですよね。


でも本当にやりたい事は
誰かに雇われてやる物ではないような気が
僕はしています。

そして、今特にやりたい事がないという人も
是非視野を広げて自分のスキルで
お金を受け取るということに
積極的にチャレンジして下さい!!

最初はフリマに出店して不要な物を
安く売るところからでもいいでしょう。

慣れてきたら小物を自分で作ってみて
手仕事市で販売するのもいいでしょう。


雇われて受け取るお金と
自分で作ったものが売れて受け取るお金では
嬉しさもありがたさも全く違います。

自分で作ったものが1000円で売れた。。
そういう感動は、やってみた人しか知りません。

不要な物をフリマに出店するだけでも
色んな事を感じます。

安く値を付けてるのに
さらに値切ってくる人がいたりもします。

人は自分の事しか考えてないのか。。
なんて思う事もあるでしょう。

そう思っていたら友達が差し入れを持ってきてくれて
やっぱり友達っていいなぁ。って思うかもしれません。

そんな時に一体「人間」ってなんなんだろう。。
って思います。
良い人も悪い人もどちらも人間です。

じゃあ、何が違うの?


そういう考えるきっかけを
「行動」することによって
たくさん得られるんです。


今あなたは何歳ですか?
今まで自分の力で成し遂げた事は
どれだけありますか??

会社での業績や立ち位置ではない。
それは人が決めた事だ。

自分の力で勉強をして
行動を起こし
どんな結果を残してきましたか?

このなおきちずむを通じて一緒に
これからも色んな事を考えていけたら
嬉しいです。

2013年11月3日日曜日

協調性と主体性。

リーダーというものは
柔軟でありながら
芯を持っていないといけない。

本来相反する事のように聞こえるが
これは事実だと思ってる。

自分の中でぶれないものを持っていないと
組織としての魅力は失われる。

しかし、
メンバーの意見を柔軟に取り入れる姿勢がなければ
メンバーは離れていってしまうかもしれない。

信頼関係を築きながら
組織本来の尖った部分を見失わずに
いこうとするとき必ず出会う問題がある。

それは賛否両論の意見。

組織が大きくなればなるほど
批判的な意見が目立つようになると思う。

賛成してくれる人数が増える分
相対的に批判の意見も増えるだけなのだが
そのひとつひとつに
耳を傾けるのはいいが
全てを鵜呑みにしてしまうのは危ない。


本来組織というのは
どこか個性がないと大きくなりにくいものだ。
その個性というのは
捉えようによっては大体賛否両論うむ事になる。
その振り幅が大きければ大きい程
よりコアなファンがつく。

改善するところは素直に受け入れ改善し
本来の意図とは違うと思えば
そこでは主体性を発揮するべきだ。

その境界線を間違えば
組織は崩れる。


協調性こそ全てだと思ってた時期がありました。

全て聞けばいい組織になるのだと
思い込んでた。

でも、そうじゃなかった。


常識的な事や一般的な事と
望んでいる結果が必ずしも一致するとは限らないと
その時に知りました。

そして組織は規模によってルールが違ってくる事も
知りました。

小規模の場合は価値観が合う物同士が
基本的に集まってるから
コンセプトを守るのも比較的簡単。

中規模になってくると
コンセプトに合わない人も入ってくるので
そういう人と本来のコンセプトが好きな人を
ある程度離すか対処しないと
本来のコンセプトが好きで来てくれてた人が
離れていく結果になる。

大規模になってくると
小規模の組織を複数という感じにわけて
大筋のコンセプトは持ちながらも
小規模のそれぞれの枠の中で
少しニュアンスの違うものを作り
色をだしていくしかないかな。



これは7年間楽遊会という組織をやってきたから
分かる事であって誰にも教えてもらわなかった僕は
何度も頭を打ってきました。

協調性は組織である限り
ある程度みんなが意識してくれれば助かるというものであり
リーダーである僕自身も無視はするつもりはない。

だけど、主体性というものは
いつだって曲げてはならないのだなぁと
改めて思う。

価値は周りが決めてくれるものでもあるが
本来自分が決めるもの。


協調性と主体性という
一見相反する価値観を自分の中で
融合する事が出来なければ
リーダーは務まらない。

ライフコーチ。

目標と現実に大きな差を感じてしまうことはないでしょうか。

そしてそれを誰に相談したらいいのかわからない。。

友達はそんな真面目な事に興味なさそうだし。。
上司もちょっと違う。

人生について、不安な事について、
異性とどうやって接したらいいんだろう。。等
悩みはあれどそれを誰に言っていいのか
わからないことってあります。

誰しもがそんなに友達が多いわけではないし
深く人間関係を作る事さえ難しい人もいます。

自分は嫌われているかもしれない。
自分に自信を持てない。
どうやって友達を作ればいいのかわからない。
これから先も苦しい思いをしながら労働しなければならないのか。
夢を追いかけるのは悪い事なのか。


親や友達は時に
あなたが本当にやりたいことさえ否定します。
それは心配だからでしょう 。
でも、本当にやりたいことも出来ない人生って
どうなんでしょうかね。

誰もが自由に生きる権利があるのに。。
それは不可能だと思い込んでいる人がいる。
本当に勿体ない。

学校も親も教えてくれない事があります。

仕事、恋愛、人間関係、人生について、自分という存在について、
本当に重要な事を教えてくれる人は少ない。



僕は自分の中に
伝えたいメッセージがたくさんある事に気付きました。
普段、友達ともそんなに真剣にすることさえ
少ない事だけど自分の中では本当に重要な事。

何十冊、何百冊と本を読んできた事。
自分と向き合い内面と対峙し
常に成長を望んで行動してきた事。

ここ10年でおそらく何千人という人と関わってきた。
その結果、人間の本質について考える事も多くなった。

心理学的な観点から言えば
深層心理に気付けていない人は本当に多い。

僕は相手の行動から深層心理を探る方法を
経験から見つけていった。

行動は言葉よりも多くの事を物語ってる。



僕は悩みの中にいるときほど
人には相談出来なかった。
お金の問題であったり他人では解決出来そうにないと
当時思っていたし結局どんな状況でも
克服するのは自分自身でしかないとわかっていたから。

それでも結果的に多くの問題を解決してくれたのは
周りの人だったように思う。

周りの人が協力してくれたのは
僕が前向きに問題と向き合っていたからなんじゃないかと思ってる。
そして信頼関係を築く事を大切にしていたから。


不思議な話しだけど
人間は相手の行動や価値観次第で
態度を変える生き物です。

誰かの目には人間ってなんて冷たい生き物なんだろう。。
と映り、
他の誰かには人間ってなんてあたたかいんだろう。。と
感じてることでしょう。

そのどちらもが同じ人間であり
自分自身の内面を変えない限り周りの人の態度は
変わらないのです。

その証拠に嫌われる人はどこにいっても嫌われるし
好かれる人はどこにいっても好かれる。
成功する人は0の状態からでも
何度でも成功出来るし
うまくいかない人はどれだけお金があっても
うまくいかない。


この根本的な原理を知るところから
全てははじまると思っています。

あなたが抱える悩みを
ピンポイントで
あなたの為だけに一緒に考えたいと思いました。


誰にでもあてはまるような言葉では
ダメだと思ったのです。

一ヶ月に一回、
週に一回、
三日に一回でもペースはそれぞれでいい。

あなたの人生について一緒に考える時間を設けよう。




僕が生活するのにもお金が必要で
もっと多くの人の幸せに貢献するのにもお金が必要です。
だから僕はこの事を仕事にしていこうと思いました。

今まで無料でやってきたんですが
かならずしも無料がよくて有料がダメだということではないと
気付きました。

価値の提供を意識した時に
僕にはこれしかないと思った。


問題解決の鍵は常に自分自身の中にあった。
誰かのせいにしたり言い訳したりする人があまりにも多すぎる。
僕も完璧な人間ではないけれど
言い訳をすることをやめると世界も変わる。

僕が詰め込んできた知識を全て
あなたの為に使おう。


僕が身につけてきたスキルは全て
みんなにとってプラスになるものばかりだ。

映像撮影・編集、写真撮影、
ホームページ制作、SNSでのコミュニティ運営、
ハンドメイド、デザイン、アコースティックギター、
自己啓発、心理学、成功哲学、お金に対する価値観 等

ジャンルはバラバラだけど全て人生において必要な物であり
自分だけではなく周りの人にも良い影響を与えられるものばかり。

今、何もスキルがない人に対しては
こういったものも教えていこうと思ってる。

全てをオールインワンとしてサポートしていきたい。
僕が代わりに手伝うのではなく
あなたのスキルをアップさせたい。
それは一生の力になるのだから。


カウンセリングをしてくれるところは
たくさんあるだろうけど
人生相談をしながらハンドメイドのやり方を聞きながら
映像編集のやり方まで覚えれるところは
おそらく他にはないんじゃないかな。笑

基本的には望んでる未来を叶えるにはどうしたらいいのかを
同じ目線で考えるところからはじまる。
どうしたいのかわからない人には
一緒にどうしたらいいのかを考える。
自由に生きていきたいけどスキルがない。。
というのなら教えれる。

僕が得意なのは無から有を生み出す事。
0を1にすること。
本当はここが一番難しいと言われるけど
コミュニティを作りそれを軌道に乗せたり
路上で弾き語りをしてファンをつけていくことが出来た、
それが自信となって今こうしてる。

物事には共通する事がたくさんある。
そういうのを見つける感動を伝えたい!

人生って本当に楽しいし素晴らしい。
一緒にそんなふうに思えるように
力添えが出来たらとても嬉しい。



値段は最終的には1時間1万円でいこうと思ってる。
需要と供給のバランスもあるので
それ以上になることもありえる。
相場で言えば1万円でも安いから。

しかし、今はその半分の1時間5千円でいく。
必ずどこかで値上げをする。


人生を多角的に変化させる事に
興味がある人にはとてもいい金額だと思ってる。

僕にはお金が必要だ。
その理由はもっともっとみんなに貢献をしたいから。
お金がなければ時間を作れない。
そして原価のかかる事や労働時間の発生する物では
効率よく必要としてくれる人に
時間を使ってあげられない。

大切な人達を守る為にはちゃんと正当なお金を得て
たくさんの時間を過ごせるようにならなければならないと
思ったんだ。

僕はもっと成長したい。
本だってたくさん読みたいしスキルも磨きたい。
そして成長した全てをみんなに還元したい。


今の生活にうんざりしていたり
目的に向かって頑張っている人がいるなら
最高の理解者になれる自信がある。

僕はあなたの夢を馬鹿にしたりしない。
一緒に方法を模索していこう。

自分以外の人の幸せがそのまま
自分の幸せに繋がるということを知った。
だからこそあなたの幸せは僕の幸せだ。

今は苦しい日々だろう。
必ず光はある。

共にいこう。

2013年11月1日金曜日

オリジナルなオリジナリティ。

中学校位から20代前半くらいまでは
プロのミュージシャンに憧れた。

高校卒業間際くらいから
福山駅前地下道で路上ミュージシャンをしてた。

その頃から考える事がある。


本当のオリジナルとは何なのかと。


オリジナルの曲を作っても
あのミュージシャンっぽいな〜って
自分で思ったり
友達のオリジナルの曲を聴かせてもらっても
あいつが好きなミュージシャンから
影響を受けてるなぁとか思ってしまう。

0からのオリジナリティを発揮するには
音楽を聞いた事が無い状態から
やらないといけないんじゃないかとさえ思った。


少なからず何かから影響は受けてしまうし
名曲だって聞いた事がある。
音楽で涙する事もあるし
その一つ一つに影響を受けている。


時は経ちパソコンを購入し
自分でブログを書いたりするようになった。

そこでもオリジナリティはどうなのかという問題にいきつく。
テンプレートは便利だが誰かと同じデザインだ。
でも、テンプレートは同じだが
自分の言葉で情報を発信しているのだから
それはオリジナルなのか・・?

どこからやればオリジナルなんだよ。。

そんな事を考える。



昔から「オリジナル」というものに
すごくこだわってきた。

それは誰もがそうだけど
自分自身が唯一無二の存在だという自覚があるからだ。

特別だと勘違いしたいわけではなく
誰もがまぎれも無く特別なのだ。

だからオリジナルを追求するのは当然の事だ。


今32歳になって気付いた事がある。
オリジナルを追求するには
膨大な時間がかかる。
一生ってのはおそらくそんなに長くはない。

今まで生きて来た時間をあと3回も繰り返さないうちに
終わりはくるだろう。

そんな中で0からのオリジナルは俺は追求出来ない。

その理由はオリジナルを発見したり
構築出来たとしてそれを発信していかなければならないと
考えているからだ。

そもそも共通の言語を喋ってる時点で
0からのオリジナルではない。笑
人が作った服を着てる時点で、
誰かが作った家に住んでる時点で違う。


そしてまた気付いた。

内面はどうだろう。

誰かに影響されまくって
もみくちゃにされて生きて来た
この人生全体で考えたならば。。


うん、まぎれもなくオリジナルだ。


何故なら全く同じように生きて来た人なんて
存在しないからだ。

親の名前も生年月日も出身地も全て同じ人なんて
絶対にいない!!

いたなら学校で同じクラスになってるはずだし
むしろ同じ席に座ってないとおかしい。笑

そんなのありえない。


見つけた!!
誰もがオリジナルなんだ。

表面的なとこをみれば
自分なんて。。と思うかもしれないけれど
いいとこも悪いとこも全て含めて
誰もがオリジナルなんだ。


誰かが用意してくれたブログのテンプレートを
使おうがそこに書く記事はオリジナルだ。



考えなくても最初からオリジナルだったんだよな。

それでも自分という存在はどういうものなのかを
模索する事はやめたくない。

なんで生まれてきたのか。
死ぬまでに何をするべきなのか。
みんな違うと思う。

得意な事には理由がある。
好きな事にも理由がある。


その先に何があるのか。
誰になんて言われようが
見に行ったらいい。

やりたいことはどこまでもやったらいい。

きっと、それをやる為に生まれてきてんだからさ。

このジャンルのここまでをやる為に。。っていうことも
あるだろうから途中で飽きても気にする事は無い。

途中やめした事も全て自分の血となり肉となっているのだから。



自分の頭の中を100%理解出来るのは
2013年の現在ではまだ自分自身だけだ。

自分を理解出来るのなんて
自分だけなんだよ。

その唯一の理解者の自分が自分を否定したら終わりでしょ。


全ての事には表もあれば裏もある。
マイナスもあればプラスもある。

だったら、マイナスを意識しながらも
プラスとして捉えよう。

そんな建設的な価値観自体が
オリジナリティを探す
オリジナルな要素として重要になるのだから。

2013年10月31日木曜日

価値 × 等価交換。

お金を得るにはどうしたらいい??

雇ってもらって時給や日給をもらう?
投資してみる??
起業する??

じゃあ、どうやってお金は発生してるの??
なんで雇ってもらったらお金くれるの??

。。働くからお金をもらえて当然。

だと考える人もいるかもしれないけど
じゃあ、起業したら何故
雇用された人よりたくさんお金がもらえたり
逆に寝る間を惜しんで働いても
お金が減ったりするの??


お金が何故もらえるのか。

その答えは「価値を提供しているから。」


雇用されて企業の為に働くと
企業はそれで組織が回り
社員で連携をとってビジネスを継続していきます。

起業して儲かるお店と儲からないお店があるのは
価値を提供出来ているかどうかにかかっています。

ニーズを満たしているか。

一定数のニーズがその地域にあるのか。


カフェでいうと
・美味しいスウィーツが食べたい。
・おしゃれな空間でリラックスしたい。
・ランチを食べながら友達とコミュニケーションをとりたい。

等ですよね。
だからおしゃれな空間でソファでゆっくり出来るカフェは
ファミレス等に比べ上記のようなニーズを満たしているので
価値が高い。

だからコーヒーもトーストの値段だって高くて成り立つんです。



ここで大切なのは原価は関係ないということ。
価値が認められなければ
どれだけ原価が高い事をやっても
儲からないし
逆にニーズを掴み需要をじゅうぶんに満たせるのなら
原価は最小限で最大の利益をあげることが出来る。


ついつい労働する事に慣れ
当たり前のように時給や月給を受け取っていると
「一生懸命働いてもさぼっても同じ時給だから。」
なんて考えてしまう癖がついていたりするけど
この時給とか月給なんて考えも20世紀の産物なのかもしれない。

なくなりはしないけれど
これからの時代は成果報酬だったり
個人がアイデアを出し
アクションを起こし
価値を提供することで
流通が起きていくのかもしれない。


お金を受け取れるかどうかは
価値を提供出来ているかどうか。

コーチングやコンサル等が
お金をたくさんもらえるのはそういう理由なんですね。

お金に直結しやすい事を教えてもらえるので
支払ったお金以上に継続的に
儲かるようになる可能性に価値を感じ
それだけのお金が動くのです。


どれだけ頑張ったかとか
どれだけ時間を使ったかは
間接的には関係あるのかもしれないけど
必ずしも直結するとは限らない。

このお金の法則に気付いている人は
とくに日本では少ないような気がします。

僕自身本当よくわかってなかった。

お金が欲しいのなら
価値を提供すること。

お金を得るにふさわしい価値ある人間になれば
自然とお金が回ってきやすくなるというのも
納得です。

ガムシャラに働くその先に
どれだけの価値を提供出来るのか。

給料は本来会社が固定で決めるようなものではありません。

支払うに値する価値を自分が生み出すスキルを
誰もが持つべきだ。

そして会社に依存する事無く
たくましく生きていくべきだ。

今何もなくても構わない。
心の中に少しでも自分の将来を
他力本願ではなく自分で責任をとろうと
考える人が増えるのならば
僕は知識の提供を惜しまない。

共に前に進んでいける
それぞれが独立した人間として
連携をとっていきたいと願っている。

2013年10月21日月曜日

鍵となるのは「レバレッジ」

行動は大切です。

その前に正しい思考をすることが
大切です。

価値観を磨く事無く
行動してしまえば
間違った方向に突っ走る事にも
なるかもしれません。


正しい価値観を手に入れ
行動出来たなら。。

その次に必要なのは
レバレッジを効かせる事。

時給1000 円の人が
1時間働いて1000円手に入れるのは
1つの労力に対して
1つの報酬を受け取っているということ。

レバレッジを効かせるというのは
一つの労力に対して
10も100も1000も
報酬を手に入れる事が出来る仕組み。


同じ1時間でも
成功者と普通の人では出来る事が違います。

成功者はまず間違いなくレバレッジを最大限まで効かせて
稼いでいるのです。

金持ち父さん貧乏父さんで有名な
ロバートキヨサキの本で印象的な図がありました。

それは報酬を得る方法は4つのクワドラントに
わける事が出来るという事。

サラリーマン、自営業、ビジネスオーナー、投資家。この4つにわける事が出来
サラリーマンはお金も時間もない
自営業はお金はあるが時間がない
ビジネスオーナーと投資家はお金も時間もある。


このクワドラントの話しは
ネットワークビジネスの勧誘の時にも
使われるのではっきり書いておきますが
僕はネットワークビジネスに誘いたいわけではありません。

シンプルに伝えたいだけなんですが
どうしても勘ぐる人もいると思うので書いておきます。笑


ビジネスオーナーと投資家は
お金や人にレバレッジを効かせています。

一日が24時間なので
1人の人間が動ける時間、
使える労力はどうしても限定されてしまいます。

しかし、win × winの関係を築いていけば
賛同者を集める事が出来、
自分のプロジェクトに協力してくれる人が出てきます。
単純に2人いれば48時間分、3人いれば72時間分
使えるという事ですよね。
ゴールや目的が同じということは
みんなが同じ方向に向かって協力していけばその先に
目指す未来があるということ。
だとしたら労力も惜しまないはず。

また、人脈にレバレッジを効かせれば
自分で新たな出会いを求めなくても
向こうから出会いがやってくるようになります。
これがレバレッジのすごいところ。

こういう大切な事は
学校では教えてくれないんですよね。。


興味がある人はなおきちに聞いて下さい。
人間が余裕を持って思い通りに生きる事は
悪い事ではないですよね。

大きな夢や目標を持つ事も
理想を掲げる事も。

現代の一般的な常識で
物事を考えないで下さい。

成功者は同じ層の人間に幾度となく
批判され邪魔をされてきました。

それでも上の層に進んだ人だけが
認められて来た。


人間の潜在的な心理を知ればわかること。

表面上のことや
大切な人の言葉にも惑わされないで。

自分が目指す場所にいる人の言葉を
信じる事が大切。

レバレッジという言葉、
目標がある人にとって
重要になってくるから
覚えておいて下さいね。

2013年10月20日日曜日

正しいお金の価値観とは。

この世界では
正しいお金の価値観について
学校の先生は教えてくれません。

何故なら学校の先生は
正しいお金の価値観を知らないから。

ほとんどの場合親も知りません。

子供のとき信頼してる親や先生は
お金について一定の価値観を持つように
コントロールされています。

その子供がまた同じような価値観になるのは当然の事です。


この世界にはお金持ちとお金持ちじゃない人がいます。

昔の僕はがむしゃらに働けば
真面目に働けば
就職して上にあがっていけば
ある程度のお金持ちにはなれるのかな。。
なんて思っていました。

そして、もし社長とかになれば
それでうまくいけばお金持ちになれそうだと
思っていました。

しかしながら残念な事に
お金について勉強していくうちに
悲しい現実に気付きました。

ビジネスオーナーと投資家しか
時間とお金に余裕のある生活は送れないのだと。

ネットワークビジネスとかの勧誘をする為に
こんな事を書いてるわけではありません。笑

ただただ、本当に正しいお金の価値観を
伝えたい。


労働としての所得をいくら増やしても
楽にはならないということなんですよね。

自給や日給で働いていると
一日は24時間しかないので
収入に限界がきてしまう。

それは会社が給料を決めてるから。

バイトや就職等で
お金持ちになれないのはそういう理由なんですよね。


個人事業主、つまりお店を自分でしたとしても
忙しくなればお金は稼げるけど
時間がなくなる。。

お金持ちになるには
時間を捧げるのではなく
価値を提供するということが
大切なんですよね。

どれだけ大きな価値を提供出来たのか。

価値に対して報酬を受け取る。



ビジネスオーナーは
ビジネスを構築したり購入します。

ポートフォリオの一部として所有するので
自分がその仕組みに組み込まれてしまう事はありません。

投資家は株や不動産等に投資して
利益をあげていきます。

手法にもよると思いますが
お金を稼いだとしても忙しくはならないはずです。



このことから
お金持ちになる唯一の方法は
支出を不労所得が上回るということだと思います。

この事はたくさんの成功者の方々が
本にもされています。

収入が支出を上回るだけでは
本当の余裕のあるお金持ちにはなれない。。

その事に気付くのに
どれだけ勉強しただろう。。


何度も言いますがこれはネットワークビジネスや
その他のビジネスのお誘いではありません。


富は無限に存在していて
奪い合うものではありません。

競争ではなく「共創」

共に価値を作っていきたい。


2013年10月19日土曜日

悲しい事。

悲しい事があると
こんなにも自分の部屋が静かだったのかと
ビックリする。

冷蔵庫の音
道を走る車の音

徐々に音が聞こえてくるも
自分の体の中の音まで
聞こえてきそうなくらい
静かだ。


心が空っぽになると
色んなものが空っぽになるというのは
経験からわかってる。

外は雨。

こんな日は
それでいい。

2013年10月15日火曜日

動画で残す一期一会。

遊びもイベントも一期一会
二度とは来ない日を動画で
キレイに編集したもので
残しておきたい。

せっかくいいイベントをしても
残っていなければ実績として
認識してもらえなかったり
魅力をちゃんと伝えられなかったり。。

遊びだって動画で残してたら
友達の友達が見て
一緒に遊びたいってなるかもしれない。


全ては可能性の話。
そして人生レベルの話。



勿体ないイベントたくさんある。
素晴らしいイベントが知られる事も無く
消えていったのを何度も見て来た。

しかし、残らないから美しいと考える人もいるだろうから
その辺は個人の価値観ということで。

俺個人としては残していきたいな。


消えていく伝統や文化
後継者がいなくなったらなくなっていくもの

気持ちや想い

笑顔や幸せな時間

ジャンル問わずね。
そういうお仕事って素敵だなと思った。

自分の力を大切な事に使えるってね。


自分のイベントを残す事だけを考えてはいない。

出来る事ならたくさんのイベントや
お店のPR、その他気軽な事から重要な事まで
やっていけたらいいな。

どうしても撮影で1日、
編集で1日以上使ってしまう事が多いので
仕事として考えると相応の値段になってしまうが
面白いことならばお金ではなく
動ける人でありたいと思うわけです。

僕自身、お金がありあまるほど手元にあるわけでもないから
出来る範囲で。。という形にはなるかもしれないけれど
時間もお金も気にせずによくなったとしたなら
素晴らしいモノを残していくことに
この力を使おう。


そして共感してくれる人にスキルを伝授し
残せる量と質を増やしていこう。

さらに情報発信力をあげていくことにより
映像が光の速度で拡散していく。


そんな事をこの手ではじめ
貢献の輪をみんなで大きくしていきたい。
社会に大きな貢献をする事こそが
人間の潜在的な幸福への条件
だと
僕は思っています。

同じ想いの人と
性別、年齢関係なく
やっていきたいな。

まずはお金や時間等
そんな事に縛られてる暇はないので
そのへんどうにか解決せねば。

場所にも時間にもお金にも労力にも人脈にも縛られず
生きていくと決めた
のだから。

2013年10月10日木曜日

せっかく生まれて来たからには。

魅力的に生きたいと思うわけですよ。

でもあれですよね。
名曲って名曲を作ろうと思って出来るわけじゃなくて
ぐちゃぐちゃな想いとか
どうしょうもない気持ちとか
そういうのを格好わるく素直に書いた結果
名曲になっちゃったりするんじゃないかと思うわけです。

同じように
魅力的な生き方って
方向性は常に持っておくべきだと思うのだけれど
結果であり行動の積み重ねなんですよね。

魅力的な生き方をしたい。。
と望みつつ
魅力的な生き方ってなんなんだろう。。と
考える日々を死ぬまで続けるだけってのは
魅力的とはいえないな。

それよりは好きな事ややりたいことを
思いっきりやって
どうにかこうにか成り立たせて
思い出し笑いしながら眠るように死んでいく。

そんなのが俺が望む魅力的な生き方なのかなと
ふと思いました。


思考でとどまらせていただけでは
この脳の中に生まれたものは
認知されずに消えていくだけなんだ。

思考だって行動だって示して形にしていこう。

道がないなら作ればいい。

どんな生き方だって出来るんだ。
常識に縛られて動けなくなるくらいなら
メチャクチャに走り回って
批難されてる方がいいんじゃないか。


もともと俺等は自由だ。

子象につけられた足輪なんて
大人になったら外せるんだ。

外せないのは子象を檻の中に縛ってる足輪ではなく
抜け出せないと信じてしまう自分自身の心なんだ。

いつだって俺等は自由だ。

どこにいってなんだって出来る。

まずは信じることからはじめよう。
自分を、自分の考えや直感を。

2013年10月2日水曜日

「相手に何をしてもらえるか。」ではなく「相手にどんな貢献が出来るか。」

人と関わる時に
自分にとってどんなメリットがあるかで
関わる関わらないを決める人がいます。

でも、僕はその判断基準は逆なような気がしています。

大切なのは相手に対して自分が何をしてあげることが出来るのか。

世の中のほとんどの人が自分に一方的に色々してくれる人の事が好きです。
そこで見返りを求められたりするのは好きではないのです。

運がいい事に僕の場合は見返りを求めるという価値観は
どこかで置き忘れてしまったようで
まさに相手にとって自分は何をしてあげることが出来るのかということを
考えればいいだけです。

求めてない情報や
求めてない事をしてもらっても

うっとうしい、めんどくさいと感じる人がほとんどじゃないでしょうか。

なんでもかんでもあげればいい、
貢献すればいいというものではない。

相手をちゃんと見て
相手の価値観や何をしたい人なのか
何が足りていないのかを見て
行動しないとただのめんどくさい人になりかねない。


相手に何かしてもらいたいと考える前に
相手に何をしてあげられるのかを考えるべきだと思います。

誰だって利用しようと思って近づいてくる人間に
いい印象は持ちませんもんね。

求めている事を口に出さずとも
人間としてのレベルが高い人は必ず気付きます。
信頼関係が築けていれば必要な人を紹介してくれたり
必要な事を提案してくれるでしょう。

焦って望むのではなく
常に与え続ける、貢献し続ける事を
意識する事が大切だと思います。

「相手に何をしてもらえるか」ではなく
「相手にどんな貢献をすることが出来るのか。」
そのことだけを考えて生きていれば
よっぽど的外れな空気が読めない人ではない限り
良好な関係が築けるでしょう。

2013年10月1日火曜日

節約ではなく稼ぐ。

増税、物価の上昇等
市民にとって願っていない事も
実施されることもあるでしょう。

そんなとき市民がどう行動するかで
国の経済まで変わっていきます。

ピンチはチャンス。

物価があがり今までのように買えなくなる。。
そう考えればピンチですが
物価が上がるということは
国にお金がたくさん回るか
会社の利益があがるということなので
そのまま使い続ければ
単純に考えれば景気はよくなりそうですよね。

節約という消極的解決方法に国民の大半が
至ってしまえば逆に経済はまわらなくなります。


消極的解決方法=節約

積極的解決方法=もっと稼ぐ


誰もが収入をあげる努力をすれば
物価があがることも税金があがることも
喜んで受け入れることが出来るでしょう。

決まった事をウダウダ言う時間があるのならば
さらに収入を増やす事を考える方が建設的。

時代は変化していきます。
過去の栄光や価値観にこだわり続ければ
置いていかれてしまいます。

2極化が進む現代において
変化についていけないということは致命的。

常に変化に対応するには
消極的解決方法では駄目だということです。

みんなが悲鳴をあげているときに
頭のいい人はマイナスを逆手に取って
プラスに転じさらに利益をあげるのです。

マイナスに大きく触れれば触れる程
プラスの幅もデカくなる。


マイナスを嘆くよりも
これをチャンスにして大きく伸びる方法を考えましょう。

2013年9月28日土曜日

積極的解決法と消極的解決法。

こんな言葉があるのかはわかりませんが
積極的な姿勢、方法で解決するのを
積極的解決法、
消極的な姿勢、方法で解決するのを
消極的解決法と名付けました。

どんな事でもおおまかにわけて
2つの解決法があると思っています。


日本人は消極的解決法を
とることが多いような気がします。
それは文化や独特な価値観が
そうさせているように思います。

消極的解決法とは
・我慢する
・耐える
・諦める
・忘れる

等、どちらかと言うと
何かを生み出したり前に進めるというよりは
どうにか現状を維持しようとしたり
今より最悪な事態にならないようにする方法だと思います。


積極的解決法と消極的解決法を
比較するとわかりやすい。

お金がない場合。。
積極的=新しく働くなりして作る。
消極的=節約する。

人間関係がうまくいかない場合。。
積極的=切り捨てて新しく人間関係を作るか改善をはかる。
消極的=関わらないようにする。


積極的解決法では
何かを生み出したり補完したり
建設的な方法をとるのに対して
消極的解決法では
守りにはいる感じがありますね。

どちらがいいかっていうのは
状況にもよるだろうし
一概には言えないと思うけど
ほとんどの場合積極的解決法の方が
人生的にはよくなる気がしています。

積極的解決法ではポジティブ、プラスな力によって
解決していくのに対して
消極的解決法ではネガティブ、マイナスな要素を
はらんでいるので。


自分がどういう方向に進みたいのか
何を望んでいるのか明確にイメージして
理想に近づける方法を選択したいですね。

2013年9月25日水曜日

好かれる人、嫌われる人。

人の心理というものは
普段はなかなか見えないが
根本で共通している部分も多い。

大切にされたい。
話しを聞いてほしい。
感謝されたい。
認められたい。


人は誰もが自尊心を満たしてくれる人が好きで
自分を大切にしてくれる人が好きなのです。

このことを理解すれば人との関わり方も楽になる。
理解出来てない人がよく起こす行動は。。

・自己主張をする
・相手が話してるのに途中でさえぎって自分の話しをする
・否定から入る
・人が何かしてくれて当然だと思っている。もしくはありがとうと言わない。
・自分よりスキルの高い人を認めない。賞賛しない。
・マイナス発言が目立つ。
・悪口、陰口が好き。



逆に人から好かれる人は。。

・自分の話しよりも相手の話しを優先する。
・相手のフィールド(得意分野)で話す。
・自分の得意分野の話しは求められた時だけ。
・何事にも肯定的。
・ミスをすれば全て自分のせい、成功すれば全て周りのおかげ。
・小さな相手の成功を自分の事のように喜んであげられる。
・陰口を言わない。
・常に建設的な話しをする。




僕が思うイメージはこんな感じです。
もっと他にもあるかもしれませんが
好かれる人は基本的に自分にも相手にも肯定的、
嫌われる人はおしつけがましかったりマイナスな雰囲気を
持っていたりします。

これは少し話せば大体わかります。

相手がどういう属性なのかと自分との立ち位置(立場)によって
関わり方を変化させていかなければなりません。


嫌われる人は同時に時間泥棒であることも多いです。
遅刻をするという意味だけではなく
電話やメール、会った時にも
自分の話しを延々とする。
それで自分だけがスッキリして帰っていく。
相手の貴重な時間を奪っているという概念さえ持たずに。

好かれる人は相手が何を求めているかということを
ずっと見ています。
適切なタイミングで適切なものを相手に見返りを求めずに与えます。

見返りを求めないので誰かに何かをしてあげたことさえ忘れてしまいます。
その人にとっては当然のことであり、相手の為になったら
そこで完結するからです。


嫌われる人というのは自分のことしか考えていないので
基本的に自分にメリットがあればそれでいいと思っています。
だから誰かに何かをしてあげるということが少なかったり
求めていないタイミングで求めていない物を与えようとしたりします。
どちらも結果相手を不快にさせるだけなんですよね。

押し付けがましいと相手に思われてしまうのは
自分自信を主張するアピールが含まれてる事が多いです。
親切アピールや自分出来ますアピール。。
嫌われる人の特徴として
「出来もしない事を出来ると言い切る 」というのもあります。

出来るかどうかっていう基準は
自分が出来ると思っているかではなく
相手が求めている基準に届いてるかどうかですよね。

地元のオーケストラに参加するのと
世界的なオーケストラに参加するのとでは
訳が違うのに地元のオーケストラに所属(レギュラーではない)というだけで
世界的なオーケストラから募集がかかってたら
応募しちゃったりする感じです。

度胸っていうのは必要な場面もありますが
それ以前に自分のスキルを相対的に見て
度胸を試すレベルまできているのか
もっとスキルを磨かなければならないのか
最低限考えたらわかりますよね。

判断基準を自分の中に置くと最悪こんな事になるみたいですね。
大切なのは判断基準は相手。
相手にとってどうか。
それだけです。

自分がどう思われるかとか認められたいとか
そういうことを含むとそれは優しさではなく
ただのエゴの押しつけになります。


好かれる人というのは
無意識のうちに相手にとって最善はなにか
それに対して自分は何が出来るのか。。と
いつも考えています。
その基準も的外れな事が少ない。
経験から裏打ちされる推測だから。

また、好かれる人は相手にしてあげたことを
すぐ忘れてしまっても
してもらった人の心の中にはずっと残る物だと思います。

人は何か恩を感じるとそれを返そうとするので
好かれる人はさらに好かれていきます。


ポイントは相手が求めているタイミングで相手が求めている事を
空気を読んでやってあげるということ。
わからないときは下手に動かないこと。


好かれるか嫌われるかは
自分の行動の結果です。

だからどこに行っても好かれる人は好かれるし
嫌われる人は嫌われる。
相手のせいにしている限り一生成長は望めません。
原因はいつだって自分の中にある。

相手を変えようとしたり
相手のせいにしたりするのではなく
どんな時もどんな人にも対応出来る自分になればいい。
ただそれだけの事なんですよね。

相手のせいにして納得するという事は
現状の至らない自分を受け入れるという作業に他ならない。
相手のせいにするのはとても簡単です。
自分の心は楽だろうけど
うまくいかない原因を全て自分の中に問うことが出来れば
嫌われる人もやがて時間をかけて
好かれる人になると僕は信じています。

そしてそのように変化したいと望む人に
僕は協力を惜しみません。

自分の人生をコントロール出来るのは
自分だけなのだから。

2013年9月24日火曜日

メチャクチャに。わがままに。

この数年自分がどれだけフラットに
人について考え
人と接する事が出来るか。。
そればかり考えてきた。

自分の好き嫌いを人に伝える事も
避けてたように思う。

なんだか嫌いな物を人に伝えるのは
ただの悪口な気がして。。


でも思った。
自分の価値観が一番正しいなんて思ってない。
俺が好きであろうと嫌いであろうと
そんなことはこの世界において
大した意味を持たないのだと。

無理にマイナスな発言をすることもない。
ただ、「誰か」に合わせすぎてた。


しかし「誰か 」って誰だろ。
誰に俺はそんなに合わせてんだろ。

自己主張と協調性のバランスは難しい。
今、かなり協調性に重点を置いてた。
保守的。

少し配分を変えてみようと思った。


楽遊会やRUKは俺が設立したものだからだ。

似た者が集まってくるっていうよね。
核となる俺が好き嫌いを隠してたら
「好き嫌いを隠してる俺」に似た人が
集まってくるんじゃないかな。。

そんなふうに思った。

判断基準は俺にある。

いつからかたった一回の失敗さえ無意識のうちに
避けていたのかもしれない。。

人に合わせてても陰口言われるんだ。笑
だったら少しくらい自分を出して
陰口言われたほうがまだいいよね。笑

癖のある人だと思われたくない気持ちは
どこかにあった。

明らかに本当の自分は
「普通 」ではないと思ってる。

理解されそうにないことはあまり口に出さないようになった。


協調性だけをつけていく練習はじゅうぶんやったかな。
そろそろ個性をだしていこ!

メチャクチャでもワガママでもいいや◎

まあ、最低限の協調性はもちろん残すけどさ。笑
必要以上に。。っていうのは
何事もよくないのかもね。


誰かの価値観に合わせて生きていくなんて無理だと思って
なんでも自分で組織作ってきてんのに
そこでも合わせてんだったら
なにしてんだよって話しだよね。

突き抜けなきゃ魅力にはならない。

よし◎
やりたいようにやるかな☆

2013年9月20日金曜日

邪道でもいいから自分にマッチした物を。

プロの目からしてみると邪道だと言われるようなものが 俺にはマッチする事がよくある。笑 例えばご飯食べながらコーラも飲むし 一眼買った時もニコンやキャノンではなくSONYを買ったし その後一眼もミラーレスを使うようになったし。 結局いいとこどりの物が好きだし 使い勝手がいいものが好き。 自分の性格とベストマッチしたものを持っていたい。 もともとがめんどくさがりなのでね。 世間の目を気にしたり常識に囚われてると 選択する物も変わってくるんだろうなぁとは思う。 邪道でもなんでもいいから とにかく使いやすいものを使いたいな。 メーカーやブランドで選ばないから もちろん失敗する事もあるよ。 で、結局毎回期待を裏切らないのは SONYとAppleだけなんだよね。 どちらも癖があるメーカーではあるから 批判する人もいるけど 俺はすごい好きだな。 もっともっと自分にマッチしたものを見つけていきたい。

2013年9月10日火曜日

感謝の気持ち。

つくづく周りの人のおかげで
今の自分があると感じています。

何もわかってなかった頃は
人なんてあてにならない、
自分の力こそが全て。

そんなふうに思っていました。


今思う事は
自分の力を磨く事は大切だけど
周りの人の協力の力に比べれば
なんてちっぽけで限定的なものなのだろうと
強く感じます。

自分の力を最大限まで磨く努力は
いつだって必要だとは思いますが
その力だけで全てを行おうとするのは
世界を狭いままにすると思ったのです。

この世界は広い。
まだまだ1%も知れてないんじゃないかと思うんです。

そんな広大な世界のお役に立とうと思ったら
自分なんてちっぽけすぎる。

しかし、自分の魅力を磨き
多くの賛同を得る事が出来れば
もっともっとこの世界に貢献出来るのではないか。
そんなふうに感じています。


人は潜在的にこの世界に貢献したいという気持ちを
誰もが持っているのではないか。
そう思うのです。

しかし、大半の人がその気持ちに気付いてなかったり
環境により見えなくなっている。

利己的な考えを持つ事も
本人のせいではないと僕は思います。

正しい価値観を誰もが持つ事は出来るはず。
僕の場合それは本からでしたが
メンター(師匠)を作ればもっと早く実現出来る事
なのではないか。
そんなふうにも思います。

心が貧しくなってしまえば
自分の事で精一杯となり
誰もが自分の事しか考えられなくなる。

それはしょうがない。

悪循環はどこかで断ち切らなければならない。

今までがそうだったからといって
これからもそれが続くなんて僕は思わない。


どんな状況からだって
どんな夢を見てもいいはずだ。

それを笑う人もいるかもしれないが
僕は出来るだけ同じ目線で見たい。


周りに対して感謝の気持ちがいつもあります。
なんでみんなそんなに優しいんだろ。って思います。
そんなときいつも
僕もみんなみたいに優しくなりたい。
そう思います。

感謝の気持ちは意識して「もたなければ」ならないものではなく
本来自然にわき上がってくるものですよね。

今、そのわき上がる感じがします。


活かされてる。

生かされてる。


幸福の循環を周りの人と一緒につくっていきたい。

未熟なとこも多く至らないとこもまだまだたくさんありますが
自分の思うように反省もしながらこれからも
生きていきます。

ありがとう。

心から感謝しています。

2013年9月8日日曜日

出来ない理由を強引に消す!

なんとな〜く生きてると
なんとな〜くやりたくないなぁ。。とか
なんとな〜く怠いなぁ。。とか
そんな気持ちになることも少なくない。

動きたいのに何故か動けない。。
そんなこともある。

そういう場合、大概顕在意識では
動こうとしているのに
潜在意識が邪魔してる。


作業しないといけないのに動けない時は
部屋が汚かったり一見関係なさそうな事が
意外に関係してたりする。

出来ない理由は少し強引な方法を使ってでも
消してしまえばいい。


時間、労力、お金のどれかを使えば
大概の事はどうにかなる。

油をひかないとなんでも焦げ付いてしまうフライパンは
焦げ付かない加工を施した物を買えばいいだろう。

作業スペースがないなら今日は作業をやめて
片付けに専念するのもいいだろう。

一つの事に丸一日使ってもいいから
問題となる部分を自分の心理を探って
強引にでも取り除く。

そうすれば明日からスッキリだ。

今日という日を問題解決の為に使う。
そういうのもありかなと思った。

2013年9月7日土曜日

損得の基準。

損をするとか得をするとか
少なからず考える事はあります。

しかし、自分が物質的に損をするからといって
実際に損しているのかというと
必ずしもそうではない。

その事に気付くまでに
すごく時間がかかったように思います。

よく「生き金」とか「死に金」とかいいますが
それは言語化するときに必要なだけであって
基本的に人の為になることをしていれば
自分の時間、お金、労力を失ったとしても
プラスにはなるはず。

重要なのは独りよがりの「相手のため」ではなく
本当に相手が困っていたり求めてくれている時に
それを用意出来るか、助けてあげられるかどうか
なんだと思います。

相手が求めてもいないのに
よかれと思ってする事に関しては
逆効果の事だってあります。

求めていないのにするのは
ただのおせっかい。

相手と自分にとって不利益しかうまない。
自分の気持ちも相手に届かない。
本当に勿体ない。


そのへんの感覚がちゃんと正常にある人に限って言えば
自分と相手との境界線をなくしてしまえば
損得なんて考えなくていいと思っています。

相手を自分の一部のように思う事が出来れば
お金を使っても自分に使ったのと同じ。
損してる事にはならない。

誰もが自分の幸せの為なら
労力も時間もお金も使います。

なんで自分と相手をわけないといけないのでしょうか。
「幸せ」に関して言えば
相手の幸せも自分の事のように思う事が出来れば
わける必要なんてないし
見返りなんて求める必要もない。

そのときはじめて本当の親切や思いやりが
生まれるのだと思っています。

自分のエゴや自尊心、自己顕示欲を満たす為に
人を使うものではない。


今よりももっともっと愚かだった頃は
得する事をよく考えてた。
しかし、今は人をどう得させようかいつも考えてる。
その中にしか自分自身の幸せはないと気付いたから。

自分の中に自分の幸せがあるのだと思っていたけれど
相手の中、他人の中にしか
自分の幸せってないんだよ。

その精神姿勢こそが最終的に自分も周りも幸せにする。

人は自分にしてもらったことを返そうとする。
自分が常に心の底から
人の幸せを願い行動出来ていて
的外れなものでなければ
同じように人からも自分の事のように
自分の幸せを願ってもらえるものなんだよな。

”得”しようと思うのではなく
”徳”しようと思う事が大切なのではないかと
ふと思ったので残しておきます。

自信がない人へ。

自信というものは
小さな成功体験の積み重ねや
あらゆる困難、状況を自分の力で
乗り越えることにより
つくものだと感じています。

誰でも知らない事や苦手な事に対して
自信なんて持てないですもんね。

しかし、お風呂に入る事や靴を履く事等
日常行っている事に対して
「失敗したらどうしよう。。」
なんて思いませんよね。笑

それは出来るのがわかりきってるからなんです。

自信がないという言葉が心の中に浮かぶ時は
確かに自信 がないときだと思います。

しかし、自信がある事に関しては
常に「この事については自信がある!!」なんて
意識はしないものだと思います。

出来る事っていうのは
自分にとってすごく当たり前の事なんですよね。


あなたの特技はなんですか??
なんて聞いて思い浮かばない人も
中学校のとき何部でしたか??とか
趣味ってありますか??
等、質問してあげると見つけられる事が多いです。

しかし、出来る事に関して
自信を持っている人というのは
思いのほか少ない。。

もちろん上には上がいるので
どこまでいっても完璧っていうことなんかないのですが
ここまでのレベルや行程の事ならわかりますよ。とか
これくらいの事は出来ますよ。とか
そんなのでいいと思うんですよね。


あらゆるジャンルで小さな成功体験を積み重ね
人並み以上に出来るようになることが
なおきちのオススメの自信を持つ方法です。

あらゆるジャンルで小さな成功体験を積み重ねるには
まず「好きな事をやること」
「興味を持てる事をやること」が
とても重要だと思っています。

継続は力なり
という言葉がありますが
好きでなんとなくずっとやってるだけでも
確かに上達ってある程度しますもんね。

逆算して考えれば
様々な事に関心を持つ事、
まずやってみることが大切なんじゃないかと思います。

大人になるとどうしても
後先考えてしまって動けなくなってしまいがちですもんね。

もし仮に失敗したとしても
失うものなんて限定的だと思います。

しかし、行動しなかった結果失うもの、
それを日々積み上げた結果の損失は
人生において計り知れないものだと思います。

自信がないというのは
経験不足なのではないか。

認められるまでやってみる。
極論ですが僕はこれを意識してやってきました。

この考えを押し付けるつもりもありませんが
自分の中で一切のいい訳を捨てたとき
こんなふうに思いました。

2013年9月3日火曜日

自由すぎる自由に戸惑う人が多いという事実。

個人的には自由であればあるほど
テンションがあがります。

みんながみんなそうじゃないと気付く事、
理解出来るまでにかなりの時間がかかりました。

適度な自由っていうのが
一般的には好まれるようです。

今のままでは息苦しい。。
もうちょっと自由が欲しいけど
出来れば今の生活を継続したまま
自由があればなぁ。。


例えるなら
ちょっと給料があがるとか
給料そのままで休みが増えるとか
そういうことなのかな。


ずっと労働というものに
疑問を持っていた自分としては
その事がいまだに不思議でしょうがない。

労働というのは
社会に貢献する方法の一つだと思うんです。

税金を納めないというのは
確かによくないですよね。

この国が成り立っているのは
税金があるからでもあるしね。

汗を流す仕事もいいですね。
デスクワークもいい。
公務員も
自営業も全部いいと思います。

しかし、選択肢を何故教えてくれる人が
こうも少ないんでしょう。

俺の勉強不足だったのかもしれません。

この世の中、自分で気付かなければ
死ぬまで知らないままなこと
平気であると思った。


もっともっと自由に生きる事だって出来る。

しかし自由というのはいつの時代も
一部の例外を除いて
大きな自由を手に入れようとすればするほど
様々なリスクをとらなければならない。

それが一般的には嫌われるのかな。

もっともっと大きな自由を一緒に求められる人を
見つけていきたいな。

肯定的な仲間こそ自分の精神をもっと自由にしてくれる
大切な存在だと思っています。


2013年9月2日月曜日

誰かの為のチャンス。

自分では掴めないが
自分以外の誰かなら掴めるはずのチャンスが
自分のところにたどり着く事がある。

そんなとき
適材適所、紹介してあげられる人になろう。

自分がそれを掴むのは違うというのは
はっきりわかってる。
だけど誰かが掴まなければ
捨てるしかなかったり腐ってしまったり
するものだってある。


チャンスは生き物だと思ってる。

言い訳したり
後回しにしたら
その瞬間腐る。

ただの砂に変わる。


だからチャンスをつかむタイミングってのも
大切だけど、大きな決断を一瞬で出来るだけの
精神力と決断力がすごく大切で
後の事はなんとかなる、
後からついてくる
なんて、ある意味楽観的に考えられる人じゃなければ
なかなか難しいような気もした。

「なんとかなる」か
「どうにもならない」かって
今までの経験から直感で決めてることが多いと
自分自身気がついた。

それをもっときわめていけば
どんなことでも適切なタイミングで決断して
帳尻を合わせていけるのではないかと感じた。

その為に必要なスキルが自分にあったり
周りに必要な人物がそろっていてこそ
出来る事なのかもしれない。


時々思うのだが
夢を叶える事、チャンスをつかむ事って
自分自身のことのように考えがちだが
むしろ周りの力の方が大きいのかもしれない。

まずチャンスを持ってきてくれるのは
自分ではなく周りの人の方が多いし
周りの支え無しに出来る事には
制限がある。

自分と周りの人を大切にすることが
チャンスを手に入れる一番の近道なのかもしれない。

コツはお金という尺度で見ない事かな。

たくさんの人を大切にするということは
一概には言えないがお金がかかる場面もどうしても出てきてしまう。

まわりの人にお金を使う事は自分への投資とも
よく言われるがその意味が分かった気がした。

あまりケチケチする人を
人は好まないし
おおらかでゆるやかな器の大きな人に
安心感を覚える。


自分らしくありながら
人を大切に。。ということは
可能だと思ってる。

全ての人を大切にするのは難しいのかもしれない。
だけど、応援してくれる人のことは
最低限自分なりに大切にしたい。

そして仲間へチャンスをどんどん渡していきたい。

そんなふうに思った。

2013年8月27日火曜日

劣等感を抱えながら生きている。

今思えば成長の過程は
「劣等感」というものを
切っても切りはなせないものだった。

もともと外見的に美しい人がすごく好きで
内面がキレイな人も美しいと気付くのは
結構遅くだったかもしれない。

外見がキレイな人を好きになるのに
自分がダサいままじゃいけないと思い
雑誌をたくさん読みあさっておしゃれを勉強した。

高校になって彼女をつくるようになってからは
一人の人を何年も好きでいたり
短い恋もたくさんしてきた。

恋が終わる度に
「絶対見返してやる!!」
って思ってがむしゃらに努力を続けた。


もともと中学校のバスケ部のときも
腹立ったら実力で見返してやる!!
って思ってレギュラーになったし
結構努力型だと思ってる。

ドリブルやシュート練習も
一人でずっと自主的にやってたしね。


どれだけ成長しても
終わりはないんだって最近思う。

人間として昔に比べて
成長したと自分で実感するくらいだけど
まだまだ成長しなければならないんだと
同時に感じる。


価値観の存在や人の性質等も
経験から見えるようになった。

まだまだ見えていない概念があるのかもしれない。


言葉を聞かずとも行動や態度で
ある程度心理を探る事が出来るようになってからは
あまり人の言葉を重要視することもなくなった。

しかし、厄介なのは
人間って自分の深層心理に自分自身気付いていないこと。

深層心理の部分を指摘しても
本人が未熟ならその概念に考えが及ばず
まるで俺が的外れな事を言ってるような顔をする。

周りから見れば簡単にわかることなのに。


そういうのを相手に気付かせるのは
並大抵の事じゃない。

そういうしょうがない時にも
答えや理由を自分に求めるから
劣等感に繋がる。

自分がもっと実力があれば
どんなことだって心理分析して解決出来るのにと。

言葉の選び方一つでさえ
相手によって変化させていかないといけないのだから。

声のトーン、話し方、話す速度、
身振り手振り、表情等は
一人一人相手に合わせて行わなければならない。

人と対峙するとき
精神は自分だけど態度は自分ではない感じがある。

大勢を前にするときも
それようのキャラがある気がする。

声が大きくハキハキと。。


これも劣等感から身につけた技。
上手に出来ないならキャラづけしてなりきればいい。

こうして本当の自分を人前で出す事が少なくなった。


でも、劣等感があるからこそ成長した。
負けたくない、馬鹿にされたくない、
泣きたくない、逃げたくない、
その一心で。

今もまだ強い劣等感が
時々顔を出す。


これからも向き合って行こう。
成長の為に。

2013年8月23日金曜日

賛否両論あるなかで。

たくさんの人をまとめていくということ。

それは人に合わせるということだと思っていた。

だけど、むしろ正反対なのかもしれない。

少人数をまとめるには
相手に合わせた方が早いよね。

でも、長い目で見て
人に合わせることが全てではないと
今強く感じている。


何をやっても批判したい人はいて
賛同してくれる人が居る。

意味もなく人を不快にさせる必要はないが
自分がやりたいことが
誰かにとって不快な気持ちになること。。
それにあてはまってしまうことは
実は少なくないんだな。

好きなようにやるということは
そういう批判等望まない事態も含めて
受け入れるということに他ならない。


バランス感覚や相手の価値観を早い段階で
察知出来るかどうかってのは
物事を動かしたり
アクションを起こしていくうえで死活問題となるスキル。


賛否両論ある中で
大切な人の為に
時には意見を曲げてはならないときもあるんだ。

そのことで人が傷つく事もあるだろう。
しかし、そんなことは始めるときからわかっているはずだ。

己の中の正しさは
他では理解されないかもしれない。

だけど、信じていくしかない。

自分の為に
みんなの為に
生きていく為に。


批判はあるもの。

それをどう受け取るかが大切。

恐れては駄目だ。

うまく距離をとり
うまく解釈し
うまく解決するんだ。

平行線を恐れてはならない。

平行線には「距離」

共存・共栄を願う心は
必ず報われる。

相手をつぶしてまで
奪ってまで叶えた幸せは
きっといつか同じように
つぶされ奪われるだろう。

与え、望まれた幸せは
継続的に与えられ
望まれ続けるだろう。


だから批判の声を恐れてはならない。

批判する者は批判され
つぶそうとするものはつぶされる。

同レベルになってはならない。


苦しみをわかりあえる友と共に
強い核をつくろう。

動きたいのに精神的に動けないときの解決法。

体と心って繋がっていますよね。

やらないといけないことがあるのに
どうしても動けない。。
そんなときもありますよね。

体を先に動かしてしまえば
心もある程度はついてくるものです。

気が進まないけど
外になんとか出てみたら
それなりに楽しめることもあります。

心をどうにか切り替える事が出来れば
体も自然と動き出すでしょう。

どちらでもいい。

体か心のどちらかを動かしてしまえば
もう片方も自然とついてくる。



どうしても動けない。。
やらないといけないことがあるのに動けない。。

そんなときは外に出たり
本屋さんに行って
気分転換をするのがいいですね。

インプットする事によって
アウトプットしようか。。という気になれば
錆び付いた歯車も動き出そうとしている合図。

意識的に動いていこうとするとき
必ずしも必要だと感じることを
しないといけないとは限りません。

公園での気分転換や
友人とのご飯等
一見仕事とは関係なさそうな事も
モチベーションの維持や
気持ちの切り替えには
貢献している事が多い。

動けないときは
なんでもいいから外に出よう。

俺の場合は雑貨屋さんとかインテリアとか見たりするようにしています。
あとは本屋かな。
映画を見るのもいい。
軽度なら音楽でなんとかなることもある。

モチベーションを自分の力で
コントロールすることが出来れば
効率の良いパフォーマンスを継続する事が出来るので
意識していきたい。

2013年8月20日火曜日

バックエンドなき道。

昨日はマーケティングの事とかを半日かけて
勉強してました。

アップセル、クロスセル、ダウンセル
等、手法が色々あるんだなぁとか

フロントエンド商品とバックエンド商品が必要なのは
前にちょこっと勉強したときに
なんとなく知ってたんだけど
忘れてた部分もあり、そうだなぁ。。と思いながら
聞いてました。


で、自分自身今回気付いたのは
今までフロントエンド商品しか用意してなかったこと!!笑

もったいないよなぁ。。笑


それだけ自分が儲けに走ってないということでもあるんだけど。


ただ、お金を稼げないと
さらに良いサービスを継続的に提供する事は出来ないし
良い商品を生み出す事も出来ない。
チャンスにチャレンジすることも出来ない。
ある程度のリスクをとって行く事も出来ない。

自分の手元にお金を残せない、稼げない、
使いたい時に使えないっていうのは
お金を求める事よりも悪い事なのかなと思った。


だってさ、たくさんお金もらったら
たくさん周りの人に使ってあげられるもんなぁ。

美味しいの食べさせてあげたり
応援してあげられるだろうしな。

自分だけの為に
何かをしようなんて思わない。

だって、意味ないから。

人がいてこその「やりがい」でしょ。

周りを幸せにしてこその人生でしょ。

その中にしか自身の幸せなんてないんだよ。

自分の幸せは周りにいてくれる人の笑顔の
その目の奥にしか存在しない。


自分という存在は相対的なものだから。

自分自身だけで自分の価値や位置をはかる事なんて
出来ないんだから。


相手が求めるものを常に与えてあげられる人になりたい。

それは言葉かもしれないし
物かもしれないし
人との繋がりかもしれない。

いつでも言葉を使わずとも
察してあげられる人でありたい。


その為に心の余裕と
常に自分自身を理想へと近づける努力が必要だ。

いつだって
どこからだって歩き出せる。

何度立ち止まっても
どれだけ人に否定されても。


道無き道をかき分けて
後世に道を残してあげられる人でありたい。

それが生きている間にやるべきことであり
意味であり、可能だと信じられる事。



マーケティングの勉強をしても
なにをしても
結局自分の人生とは。。とか
哲学的なことに思考は向いていきます。笑

そういう人間なんだろうな。
小難しいな。笑

でもそういうのが好きなんだからしょうがない◎

人に合わせる事なく
自分は自分の道を行こう♪

2013年8月19日月曜日

大切な物から与えられていた。

ふと気付いたんだよね。

健康って本来すごく大切な物だよね。

まあ、コーラとかマクドナルド大好きな
なおきちが言っても説得力ないんだけどさ。笑


健康じゃなくなれば
心も病むだろうし
お金もなくなっていくだろう。


お金よりも価値のあるもの
それは健康
っていうのはとても当たり前のことなんだけどさ

人は健康だけでは満足出来ないんだな。



この世界のロジックについて
少し気付いたかもしれないと思ったんだ。

本当に大切な物は
ほとんどの人が生まれた瞬間から
持っていたのだと。

健康でいる事が一番大切。
そして友人や家族等
大切なものほど
いつもそばにいるね。

そしてお金みたいに代わりのきく物を
僕たちは毎日追いかけているね。

時には家族よりもお金を優先する事もあるだろう。
一時的なことだとしても
いい話しとは言えないよね。


本当に大切なものほどそばにある。
本当に大切なものは最初から持ってる。

本来どうでもいいはずのものに固執して
自殺する人までいる。

。。大切なものをたくさんこの世に置き去りにしたまま。




この事に気付いてすごく悲しい気持ちになった。

そしてすぐには変わらないであろう自分自身の価値観にも
絶望した。



生まれながらにして障害を持っていたり
親がいなかったり
戦時中の国に生まれたり

様々な不幸のもと
生きている人もいるだろう。

もしかしたらその人達にも
特別な幸福が与えられているのかもしれない。

それは

普通の事を普通ではなく
幸福だと感じられる心。


多くの人が見過ごすようなことも
その人達には特別であり幸福な事。

そう考えると
平等じゃないという考えも
違うかもしれない。


 お金持ちの家に生まれたとしても
その事自体が不幸という考えだってある。


僕たちはただ目の前に
ぶら下げられたにんじんを
必死で追いかける馬だ。


周りなんて見えてないんだ。

本当に大切な物は何か
日々考えてそれぞれが見つけていく。


意識しないと 気付けない幸せがある。




僕たちは生まれた時から持っていた。

大切な物から与えられていたんだ。

2013年8月16日金曜日

「〜しなければならない」をやめなければならない。

さっきTSUTAYAでさ、本読んだんだ。
そこに今の自分にとても大切な事が書かれていたので
ここにも残しておきます。
俺が読んで響いたとこを
俺の言葉で。


何もやる気が起きない
全てがめんどくさい
〜しないといけないのに動けない

こんな時は心が疲れてる。


「感情」と「思考」は違う。
これがすごく大切!!

感情は素直に感じる事。

思考ってのはまさに
「〜しなければならない」とか考えるやつ。

同じように見えるけど
思考は考えて出てくる言葉
感情は感じる事。

この区別がついていないと駄目なんだって。


確かに。。
言語化するのは難しいけど
本当その通りだと思いました。

〜しなければならないと感じるのは思考がそうしてる。
本当は動きたくないなら休めばいいんだ。

でも。。動かないと先に進まないし。。
 とか
俺がやらなきゃ。。ずっとこのまま動かずにいるのは駄目だ。。
なんて考えると
その思考のせいでどんどん悪い方向に進んでいく。


動けないなんて甘えだ。。
根性で乗り切らなきゃ!!

こういうのも最終的にいきつくのは
鬱だそうです。


本当そのとおりだと思いました。

自分を甘やかすというのは
よくないとどうしても思ってしまうけれど
自分らしくいられないということは
不自然な事であり
本来よくないこと。

少し疲れた。。今日は休もう。。

これを怠けていると自分自身定義してしまうと
駄目なんだって。
休憩は必要で疲れたら休憩をしよう。
こういうふうに思わないといけないんだって。


なるほど。。


なんだかわかる気がする。
ちょうど昼間にこの事について書いてたからさ
まさにピンポイントの本だった。

本屋さんって不思議。
いつも大切な言葉をくれるんだ。

だからちょこちょこ行く。


今日は溜め込んでた仕事をマクドナルドで
一気にやってしまうつもりで来ました!!笑

マジでやるぞ〜♪

家の中にずっといすぎるのは駄目だね。
外に出なきゃ。

こういうときノマドワーカーでよかったと
心から思う。

マックだと電源とれるからずっと仕事出来るし。
コーヒーも変えるし快適。

お腹すいたらすぐご飯も食べれるしね。笑

現在の自分のノマドワーカーのレベルを超える
さらなる自由なノマドを目指してつきすすむのみ!!

自由になりたい人と一緒にガンガン行動していきたい!!

〜しなければならないっていう思考をやめような。

やめなければならないっていうのもやめよう。笑

何事も自由自由♪

思い通りの人生さ○

自動生成コンテンツ。

今までのやり方は
まず自分がコンテンツとなり人を集め集まった人をコンテンツにする。

あ、コミュニティの話しね。


そんな感じでしたが、
コンテンツは自動生成されなければならないと感じた。

SNSが大きくなっていくのは
コンテンツが自動生成され続けるからだと思った。

友達が友達を呼び
日記やつぶやきを書き
口コミが生まれ
広がっていく。。


自分がいなければならないとか
自分でコンテンツを作らないといけないっていうのは
もう古い気がしてる。

自動でコンテンツが生成される仕組みを作れれば
自分を仕組みから切り離す事が出来る。

そしたらそれを大きな枠組みから見ながら
バランスをとるだけでよくなる。

今、こんなイメージを心の中にもっています。


俺が企画しなくても成り立てばいいわけだ。
人と上手に接する事が出来る人なら
誰でも出来る事だと思ってる。

新しいステージにいきたい。


7年間積み上げてきたものを活かして
もっと面白い場所を作ろう。

何でも出来るのに何もしないのは罪。

この世で大切なのは
お金よりも時間だろう。

その理由は人間というものは
いつか死ぬからだ。

お金なんて造幣局で生産されてる
代わりのきくもの。


実は最近ですね
心が少しだけ疲れておりまして。笑

重傷ではないのですが
若干の無気力感もありながら
一人、人知れず 戦っていた訳です。笑


なかなかそんなこともないので
珍しかった心境を書いておきましょう。

まず、動けないからといって
何もしないというのはものすごく罪悪感がありますね。笑

何かしなきゃ。。と思っても
心がついてこなければ体も動くはずもなく。。

こういう心境の時に労働に向かわなければならなかった時は
本当に鬱になるかと思ったし、
実際そういう生活をしてた時には
仕事に行く時や終わった時に涙が出てきてた。。笑

生活の為だけに働くというのは
なんとも空しくくたびれてしまうものです。

自分の中の正義なんて関係なくて
誰がやっても同じであろう仕事を
延々とやっていく。

その度になんとも言えない違和感を覚えてた。

当時は週末にハンドメイド のイベントとか出てたから
ハンドメイドだけで労働と同じ額を稼げた日には
嬉しい反面、翌日の仕事にもううんざりしてた。


自分に合っている事
得意な事
相手から求めてもらえる事
やりたい事

そんなことが仕事になったら。。
いつも夢見てた。

こんな生活抜け出してやる!!って。

人間的に尊敬出来ない人から怒られる度
自分の心に嘘をつくたび
立場ってなんだよ
年齢が上だからってなんだよ
実力で勝負させろよ
って思ってた。


だけど、雇ってもらっている以上
その場で自己主張するのは違うと思って我慢した。

極力何事も感謝するように。
相手のおかげで成り立ってる部分もあるだろ?
なんて自分に言い聞かせてた。


それから時が経ち。。


今の俺はまだまだ不安定だけれど
文字通りまわりに支えてもらって暮らせてる。

100%周りの人のおかげだといっても過言ではない。
自分の力なんてほんの小さなもの。

人間の力ってすごい。
一人の力でも本気出せば本当にすごいって思う。

一人一人をもっと大切にしていこう。

出来るだけガチでぶつかれるようになろう。



今日さ、ふとトイレにいったときに思ったんだよ。

なんでも出来るのに何もしないってのは
本当に罪な事だなと。

なんだって出来るんだ。
今なら。

全てを仕事に結びつけようとどこか思っていたのかもしれない。

お金を使う時に投資になるか浪費になるのかを考えるように
時間を使うにも同じ感覚でいた。

その結果動けずにいるのならば
まずは色んなとこに種を撒きにいってみたり
自分自身の心のケアをかねて
どこかに行くのもいいだろう。


思えば寝ている時間以外の一人の時間ずっと
仕事の事を考えてる。

プライベートと仕事の境目って一切ないから
起きた瞬間にはじまって
寝るときまで続く。

好きな事だからこそ出来る事。
人に強制されてないからこそ出来る事。

その代わり全てを自分の意志でやらなければならないんだ。


もっともっとさ
楽しんでいこうよ。

いい意味で気楽にいこう。

お金を稼げない事よりも
人生を無駄に過ごす事の方が罪だ!!

 
1日8時間 働き
8時間寝たとしたら。。
残された1日は8時間しかない。
その中でご飯を食べたり準備したり。。

自分の人生の3分の2が選べない、使えない時間なんて
ありえないでしょ!!

それが嫌なら自分で動くしかないんだ。
行動するしかない。

不器用だとか
特技がないとか
そんなことは関係なくて
行動する意思があるかどうか。
それが一番大切。

スキルなんて仕事についたら
覚えてきたでしょ。

同じなんだよね。

会社の為に働くか
周りの人の幸せの為に働くか。

その違いだよね。

生活の為のお金を稼ぐのか
自分と周りの人の夢を叶えたり
理想の人生を歩く為に稼ぐのか。。

どっちがいいのかは自分で選ばないと。

何も考えていない人は
「選択しない」という選択をしているのと同じ。

立ち止まれないんだ。

常に動き続ける人生を
自分の意志で舵をとっていきたいなら
人のせいにしたり何かに言い訳をしたりしたら駄目だ。

常に自分の責任。
至らない部分も全部認めて現状を正確に見つめなきゃ。


そうだな。

なんでも出来るのに
何もしないってのは

罪だな。

2013年8月15日木曜日

属性と適正。

人にはそれぞれ属性があると思っています。

人と接するのが好きな人・嫌いな人

一つの事を突き詰める人
色々やりたい人

自分の価値観が一番正しいと思っている人
人それぞれだと考える人


主に内面の属性・外面の属性を別々にとらえて
その総合評価から適正を導き出します。

このへんは感覚なのですが
この人はこういう性質だから
こういうことをすると良さそうとか
こういうことを任せたらよさそうとか
なんとなくわかります。


この判断は自分自身の経験値もあるので
相手の事がわかったからといって
自分自身が経験不足では判断出来ないと思います。


仕事や仲間
属性を判断し適正に振り分けた方がいいものも
あるのだと感じています。

この判断を誤ると
居心地が悪くなったり
本領発揮出来ない状況になり
最悪の場合メンバーはいなくなるでしょう。


今までなおきちのグループでは
出来る限りその人を認め
みんながみんなに適応するように考え
極力自分の手を加えてどうこうするということは
避けてきました。

仲良しグループとかあんまり好きじゃなかったから。


規模が大きくなれば
小さかったときと同じ方法では駄目なのだと
ようやく実感しています。

仲良しグループって
価値観が合う人が集まってますよね。
だから無駄がない。

そういう観点からいえば
それもまたありなのかなぁなんて思ったりします。

排他的な仲良しグループはあまり好まないけれど
正反対の価値観の人達を
同じ空間に置き続けるということは
思っていたよりもリスクがあるのだと思いました。


適正な距離感をはかれる人ばかりではない。

人間関係とは相手との「距離感」につきる。

近すぎれば息苦しくなる。
それは家族でも同じ。
どんなに大切な人でも。

適正な距離感をとれなければ
誰だって嫌われてしまう。

人から好かれる人というのは常に
無意識かもしれないけれど適正な距離感を保ってる。

もしくは、相手がもっと近づきたいと思うような魅力的な人。
だから嫌われることが少ない。


組織を構築していくならば
独自の時代にマッチした方法を模索していかなければ。。

旧来の方法が必ずしも正しいとは限らない。
どんなときでも過去を信じすぎる事なく
自分の目で見て耳で聞いて体で感じて判断しよう。

属性と適正。
気にしなければならない段階に来たんだな。

2013年8月13日火曜日

得手、不得手。

誰しも
得意な事と
不得意な事がある。

得意、好き、やりたい
という気持ちは
そのまま行動力になる。

苦手、嫌い、やりたくない
という気持ちは
それだけで行動を妨げる
大きな壁となる。


最大限の力を発揮するには
得意で好きな事をやるべきだ。
そしてニーズのあるもの。

それが周りへ貢献するということに
繋がるだろうし
仕事の本質は絶対そこにあると思ってる。

「出来る」
ことと
「やりたい」
ことは
必ずしも一致するとは限らない。

一致しないから「やらない」のは
贅沢だと思いがちだけど
それは洗脳だと俺は思ってる。


もっとわがままに生きていいんだよ。
あんたの人生だ。

誰にも文句なんて言わせない。


一般的な考え方なんか捨ててしまってさ
自分らしく生きてみてはどうだろう。

時には批判されてしまうこともあるだろう。

しかし、時には感謝もされるはずだ。


感謝も批判もされない生活も居心地いいのかもしれないが
スリルに満ちて山あり谷ありの道を
コントロール出来るようになるのは
なんとも言えない快感がある。

断言出来る。
時代は変化し続ける。

「安定」を求める事こそが
不安定への入り口となる。

どうせ変化は続いていくんだ。

安定を望むより
変化へ「対応」出来る方が
強いでしょ。


どんな時代が来たって
政治家がちゃんとしなくたって
自分の力で自分の事が出来たり
周りの人を守っていけばいい。

消費税があがったって
それ以上に稼いでやれば問題無し!

文句言う前に行動する。

全ての文句や言い訳を
口に出す前に自分で対応出来ないのか、
自分の周り の世界だけでもまず変える事、
守る事は出来ないのか考える。


行動せずに結果を出さずに
グチグチ言う事なんて誰にでも出来る。

行動し結果を出し発言力を持てば
伝えたい事を伝えたい人に
直接伝えられるようになる。

そのほうが建設的。



こんな話しを先日信頼出来る人と話してた。


人のせいにすんなよ。

あんたはどうなんだ。


大切なのはそこでしょ。



行動する為に
誰かの苦手な事を
自分が得意ならばやってあげ
自分の苦手な事は
誰かが得意なのであれば任せればいい。

そんなふうに出来るのであれば
組織としての価値もずっとあがるだろう。

ただの弱者の集まりに興味はないが
参加者の弱点を大幅にカバー出来る集団なら
その価値ははかりしれないね。


俺も再度見直そう。

言い訳をしない為に。

2013年8月10日土曜日

リーダー論。

なおきちが思うリーダーについて。

リーダーとは。。
人の上に立つ人でも
人に教える人でもない。

そう思っています。

どちらかと言うと
人に教えてもらい
誰よりも下に立つ人間。

そう思う理由は。。
人がついてくる人間でないといけないから。

自分を卑下したり
へりくだれという事ではなく
誰よりも弱い立場の人に目を向け
様々なニーズを満たせる人。


技術を持っているという事と
人に教えるということは違う。

リーダーとしての資質ってのは
誰よりも高い技術を保有している事ではなく
誰よりも高い技術を保有している人間に
心地よく最大限の力を出してもらえる環境を整えてあげること。


いつも
何かに属する事が苦手で
自分でなんでもはじめてきた。

だけど、自分一人では
何も成り立たないんだよな。

自分一人の力なんて
ちっぽけなもんだ。

たくさんの仲間の大いなる力に比べれば。

驕る事なく仲間に感謝し続け
組織が大きくなればなるほど
仲間の実力を認め
仲間をたて
自分はサポートにまわる。

そんなのがリーダーなんじゃないかと
思っています。

2013年8月7日水曜日

伝わる・伝える。

音楽とかハンドメイドとかさ
ある一定のレベルを超えると
そこから先は技術云々じゃなくて
「伝わる」かどうかだと思ってる。

どれだけ上手に演奏しても
何も伝わってこなければ
感動なんてないんだ。

圧倒的なスキルを見た時
確かにすごいとは思うけれど
技術には身体能力的な限界があると思うんだよね。

だけど「伝える」「伝わる」事に関しては
タイミングや
その時の心情まで関係してくる。

自身の感動を
第三者の感動へ
シフトする事が可能なんだ。


もらい泣き。

なんてことがあるように
人は視覚や
相手の心情をイメージすることによって
そのイメージを言葉だけではなく
受信する事が出来る。


伝わる
ぬくもりのような
ただの空気のような
そんな存在でいたい。

質感。

素材・質感・手触り。

そんなものに興味が出始めたのはいつからだろう。

本当に昔の事かもしれないし
最近の事かもしれない。

猫のように
あたたかい毛布は ずっと好きだった。

小さい頃からね。


錆びた真鍮

茶色い木

剥げたペンキ


そんなのが好きになったのは
大人になてからかな。


32年間も生きてくるなかで
味わい深い人間に僕は
なれているのかなぁ。


その質感、いいね。


って言ってもらえるような
個性的な 人になりたい。


素材として面白い。

なんて言ってもらえるような
変な人になろう。



触れてみたい。。

と思ってもらえるような
センスとセレクトを身につけよう。



色々。


そんな言葉が似合う人間になりたいな。

2013年8月6日火曜日

やりたいことなのにめんどくさい。

今日さ、話してて

「やりたいことがあってもなんだかめんどくさくて
 てにつかないんだよね。」

って話しになった。


やりたいことなのにめんどくさいって
すごく矛盾してるように感じるんだけど
この感覚、実はすごくよくわかるんだよね。

先の事とか色々考えちゃうと
動けない事ってよくあるよ。

片付けがめんどくさい。
明日に備えて寝なきゃ。

そういう事を考えると
始める前から疲れちゃうんだよね。笑


だから、俺の場合はそういうときは
無理にやらないことにしてる。

モチベーション待ちということで◎


だって、気分じゃないのにやんのって
時間もったいないでしょ。

本気でどうしてもやりたいときにやんなきゃ。

義務感とか
そういうの感じ出したらうんざりでしょ。

本来やりたいことなんだから
やりたいようにやったらいいんだから
先の事なんて考えずにやっちゃえばいいんだよね〜。


子供ってさ、
後先考えないじゃん。
だから行動力半端ないじゃん。
そういうのって天才的。

見習おう。

ジャンル分け。

ちょっとね〜、考えたんだわ〜。

ゆる〜く遊びたい人、
ガチで取り組みたい人、
その中間の人。。

何をするにもおると思うんよね〜。

そしてそのどれもが素晴らしいと思うんだけど
モチベーションが異なる人達を一緒にすると
あまりよくないんだよなぁと
最近よく思います。

なので、どこかで色んな事をジャンル分けして行かなきゃ。。
と、思いました。

モチベーション別もそうだし
相性別もそうだね。

誰もが気持ちよく居る為には
そういうのも必要なのかなと。

入り口のハードルが低い分、
そういうとこである種の管理が加われば
もっと快適に過ごしてもらえるのかもしれない。

そんなふうに思いました。


コミュニティを運営して7年。

試行錯誤してきました。
終わる事のない建造物を作っているような気分。

楽しいけどね。

うん、もっともっと「良く」したい。

女性の時代。

なんで女性差別なんてあるんだろ。
ちょっと理解出来ないんだよね。

男性の方が得意な事もあるだろうけど
女性に一生勝てない事だってあるんじゃないかな。

男が偉い。。なんて考えは古くさくて好きじゃないんだ。
生まれた瞬間に勝ち負けが決まるってのもフェアじゃないし
だいいち、面白くない。

実力で判断されるべきなんだよな。


男だってどうしょうもないやついっぱいおる。
女性だって総合力半端ない人たくさんおる。

だったら性別とか関係ないじゃろ。

性別が違う事をデメリット、マイナスに考えるのではなく
有利に使って行こう。

男の方が有利な事は男がやって
女性の方が有利な事は女性にまかせて。

そしたら最強じゃない??


憶測だけど、男は自信がないから
力に頼ったりするんじゃないかな。

そして、女性がある意味恐いから
劣った存在として強引に位置づけたんじゃないかな。

力仕事が必須だった昔に比べ
今は職業も多様化してる。

力よりも頭を使う仕事だってたくさんある。

効率を求める仕事なんか女性の方が得意な気がする。


男尊女卑という言葉がありますが
そういうのなくなればいいね。

 子孫が繁栄していくのに
男は最低限いればいいけど
女性がいなければそもそも子供って生まれないんだ。

もちろん男も全く居なければ生まれないんだけど。。

だから、どっちも同じくらい大切だな。

性別にこだわるより
もっとなんか建設的な事にこだわろうよ。


と、思うわけですよ。

それでは。

小さく見せる事。

ついつい自分を大きく見せたいという
人間本来の欲望にかられてしまいそうになる。

しかし、自分を必要以上に大きく見せるという事は
損をする。

ヤンキーがちょっとおばあさんに優しくしてると
「あれ、意外といいやつじゃん。」
って思われる事が多いけど

まじめそうな人がタバコすってるだけで
「意外。。」
なんて思われてしまう。

外見と内面がそろってはじめてその人なのだが
ついつい目に見える物を信じてしまいがちなのが
人間という物だ。


相手にとって自分はどんなメリットがあるのか
提示するときは魅力的にアピールするのもいいが
基本的に人は期待以上の事をしてもらって
感謝する生き物なんだよね。

だから、最初からあれもこれも出来ます!!
って言ってまわるのはよくないな。

それより、出来そうに見えなかったのに
「意外と」出来るって思われる方が得だね。


自分という存在のアピール方法によっても
人からの態度が変わってしまうんじゃないか。。

ふと、そんな事を考えたので
残しておきます。